「あさま山荘」から四十年後の風景
■ 今日、連合赤軍「あさま山荘事件」の機動隊強行突入の日から四十年目である。
一昨日午後、NHKがドキュメンタリー番組を放映していた。
事件当時、雪斎は七歳である。
「鉄球で建物を壊している光景」だけが印象に残っている。
加えて、赤軍派の面々を事件後も折に触れて、「大学に行かせてもらって下らぬことししかしなかった馬鹿」と吐き捨てた父親の表情とかである。
雪斎は、左翼運動と呼ばれるものには、微塵もポジティブなイメージを持ったことがない。
往時の極左過激派の面々が攻撃しようとした「体制」側のほうに、近しい人脈が出来上がった。
たとえば、事件処理の前線指揮官として高名なのが、佐々淳行さんである。
先週、その佐々淳行さんと会った。
佐々さんには、「永田町」で仕事をするようになってから、今に至るまで随分と世話になっている。
事件前夜、佐々さんが最重点の警備対象とした政治家が、雪斎にとっての「先代」、愛知揆一であった。
その「縁」が、雪斎にも回ってきたのである。
「そろそろ、君が正論大賞をもらえ」と佐々さんが仰っている。恐縮する他はない。
後に、事件当時の警察庁長官であった後藤田正晴さんにも、話を聞く機会を得たことがあった。
「怖い」と思った。ひとに会って、「怖い」と感じたのは、久し振りに思った。
だが、後藤田さんは、雪斎の政治認識に最も強い影響を与えた政治家の一人である。
今の政治家で、「怖い」と思わせるような例は、どれだけあるのだろう。
後藤田さんが逝去した時、追悼文を書いた一人が、雪斎である。
再掲しておこう。これも「縁」である。
□ 追悼 後藤田正晴
ところで、現在、放映中のTBSドラマ『運命の人』で、後藤田さんの役を演じているのが、伊武雅刀さんである。絶妙すぎるキャスティングであろう。
雪斎は、一時期、左翼活動家の面々と接触していたことがある。
事件から十数年後、一九八〇年代後半、雪斎は、北大学生だった。
当時、雪斎は、レーニンの著作を一通り読んだ。
アイザック・ドイッチャーの『トロツキー伝』は、面白いと思った。それにしても、分厚い書であった。
『スターリン伝』は退屈だった。
当時は、ソヴィエト連邦史を理解しようすれば、それらは、必読書だと思っていたのである。
今でも、ロシア史に触れるのは、雪斎の趣味の一つである。
そして、学食でアジ・ビラを配っていた左翼シンパの「もぐり学生」、「老残活動家」を捕まえて、「君は、『トロツキー伝』を、ちゃんと読んだかね…」と噛みついていた。当時でも、そういう著作を脇に抱えている学生は、「化石」の類であったから、彼らも雪斎を「少しは話せる奴」と勘違いしたのであろう。そのやり取りの中で、「左翼が知的だなどというのは、嘘だろう…」と思った。「マルクスやレーニンの著作を読んだ程度で、世の中のことが判ったような気になる頭脳」の持ち主が、何故、知的なのか。それ以前に、その面々の多くは、そうした著作をまともに読んでいないことが判ったのである。
当時、ミハイル・ゴルバチョフの「改革」か始まっていた。「マルクスもレーニンもまともに読んでいない左翼活動家」の姿0は、共産主義体制崩壊の予兆を示していた。
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