原稿を書く日々…。
■ この数日、原稿が溜まっていた。三編を片付けた。
① 『産経新聞』「正論」欄原稿 来週月曜日掲載予定
② 『読売新聞』文化面原稿 来週水曜日掲載予定
③ 『中央公論』「政治学者の永田町暮らし」欄原稿 来月10日発売予定
しかし、あと三編が残っている、おいおい…と思う。
■ この数日、原稿が溜まっていた。三編を片付けた。
① 『産経新聞』「正論」欄原稿 来週月曜日掲載予定
② 『読売新聞』文化面原稿 来週水曜日掲載予定
③ 『中央公論』「政治学者の永田町暮らし」欄原稿 来月10日発売予定
しかし、あと三編が残っている、おいおい…と思う。
■ 只今、三ヵ月ぶりに産経新聞「正論」欄に寄せる原稿を仕上げて提出する。前回の原稿は、「ホリエモン騒動」を扱ったものであった。今となっては、随分、昔の話のような気がする。
■ 以前にも書いたけれども、雪斎が北大同期の連中と盛り上がったときには、寮歌「都ぞ弥生」の斉唱と「札幌農学校、万歳」の掛け声で宴を閉じるのを約束にする。
「都ぞ弥生」の最終第五節の歌詞は次のとおりである。
朝雲流れて金色に照り 平原果てなき東の際
連なる山脈冷瓏として 今しも輝く紫紺の雪に
自然の藝術を懐みつつ 高鳴る血潮のほとばしりもて
貴とき野心の訓へ培ひ
栄え行く 我等が寮を誇らずや
■ 昨日、フィリピン・ミンダナオ島で旧日本軍兵士が見つかるという報道が流れる。報道されているとおりだとするならば、これは、相当な波紋を投げ掛ける「事件」になりそうである。多分、来月中旬頃には、旧日本兵の帰国が実現し、その模様を各種メディアは、何時もの例に漏れず集中豪雨的に報ずるであろう。そして、その印象が残ったまま、「熱い八月」を迎える。
もし、この旧日本兵が「戦友との約束」を果たすために靖国参拝を希望し、それに小泉純一郎総理が付き添うということにでもなれば、おそらくは、国内では誰も文句はいえまい。昔日、小野田寛郎少尉が帰国した折、「何がつらかったか」と問われた少尉は、「戦友を失ったことだ」と答えた。軍歌『同期の桜』にも、「花の都の靖国神社、春の梢に咲いて逢おう」という一説がある。
六十年の歳月は、余りにも長い。そうであればこそ、六十年の歳月を経た「浪花節」の世界の前には、中途半端な理屈は、総て吹っ飛びそうである。その時、中国政府が、どのように反応するであろうか。これは、読めない。
■ 昨日のエントリーに続き、原稿の「蔵出し」第三弾である。下掲の原稿は、丁度五年前に『月刊自由民主』に書いていたものであるけれども、折角のことだから五回連続の原稿を順次、公開することにしよう。
この論稿における「経綸」の意味は、現在、一般的に用いられている「見識」といったものよりは、「エコノミー」という言葉で想起されるものに近い。実際、往時、〈economy〉の語に与えられた訳語として「経済」よりも「経綸」が使われた事実は、そうした事情を示している。もっとも、『五箇条の御誓文』に影響を与えたのが、坂本龍馬の発想であったのは、有名な故事であるし、坂本龍馬が明治以後も生き延びていたら「日本初の商社マン」になっていたであろうというのは、余りにも平凡な推測である。『五箇条の御誓文』にも、「経済立国」の理念が投射されているのである。
■ 昨日、『中央公論』と『論座』の二誌分のゲラ・チェックを片付ける。この時期には、とにかく「やること」が集中する。「バブルの最盛期」の頃に、「黄色と黒は勇気の印、24時間闘えますか」というCMソングが流行っていたが、まさにそういう雰囲気である。
■ 昨日のエントリーに続き、原稿の「蔵出し」第二弾である。何だか夕飯の支度を「いわしの缶詰」を引っ張り出して来て済ましているような風情である。下掲の原稿は、丁度五年前に書いていたものである。
