■ 昨日午前、愛知和男事務所に帰朝報告に出る。先週一週間は、実質休眠状態であったので、今週からエンジン始動である。
■ 昼前、かんべえ殿のオフィスに押しかける。フランス報告という建前だったが、「そもそも、双日総研とはどんななところよ」という野次馬根性が頭を擡げた結果である。
かんべえ殿にお話したことは、色々である。
フランス旅行は、「ただほど高いものはない」ものになりそうである。
齢四十を過ぎてから、フランス語をやろうと思い始める。今まで、まったく「縁」の無かったフランス語である。
フランスから書籍を買ってきたのけえれども、それは読めなければ意味がない。一年や二年を取得に費やしたところで、その分を長生きしてフランス語の文献を参照できるようにすれば、政治学徒として思考の幅も広がるであろう。さしあたり以下のホームページの記事を読めるようにしたいものである。
● 『ル・フィガロ』
● 『ル・モンド』
「壮にして学べば老いて衰えず」である。二十歳前後の受験生だった頃の「熱」を思い出せばいい。
■ 夕方近く、帰宅した時、松岡利勝農相が自殺したことを知る。衝撃は大きい。
政治家の自殺ぐらい、雪斎には不愉快なものはない。それは、国家にとっては何の益もないことであるからである。
松岡氏は、たとえば竹中平蔵氏が「小泉構造改革」を象徴する「表」人物であるとすれば、その「裏」人物であった。
松岡氏は、典型的な「古い自民党」気質の人物であると思われたのであるけれども、何時の頃からか、「構造改革」党になった。それは、松岡氏が「構造改革」が日本の農業を壊滅させるのではなく飛躍させるものであると気付いたからであろう。この転向は、「構造改革」の文脈では大きかったと思う。松岡氏に限らず、官僚出身の政治家は、一つの政策志向さえ見極めることが出来れば、その後の政策展開をかなり精力的に行うものである。その点、松岡氏は、「攻めの農業」の展開の急先鋒だった。前回ののエントリーでも書いたけれども、「『ジャパン・ブランド』の食材が世界を席巻する日」を誰よりも夢見たのは、松岡氏であったような気がする。
それにしても、日本の政治家は、政策論議以外に消費するエネルギーが多すぎる。松岡氏の自殺は、農業失政の責を負ったというよりは、自身の醜聞を気にした故のことであったようである。だから、いたたまれない。「有能で黒い政治家と「無能で白い政治家」どちらかを選べといわれれば、雪斎は、躊躇なく前者を選ぶべきであろうと思うのだが…。
松岡氏のご冥福をお祈り申し上げます。
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