« 電気に依存した人生 | Main |  「君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり。其の暗き所以の者は、偏信すればなり」。 »

April 09, 2011

「脱・原発」…というわけにはいくまい。

■ 昨日、東京・築地の朝日新聞本社に出向いた。
 東京都下、節電励行目的で様々なものが休止している。
 朝日新聞に隣接する都営地下鉄大江戸線築地市場駅の地上行きエスカレーターは、全部、止まっていた。
 「おいおい、どうやって地上に出ようか…」と一瞬、迷った。
 駅員の「人力」を借りて階段を上るかと思ったが、エレベーターが一基だけ稼働していたので、それを使って事なきを得た。
 若い時、六本木駅のエレベーターが一時的に故障し、ビル七階分を階段で降りなければならなくなったことがある。
 その時、手を貸してくれたのは、陸上自衛隊のレンジャー部隊の「教官殿l」だった。
 雪斎に手を貸すのは、「戦場」よりも怖かったかもしれない。
 今は、もはや、そういうことはできまい。

 雪斎は、原発推進論者である。
 正確にいえば、「安定して電気を供給してくれるのであれば、原発であろうが何であろうが…」という立場である。今のところ、「コスト」と「安定」という点で、原子力に代替できる発電手段はない。原子力を超えるものがあるのであれば、とうの昔に使っているのであろう。

 「多少の不都合は甘受しても…、原発依存から脱却すべきだ」と唱える人々もいよう。
 だが、その場合の「多少の不都合」とは、どういう水準なのか。
 たとえば、今まで通勤途中の駅でエレベーターを使っていた人々が、階段を上り下りするようになるのは、「多少の不都合」かもしれない。ついでに、「メタボ対処にもなる…」と。
 だが、雪斎にとっては、それは、「多少の不都合」では済まない。うっかり階段で足をふみはずしたら、数カ月の病院生活は必定、間違えば「あの世」行きである。
 これは、何も個人的な事情を語っているのではない。ある人々にとっては、「多少の不都合」でしかないものが、他の人々にとっては、「途方もない不都合」になるということの事例である。

 もっとも、原発の危険性は、誰もが認知することになった。
 此度の事故を踏まえて、もっと厳重な保全体制を敷くしかあるまい。
 具体的には、原発の専門家が考えるであろう。
 福島第一原発のように「築40年建築」のような代物は、さっさと「新築」に更新したほうがいい。
 原発用ロボットの開発も加速させる必要があろう。
 「想定外」の出来事は、起きた時点で既に「想定内」になる。
 ここから何の教訓も引き出さず、匙を投げたのでは、今までの蓄積を放棄することになる。

 加えて、余分な電気を使わない配慮は、続けていく必要がある。
 エコ・ポイント制度は、終了したけれども、家庭での省エネ家電への転換を促す制度は、復活させてもいい。
 また、日曜日に、銀座や新宿のデパートや諸々の店が営業している必要もあるまい。
 日曜日は、自宅や周辺で過ごすというライフ・スタイルで何の問題もない。

 ということで、しばらくの間、「脱・原発」気運は盛り上がるのであろう。
 だが、それが生活実感への洞察を欠いたイデオロギーの類になるのであれば、雪斎は、断固、それに抵抗する。

 …と、ここまで書いて、下の記事を見つける。
 

□ ドイツ、原発停止措置によって電力の純輸入国に=独業界団体
            ロイター       2011年 04月 5日 15:36 JST
 ドイツでは先月、日本の福島第1原発事故を受けて、80年以前に建設された旧型の原子力発電所7基を少なくとも3カ月停止したのに加え、2基が2007年以来停止、1基が定期点検のため停止している。
 BDEWは、ハノーバーで行われた産業フェアの会合で、先月実施された発電能力7000メガワット(MW)の原子力発電所の停止措置により、ドイツは1日当たり50ギガワット時(GWH)の純電力輸入国となったとし、「フランスとチェコからの電力輸入が倍増した」と述べた。
 フランスは電力の80%を、チェコは約25%を原子力でまかなっている。
 ただBDEWは、今後は現行のシナリオが変わる可能性もあると指摘。「中期的には、たとえば(石炭やガスなどによる)国内の既存設備の活用を拡大するなど、ほかの戦略が実施される可能性がある」と述べた。
 
 なるほど、「緑の党」党勢伸長に象徴されるドイツの「脱・原発」は、他国の「原発」に半ば依存した上でのものか。この「現実」が何をl意味するかは、きちんと踏まえておく必要がある。
 

|

« 電気に依存した人生 | Main |  「君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり。其の暗き所以の者は、偏信すればなり」。 »

Comments

長い間尊敬の念を持ち読ませて頂きましたが
今回は初めて心からカッチンと来た。
今は中国から書かせて頂いていますが、
貴方のような「上から要求している」人などは、
一瞬の内に抹殺される程、
この世は日本とは比べようも無いほど競争が激しい世界が殆どだという事を忘れないで居て欲しいと思います。

言いたい事はそれだけです。

Posted by: munenoriff | April 10, 2011 01:43 AM

もう「今度こそ安全な」は遅いでしょう。1000年に一度の大震災ということを関係者は言い訳にしていますが、福島第一が機能不全に陥った直接の原因は津波被害であり、1000年どころかここ100年で

1896年 明治三陸地震 38.2m
1923年 関東地震 12m
1993年 北海道南西沖地震 16.8m

の津波が実際に日本を襲っているわけです。

原発については設計的技術的な裏付けというより、それに関わる人たちの利欲やごまかし、こじつけといった技術を語る以前の問題で国内にも国外にも大変な被害や不安を撒き散らしてしまいました。

今となっては遅きに失するといえます。

Posted by: ちびた | April 13, 2011 12:58 PM

震災騒ぎの中、とある大学病院に入院していました。

震災後で、エレベーター使用台数制限をかけている最中でも、たかだか数階上がるためだけにエレベーターを使用される徒歩の老若男女の多いことに大半の人達の危機感のなさを感じました。
本当に必要としている人に対してはあるべきものは作るべきだと思いつつ、大半の人達はその議論を始めるスタートラインにすら立っていないのが現状に思えてしまいます。

エネルギーに頼らないバリアフリー設計を前提に非効率的な土地の使い方をするか、便利な都心一極集中で電力を無節操に使い続けるか、一度電気のない生活を想定して暮らす気概は持っておきたいものです。

Posted by: 闘病開始 | May 04, 2011 12:32 AM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「脱・原発」…というわけにはいくまい。:

« 電気に依存した人生 | Main |  「君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり。其の暗き所以の者は、偏信すればなり」。 »