親ぞ先立ちける
安倍政権の評価
後藤謙次「安倍「超長期政権」の終焉」(岩波書店)は、政治記者が、安倍政権で起こったことをドキュメントとして記録し、現時点における多面的な評価を試みた作品です。最も興味深いと感じるのは、森友学園(国有地払い下げ)及び加計学園(獣医学部新設)のモリカケ問題です。両者は、安倍総理への忖度により、行政判断に大きなゆがみが生じたスキャンダルでした。前川前文科事務次官による告発と、安倍総理及び菅官房長官による口撃(読売新聞によるスキャンダル暴露報道を含む)は、歴史的に見ても極めて異例の展開を辿りました。それと並行するように進んだのが、小池都知事による「希望の党」による政権構想による危機でした。結局、新党は混迷状態に陥り、国民の支持を失い、モリカケ問題は、事実関係が確定されることもなく、疑惑を残して幕引きとなりました。著者は、中曽根政権の後藤田官房長官を例に挙げて、直言型の政治家を周囲に置かなかった安倍政権の危うさを指摘しています。ある政治家の言を引用して、安倍さんの長所は友人を大事にすること、欠点はその人たちを、かばいきることだとしています。非を認めて謝れば済むことを、意地になって事を大きくしたと批判する先輩政治家の声も紹介しています。もう一つ、注目したいのは、「隠れ移民大国」への転換です。技能実習生という、本体の趣旨とはかけ離れた劣悪な労働環境で外国人を働かせる問題のある制度が創設されたのも、安倍政権でした。安倍総理は、繰り返し、この制度が移民制度の導入ではないと説明しています。しかし、地方の産業が人出不足で崩壊しかねないために、外国人のマンパワーが必要とされたために、急遽導入された苦肉の策でした。今や、大量の逃亡者を出し、一部は不法残留者となり、彼らが集住する街は犯罪の温床となっています。非業の死を遂げた安倍総理には、いまだにファンも多いでしょうが、大きな負の遺産(アベノミクスによる金融政策の歪みを含む)を残したことも事実だと思います。
受刑者にさん付け
全国の刑務所で、受刑者の呼び方が変更されたとのことです。誰の発想か分かりませんが、刑務所が、受刑者をお客様扱いして、楽しい生活を過ごす場所になるのでしょうか?滑稽です。受刑者の人格を尊重するなら、刑罰になりません。基本的に、生存に関わる最低限の人格は尊重するにしても、社会に代わってお仕置きをするわけですから、手ぬるいことでは困ります。二度と戻りたくないという程度に、厳しい環境にしておくべきだと思います。さん付けにすれば、お客様扱いで、刑罰の趣旨が損なわれます。刑務所がありがたいシェルターになっては、本末転倒です。日経新聞は、刑務所と社会の関係を新たにする第一歩だとしていますが、受刑者暴行事件によって、再発防止策の振り子が振れ過ぎた結果だと感じます。少なくとも呼称については、元に戻した方が良いと思います。
美術館と抗議活動
日経新聞の文化欄で、この3月に、西洋美術館主催の展覧会の内覧会で、出品者が、イスラエルによるガザ侵攻をジェノサイトとして断罪し、オフィシャルスポンサー(川崎重工)が、防衛省に納入するイスラエルからの攻撃用ドローンの輸入を検討していることに関して、抗議活動を行ったことが紹介されていました。この種の活動は、海外でも行われているそうで、西洋美術館も、芸術家による抗議活動を尊重したとのことです。仮に、美術館での抗議活動が、言論の自由や思想信条の自由で保障されるべきだとするなら、一般の入場者によって、抗議活動が行われることも容認するのでしょう。しかし、少なくとも敷地内での拡声器の使用などは、全面的に禁止した方が良かったのではないでしょうか?反イスラエルの活動に刺激されて、イスラエルによるガザ侵攻を擁護する立場の活動が、行われてもおかしくありません。そうした宣伝合戦が敷地内で行われるようになれば、美術館の混乱は必至です。スポンサーとの契約の基準は、西洋美術館が決めればいいことですが、あらゆる企業活動に正統性があるかを美術館が判定することは、非常に難しいと思います。ケチを付けようと思えば、幾らでもできるので、スポンサー探しは極めて難航するでしょう。歴史的に、芸術活動は、巨万の富を蓄えている富裕層によって支えられてきました。今回のような抗議活動が起こるなら、君子危うきに近寄らずで、上場企業はメセナからは撤退して行くでしょう。美術館を抗議活動の場とすることを認めることは、百害あって一利なしではないでしょうか?内覧会という公式行事の最中に、こうした活動を容認してしまったのは、国立美術館の運営に大きな禍根を残す判断ミスだったと感じます。
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