■ 昨日、言及したアンソニー・サンプソンの著書四作には、総てに邦訳書が出版されていたようである。ただし、現在、総てが絶版となっている。残念。
1、『セブン・シスターズ―不死身の国際石油資本(上・下)』(大原進・青木栄一 訳、講談社文庫、1984年)
2、『新版 兵器市場―「死の商人」の世界ネットワーク』(大前正臣・長谷川成海訳、TBSブリタニカ、1993年)
3、『ブラック・アンド・ゴールド―国際ビジネスを揺るがす南アフリカ』(仙名紀訳 早川書房、1987年)
4、『ザ・マネー-世界を動かす”お金”の魔力』(小林薫訳 全国朝日放送、1990年)
■ 雪斎は、自民党のシンパと目されている。確かに、雪斎は、自民党の機関誌・機関紙に頻繁に寄稿しているのであるから、そうした見方は決して間違っているわけではない。ただし、雪斎は、自民党の党員でもなければ党友ですらない。雪斎は、元々は新生党、新進党に籍を置き非自民連立政権の一翼を担った政治家の政策担当秘書であった。雪斎は、仕えた政治家が自民党に戻ったのを機に、自民党との様々な「縁」を得ることになり、今に至っているのである。雪斎の「永田町」生活の前半は「非自民党」関係者、後半は自民党関係者であった。「自民党」を外と内の両側から見る機会を得た他に、与党と野党の立場の両方を経験することの出来た七年の歳月は、誠に「密度の濃い」歳月であった。
下掲の論稿は、昨日付自民党機関紙『自由民主』に掲載され、昨日開催された結党五十年目の定期党大会に参集した人々の眼に触れることになったものである。昔日、かのハロルド・ラスキは、「英国労働党のパンフレット・ライター」と揶揄されたけれども、雪斎もまた、そのような評が後世に与えられるかもしれない。無論、政治学徒は、「実際の政治」に関わりを持つのを厭うのでなければ、そうした評を甘受せざるを得ないのであろう。.ただし、そのことは、政治学徒が何らかの党派的な論理に何の衒いもなく入れ込んで然るべきであると述べているのではない。戦後、「実際の政治」、特に「権力の側」に関わりを持つのを知識人の堕落と蔑む雰囲気があったけれども、雪斎は、そうした雰囲気に浸かり切ることは、「知識人の退嬰」に他ならないのではないかと思っている。
「実際の政治」に関わる上で大事なことは、たとえば「私は、自民党を支持する立場で文章を書いているけれども、その『私』とは一体、何であるのか」ということが、判っているということである。永井陽之助先生の著作が教えてくれたのは、そのような「『相対化』の相対化」という思考様式であった。この「『相対化』の相対化」という思考を経ない言論は、「左」のものであれ「右」のものであれ、途端にドグマに陥ることになる。昨今、その類の言論が何と多いことであろうか。雪斎の師、山口二郎先生は、雪斎とは政治的主張の方向性を明らかに異にしているであろうけれども、「『相対化』の相対化」という思考様式を踏まえた言論を厳格に展開している。山口先生が『論座』(二〇〇五年二月号)に寄せていた論稿「この十年の日本政治」は、誠に教えられるところの多いものであった。そのような弛まぬ自己検証の姿勢こそが、政治学を含む広い意味での社会科学系学徒の生命なのである。
■ 「自民党立党五十年と今後の課題」
今年十一月、自民党は結成半世紀の節目を迎えることになった。この半世紀の間、二代の非自民連立内閣が登場した一九九〇年代の一時期を除けば、自民党は一貫して政権を担ってきた。そもそも、政治という営みの目的とは、何らかの大仰な大義を実現するのではなく人々の具体的な利害を調整することにあるけれども、この半世紀の間、自民党による政権運営は、そのような「利害の調整」を旨とする政治の目的に忠実なものであった。
自民党は、冷戦の進行という国際環境の中で当時の日本社会党に対抗する意味合いで結成された保守政党であるという一般的な印象にもかかわらず、その政権政党としての実際の政策運営は、イデオロギー色の薄いものであった。事実、戦後、長きに渉って、我が国の幾多の人々は、「生活水準を向上させ、豊かさを実現する」ことを共通の目標にしてきたけれども、自民党の政策展開は、そのような「共通の目標」に寄り添う形で行われてきた。現在では自民党による政策展開の「負」の側面として語られることが多くなった田中角栄以来の「利益誘導」手法にしても、それが目指したのは、「生活水準を向上させ、豊かさを実現する」という「共通の目標」を地方都市においても達成することであった。その一方、たとえば自主憲法制定は、自民党結党以来の党是であるけれども、世の人々は、その党是の実現を切実なものとして要請しなかった。結党以来の自民党がイデオロギー色を露骨に示してこなかったというのは、この辺りの事情を指している。
自民党が今後も我が国の政権を担当する政党であり続けようとするならば、そのようなイデオロギー・フリーの姿勢は、確実に踏襲されるべきであろう。阪神大震災、オウム真理教事件、北朝鮮によるテポドン・ミサイル発射や邦人拉致の顕在化、さらには「九・一一」事件といった一連の出来事は、戦後に営々と築いてきた「豊かな社会」の前提が「安全」にあることを誰の目にも明らかにした。また、現在の我が国の社会は、確かに「豊かさ」を実現させたけれども、その一方では、NEETと呼ばれる若者達の登場が象徴するように、社会に潜む「倦怠」の気分や「活力低下」の兆しが出現していることも指摘されなければなるまい。
当面、我が国が手掛けなければならない施策の本質は、世の人々に対して、どのように確かな「安全」を提供し、「倦怠」や「活力低下」を避けるための施策を着実に示せるかということに他ならない。これらの施策は、決して特定のイデオロギーに基づく大義の実現ではない。それは、幾多の人々が、それぞれの時代環境に即して示してきた一つ一つの要請への対応でしかない。たとえば、憲法典改訂を含め、現在に進行する「普通の国」への脱皮の動きは、「進歩・左翼」層が懸念するのとは異なり、決して「保守・右翼」層のイデオロギーの表れではない。逆にいえば、「普通の国」への動きが、そのようなイデオロギーの色調に彩られるようなことになれば、実際に浮かび上がってくるのは、相当に歪んだ「普通の国」像であろう。「左翼・進歩」層のものであれ「右翼・保守」層のものであれ、政治の世界にイデオロギーや観念を持ち込むのは、弊害の多いものなのである。
結局のところ、自民党が政権運営に際して立脚すべきは、人々の「常識」に他ならない。人々の「常識」に立脚し人々の要請に応える施策を一つ一つ提示していく作業は、誠に地味なものであろう。それは、もしかしたら世の人々の快哉によって迎えられる類のものではないのであろう。しかし、政権を担う政党の宿命とは、絶えず転がり落ちる大石を山頂に運び続ける宿命を背負ったギリシャ神話上の男、シシュフォスのように、そのような誠に地味な営みに耐えるということなのではなかろうか。
自民党機関紙『自由民主』(二〇〇五年一月十八日)掲載
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