つひに屋とどむる事を得ず
死刑の廃止?
鮎川潤「腐敗する「法の番人」」(平凡社)は、警察、検察、法務省、裁判所の裏側を描いた上で、司法の再生を考えるという内容です。特に強く主張しているのは、「人質司法」に代表される制度的な歪みを是正して、実質的な平等及び裁判の公正を実現すべきだという点です。また、国際的に尊敬されるためとして、死刑制度の廃止を実現すべきだとしています。著者によれば、死刑の問題性に関して、国民の意識が低いレベルに止まっているのは、外務省などが積極的に広報していないからだとのことです。「人質司法」によって冤罪が発生する恐れがあるというのは、理解できます。犯罪への抑止力が低下しない限りにおいて、積極的に改善したらよいと思います。ただ、死刑の廃止は、どんなに政府が旗を振っても、国民は望まないでしょう。悪逆非道の限りを尽くしても、命は取られないということなら、平気で人殺しも強盗も火付けもやる人間は出てくるでしょう。死刑を廃止することで、どんな悪人でも命だけは助かりますが、被害者や遺族たちには、どんな意味があるのでしょうか?裁判で、被告に死刑判決を望むと発言する遺族の気持ちは分かります。死者は戻りませんが、せめて敵を討ちたいのです。私の好きな「七人の侍」にも、息子を野武士に殺された老婆が、捕虜となった野武士をクワで打ち殺すというエピソードがありました。侍たちは、その行為が、武士の倫理に反しているとは考えましたが、誰も止めることができませんでした。死刑制度がいずれ全世界で廃止されるという見方は、本当に正しいのでしょうか?死刑制度を廃止しないことは、本当に遅れていることになるのでしょうか?
老後と経営
岩尾俊兵「世界は経営でできている」(講談社現代新書)は、「〇〇は経営でできている」と論じる知的なエッセイ集です。〇〇には、貧乏、家庭、恋愛、勉強等が入ります。老後は12番目のテーマです。著者は、老後を巡る悲喜劇は、人生経営の失敗によって生まれると述べています。失敗事例として、介護施設で威張り散らす人、胡散臭い話に乗って老後資金を溶かしてしまう人、図書館の新聞コーナーで小競り合いをする人、場末のスナックで歌を聴かせようとして出禁にされる人、役所や病院でクレームをつける人、権力を手放さない人、退職金を居場所つくりに浪費する人などが、描写されます。要は、「相互尊敬の欠如」、「目的と手段の転倒」が、失敗の本質だと、経営学者らしい総括をしています。では、どうすればよいのでしょうか?著者は、他人に対して思いやりを求めるには、まず自分が思いやりを持って行動するということではないかと示唆しています。「愛は地球を救う」ということでしょうか?老後はなかなか難しい経営課題なのです。
アートとマネー
日経新聞に、現代アートがマネーと共鳴しているという記事がありました。オークション市場は、この20年で、25倍に膨張しています。中国市場は、世界の32.4%を占め、アメリカに迫る勢いです。これほどマネーがアートに向かっているのは、現代アートが、特に収益率の高い資産になっているからです。マネーがマネーを呼ぶという状況です。保有資産3000万ドル以上の超富裕層は、資産の5%程度をアート、時計、ワインなどに投資しているのだそうです。日本人アーティストでは、草間彌生さん、奈良美智さん、村上隆さんなどが、売上高が高い人たちのようです。彼らは世界で有名ですが、現代アートの市場が活性化している今、次世代の日本の若手芸術家にもチャンスがありそうです。それにしても、アートに関して誰が売れるのか、誰の作品が高価格で将来取引されるのか、目利きをするのは至難の業でしょう。どうしても素人には、市場自体がバブルに見えてしまいます。しかし、新興国からの買い手が次々と登場しています。広い自宅を所有している富裕層が、室内を飾るお気に入りの一点物のアートを求める気持ちは、分かる気がします。村上隆さんの作品を複数所有している人も、経済的な投資が目的というよりも、自分に必要な精神的効果を得るための装置と考えているのではないかと感じます。そもそも、カネが余っていないとアートには手を出さないでしょう。将来高く売れるから買うわけではないのです。
« 世にしたがへば身苦し | トップページ | わが心と一の庵をむすぶ »
コメント