■ 昨日 映画『亡国のイージス』についてのエントリーを書いたのであるけれども、雪斎は、百万部以上を売ったという原作を読んではいない。麻生幾氏の小説もそうであったけれども、日本の「軍事小説」は、細部は詳しいけれども全体の構成が今一つというのが多い。「戦術」の水準ならば中々であるけれども「戦略」(グランド・デザイン)が要請されるところは駄目だというのが、日本の性格であるけれども、そうした性格は、「軍事小説」にも当てはまっているのである。
映画『亡国のイージス』の宣伝文には、次のような文面がある。
「未曾有の経済的発展を享受しながら、理想も持たず、国家としての責任能力も自覚せぬまま世界進出を遂げた日本。バブル崩壊が経済を袋小路へと迷い込ませたとき、そこに我々が誇るべきものは何ひとつとして残らなかった。そして、2001年9月11日以降、空虚な理想論など決して許されぬ現実を突きつけられ、我々が見つめることになった未来とはどんなものなのか?あるべき国家の理想とはどんなものだったのか…」。
■ 政党の機関紙や機関誌に原稿を寄せることは、政治学徒にとっては、どのような意味を持つのであろうか。それは学徒としての「堕落」を意味するという声は、まだまだ根強いかもしれない。しかしながら、一九三〇年代の英国で活躍したハロルド・ラスキは、英国労働党の政策立案に深く関与し、一部から「労働党のパンフレット・ライター」と揶揄されたこともある。しかし、だからといって、ラスキが「堕落した政治学者」などとは、誰も言うまい。結局、政治学徒にとっては「何を語ったか」が大事なのである。
自由民主党の機関誌『月刊自由民主』「論壇」欄に毎月、原稿を寄せるようになってから、既に五年余りの歳月が経っている。この間、編集部からクレームが付いたのは、田中康夫長野県知事が再選を果たした選挙の折、長野県連の対応に噛み付いた原稿が、唯一の事例である。自民党という政党にとっては、「政策」に幅があるのは全然、構わないけれども、選挙の折に「同士討ち」みたいなことになるのは、困るのであろう。逆にいえば、「政策」に関した原稿であれば、何を書いてもオーケーである。それは、自民党の「度量」を象徴しているような雑誌である。
■ 雪斎が幼少の頃、自衛官だった父親が三島由紀夫のことを罵っていたことがあった。雪斎の父親にとっては、三島とは、「総監部に乱入して割腹して果てた馬鹿」に過ぎなかった。雪斎の父親が奉職していた頃の自衛隊は、現在とは異なり国民的な共感が乏しい「日陰者の存在」としての軍隊であった。そうした「日陰者の軍隊」の中で「使うことのない一剣」を磨き続けた雪斎の父親にしてみれば、三島は、江藤淳の言葉を借りれば、「『ごっこ』の世界」で軍隊を語ろうとした輩であったのであろう。
■ 一昨日、TBS系列で『青春の門』最新版が放映されていた。主人公の伊吹信介を演じたのは十七歳の新人俳優のようであるけれども、「よく頑張った」演技をしていたと思う。
昨日、韓国の盧武鉉大統領は、青瓦台のホームページに対日政策について国民向けの談話を寄せた。この談話中、盧大統領は、島根県議会の「竹島の日」条例制定と歴史教科書検定問題とに言及し、「侵略の歴史を正当化する行為」と批判した。韓国政府は、一旦は封印したはずの「歴史カード」を持ち出して、日本の「頭」を抑え付けに掛かっているようである。しかし、こうした韓国政府の対応は、雪斎には「あほらしい」の一言で片付ける他ない代物でである。
■ 雪斎は、 『漢書』「魏相丙吉傳」の記述を基にして二度、論稿を発表している。雪斎は、何度も同じネタに寄り掛かって原稿を書くのを好まないけれども、過去二度の論稿が「散発的」なものであったが故に、『漢書』の記述の示唆深さを充分に説明するに至らなかった。
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