「意識」の世界地図 1
■ 新入学準備の時節である。
従弟、従妹の子供達が「ピッピカの一年生」になるので、彼らにとって「風変わりなおじさん」らしい雪斎としても、お祝いとして「地球儀」を贈ることにしようとしている。
何故、「地球儀」かといえば、「世界に眼を向けた大人」になるようにということである。
ところで、人々の意識の中で、国の「存在感」や「」親近感」を基準にして世界地図を書いたら、それは、実際のものとは相当に懸け離れたものになるはずである。子供のころから今に至るまでを振り返れば、その「意識の世界地図」がどのように描かれたかが判ってくる。「「反米」、「反中」、「嫌韓」といった言葉があるけれども、それは、総て人々の「意識の世界地図」を反映したものでしかない。日本は、どこぞの国とは違って、特定の国々に対する対抗意識や反骨意識を社会全体で植え付けるようなことはやらないので、「意識の世界地図」も結局は、「個人の来歴」を反映したものでしかない。
たとえば、感動した映画や芸術作品などが一つでも二つでもあれば、その国は、人々の「意識の世界地図」の中で確かな位置を占めることになるであろう。
雪斎の場合、次のような塩梅になるであろう。
先ず、アジア・太平洋世界から。
● 中国
実は、中学辺りから、杜甫や李白の詩に触れたりしていたので、本来は馴染みが深い国である。今でも、下手な漢詩を作って遊んでいたりする。
だが、子供のころ。「この国は暗い…」と思った、当時、中国人が指導層から庶民まで来ていた「中山服」には、違和感だけが残った。「何故、同じような服ばかり着ているのだろう…」と思った。
● 台湾
子供のころ、台湾といえば、「バナナ」であった。
素朴に「いい国だ・…」と思った。
大学時代以降は、候孝賢監督の映画世界に耽溺した。
『悲情城市』は、忘れられない作品である。
他にも、『恋恋風塵』『冬々の夏休み』といった味わい深い作品がある。
そういえば、十年くらい前に、台湾で李登輝氏と面談し、氏の見識に感銘を受けた。
● インド
「インドの山奥で修業をして、ダイバ・ダッタの魂宿し…」。
懐かしい『レインボーマンの歌』である。
実は、雪斎にとっては、これが最初の「インド体験」である。
加えて、ゴダイゴの『ガンダーラ』である。
In Gandhara, Gandhara. They say it was in India .
「インドには仙人が、いるのだ」と素朴に思った。
因みに、大学時代、『カーマ・スートラ』を読んだ。
それは、雪斎の価値意識に最たる影響を与える書となった。誠に深遠な書である。
● 韓国
何故か、「親近感」も「存在感」も感じる機会を得ることのなかった国である。
唯一の例外は、コリアン・ヌーヴェルバーグの傑作『風吹くよき日』(監督/イ・ジャンホ、一九八〇年)である。
「形容しがたい泥臭さとエネルギー」を感じさせる作品だった。高校の時分にでも観たのであろうか。
だが、近時の韓流ドラマやK-POPは、何が面白いのかが判らない。
「少女時代」や「KARA」といった女性ユニットは、雪斎には、「若き日の夏木マリさんや安西マリアさん、あるいは山本リンダさんが何人か並んでいる…」ようにしかみえないのだが…。
● 豪州
父親が遠洋航海で行ったシドニーの話を折に触れて聞かされた。
実は、雪斎は、まだ「南十字星」を直に見たことはない。
● シンガポール
一度、ラッフルズ・ホテルに行って、サマセット・モームが愛した「シンガポール・スリング」を嗜んでみたいとおもう。
このようにみると、雪斎の「意識の世界地図」の中で、台湾やインドの比重は、高いけれども、中国と韓国の比重は高くない。「海からつながっている場所」というのが、雪斎にとっての「親近感」の基準であろう。
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