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August 12, 2012

ナショナリズムの「沸点」

■ 李明博韓国大統領が竹島訪問をを強行した件を書く。
 「やってしまった…」感が漂う政治選択である。
 当然、「朝日」から「産経」まで、日本のメディアは揃って批難している。

 ところで、段々、日本の「ナショナリズム」の沸点も、下がってきているようである。
 これが沸騰点に達した時に、どういうことになるか。
 これが「怖いことになる」という感覚はL、大事であろう。
 一時は、「神風」を実践していた国である。

 中国や韓国は、日本の「ナショナリズム」をどのようなものだと観ているのか。
 「怖い」と観ているか。「大したことがない」と観ているか。
 これが今後の東アジア情勢を観察する材料になる。

 ところで、サッカーU23日韓戦は、観なかった、
 準決勝の崩れ方がひどかったので、日韓戦も負けるのだろうと思ったら、そのとおりであった。
 だが、韓国選手が、とんでもないことをやらかしたようである。


 「ナショナリズム」の沸点を下げることは、身を滅ぼす」。
 「忿兵(ふんへい)は敗れる」である。
 それにしても、「島」をめぐる紛争の話を、英国で披露して意味があるのか。
 「フォークランド」の記憶を。覚ますような振る舞いである。
 この「政治性」は、かなり露骨につたわわることになるであろう。

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August 02, 2012

「陰謀の国」のオリンピック

■ 昨日のエントリーの「補足」である。

 □ 川澄 シュート禁止令を訂正「ノリさんなりのジョーク」
              (スポニチアネックス)2012/8/2 7:02
 南アフリカ戦から一夜明け、「ノリさん発言」を一部訂正した。なでしこジャパンの川澄にシュート禁止令を伝え聞くと「それはノリさんなりのジョーク。自分が受けた印象は、ワイドに開いてボールを動かし奪われないでくれというニュアンスだった」と笑いながら明かした。
 南アフリカ戦には後半13分から出場したが、この日もミニゲームでシュートも決めるなど好調を維持している。「3時間のバス移動はあっという間だけど飛行機は別」と移動がないことも喜んでいた。
 

 「日本は現場が強い」という話を確認させる記事である。
 「なでしこ」佐々木監督の「勇み足」をフォローした形になっている。
 一昨日の「なでしこ」 における「引き分け」狙い戦術は、それ自体、批難されるべきではない。
 ただし、そういう戦術における「意図」を口に出して言ってはいけない。
 「総動員体制確立のために色々な選手の調子を確認した」とだけ言っておけばよかったのであろう。
 佐々木監督の「日本人らい生真面目さ」がポロリと出てしまった瞬間であろう。
 だが、そういう「生真面目さ」は、国際舞台では、仇となることもあるのである。

 ところで、英国は、「陰謀の国」である。
 開会式に「女王陛下の007」を登城させる演出は、「カッコイイ」ものであったけれども、そもそもジェームズ・ボンドが身を置くMI6は、英国の対外諜報を担って来た組織である。

 英国紳士にとって、「陰謀」や「謀略」は嗜みの一つである。 
 だが、そういうものにまつわる「後ろ暗さ」を「公正」や「気品」で見事に覆い隠してきたのも、英国紳士の流儀である。
 前のエントリーでも書いたように、「『ずる賢さ』は露骨になってはいけない」けれども、それを実践してきたのが、大英帝国の歳月である。日本人は、こうしたところは本腰を入れて倣うべきなのであろう。

 「ずる賢さ」には、「公正」や「気品」という衣装を着せよ。
 
 それができなければ、バトミントンで失格になった中韓両国ペアのような仕儀になる。
 オリンピックは、色々なことを考えさせてくれる。
 

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August 01, 2012

オリンピックで問われる「ずる賢さ」

■ 何時もの通り、世は、オリンピック一色のようである。
 昨日の「なでしこ」の対南ア戦ドローは、「よい判断」であった。
 もし、まともに勝ちに行くようなことをやっていれば、「なでしこ」の名声も今が「極」になっていたような気がする。
 今後、「覇権」を握り続けようとすれば、「頑張るとき」と「頑張らなくてもいいとき」の区別は、できなければなるまい。

 ところで、開会式には、雪斎にとっての「人生の一作」である英国映画『炎のランナー』が使われた。
 ヴァンゲリス作曲のテーマをサイモン・ラトル指揮でロンドン・シンフォニーが演奏し、映画に、「ミスター・ビーン」が茶々を入れるという演出である。流石に、笑える演出である。
 この映画で描かれるのは、1924年パリ五輪、陸上短距離ででゴールド・メダルを獲得した英国青年の軌跡である。
 この映画では、見方によっては、主人公の二人にまつわる「相当にずるい」事情が描かれている。
 ユダヤ人青年は、専属コーチを付けるという当時の「アマチュアリズムの規範」からすれば問題になるような振る舞いを平気でやった。牧師の青年は、安息日である日曜日に行われる競技には出られないと訴え、急遽、出場種目を差し替えて競技に臨んだ。当然、この出場種目変更には、当時の英国代表団上層部の「政治力」がモノを言った。
 しかし、「勝てば官軍」である。彼らの活躍は、90年後の母国でのオリンピックで、思い出された。パロディー付きであったが…。

 オリンピックで問われているのは、「雄々しさ」だけではないl。
 そこに問われれているのは、「ずる賢さ」である。
 そもそも、古代ギリシャ・ローマ世界で賞揚されたのは、「獅子の威厳」と「狐の狡知」であった。
 ニコロ・マキアヴェッリは、それをルネッサンスの世に復活させたに過ぎない。

 故に、「遮二無二、全力で臨む姿勢」というのは、ただ単に「日本人の美意識」の問題であって、「戦争」の考慮の問題ではない。雪斎は、昨日の「なでしこ」戦でいえば、その「手抜き」の加減を観るのが、楽しかったと告白しておこう。問題は、そうした「ずる賢さ」が露骨に目につくか、覆い隠されるかということなのである。

 ところで、「なでしこ」の次戦は、ブラジルだそうである。
 難敵である。

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