「紫陽花革命」という与太話
■ 「紫陽花革命」というのがあるらしい。
大飯原発再稼働に促された「自然発生的、脱政治的」な「反原発運動」のことである。
誰が呼んだのか、これを北アフリカ・イスラム圏の「ジャスミン革命」に擬す感覚が解せない。
この「運動」への評価は、各メディアで見事に割れている。
先月、総理官邸前デモの参加実数の報道ですら、2万人程度から20万人という開きがある。
デモに同情的な向きは、「多く集まった数字」を取りたいであろうし、その逆の立場もある。
だが、実際の数字は、どうなのか。
ところで、ロバート・ブレークが著した英国保守党史研究を読んでいたら、次のような記述に行き当たった。
「(19世紀)当時やそれ以降の保守主義の相当部分は、『運動』に抵抗し、それを脇に逸らし、鎮めるものであった」。
なるほど、保守主義の特性の一つは、「運動」への距離の取り方にあるのである。
だから、「保守」と目される傾向の趣旨であっても。、「運動」にかかわりを持ち始めたら、早晩、変質するものだという警戒心は、どのような場合でも大事であろう。日本で、「拉致被害者奪還」を掲げて盛り上がったのは、何時のことであったか。拉致被疑者と家族の帰還は、「地味な外交交渉」の成果であって、「運動」の成果ではない。ヴェトナム戦争を終わらせたのは、へンリー・キッシンジャーの外交手腕であって、「べ平連」の運動ではない。
同様に、「脱原発」政策推進の邪魔になるのは、おそらくは、「脱原発」運動である。「地道な議論」は一定の寄与は為し得ても、「運動」は役に立つどころか害を為すことがある。敢えて断言しておこう。
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Comments
いまだに、経済産業省の敷地に公然と存在する「脱原発テント」。
経済産業省は、敷地を不法占拠されているのに、お引き取り願うこともない。
撤去にあたり、混乱して、悪名がますます高まるのを恐れているのであろう。
脱原発は、1つの政策の方向性として、真摯に追求するに値する考えだと思うが、国家の中枢がある霞が関の一角にいつまでも、不法占拠が続くということ自体が、日本の国家力の衰微を象徴的にあらわしているように感じる。
重要な問題に、冷静な議論が日本では成立することはできないのだろうか?
Posted by: yunusu2011 | July 05, 2012 04:35 AM
脱原発は集団ヒステリーだと思います。
安保運動や2009年の民主党と同質でしょう。後世からみれば、どちらも実現不可能な目標を掲げ、メディアも理性的な議論をせず煽り、国民の大変な支持をえたものです
脱原発信者はなぜか再生エネルギーを原子力発電の代替としてあげますが、この2つは実際は敵対しない相性の非常に良い発電手段です
原子力発電は低コストで一定の出力を維持することに長けており、太陽光発電(再生エネルギー)は、総発電量はたいしたことありませんが、エネルギー需要のピーク時に発電量が最大になり、非常時に使えます
チェルノブイリから時間がたってでた、健康被害をまとめた論文では、冒頭で、放射線の健康被害よりも何よりもメディアの煽りとそれによるパニックの方がはるかに害悪であったと、わざわざ断じています。また、その論文を読むと健康被害もさほど恐ろしいともおもえず、起きる可能性がもっとも高かった小児の甲状腺がんは十分に対策されました。他の健康被害の原因との比較を考えるとタバコ、アルコール、自動車は原発の何万倍も人間を殺していると思われます
つまり、現在の国民の心に深く刻まれた脱原発、すなわち原発は恐ろしもので健康に悪い、再生エネルギーこそ原発の代替手段にふさわしい、というのは幻想であります
日本における原子力技術はこれで滅びるのかもしれませんが、今の脱原発運動は立脚点がおかしいので、過去の集団ヒステリー例と同様に、運動を維持するために変質してしまう(すでに大分おかしな事になってます)とおもいます
Posted by: stratosphere | July 05, 2012 08:28 AM
「運動」なくして「地味な外交交渉」は行われたのであろうか?
論旨に沿うにはそこいらが肝要かと。
Posted by: asdf | July 05, 2012 05:57 PM
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
12歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
Posted by: noga | July 05, 2012 11:50 PM
休日に東京へ向かう電車に乗っていると、「反原発」と書かれた帽子をかぶっている方がいました。
電車に乗り、涼やかなクーラーにあたっりながら、うとうとと眠っているその方の寝顔を見ながら、「反原発といっても、所詮フリだけなんだな。」と思いました。
かつて90年代初頭に反原発運動が盛り上がった時に、一切電気を使わないと宣言した運動家がいましたが、奥さんが妊娠すると、あっさりと宣言を撤回してしまったことを思い出しました。
反原発を気取ってはいるが、有効な代替案を示すわけではなく、自分の生活を崩すわけでもない。そんな運動では何ら説得力を持ちません。運動は早晩行き詰まり、分裂や、責任を押し付けあって内部対立を始めるように思えます。
Posted by: いしかわ | July 23, 2012 11:01 PM