@nifty TimeLineはちょこちょこバージョンアップしていて、とうとう昨年12/12に「自分史」を作る機能が実装された。これまでも個人的に自分史を作成していたユーザはいたが、今回の機能実装によって、ログインしてマイページへ飛ぶと「はじめてのデートはいつ?」などと質問が一つ表示され、日付とコメントを入れると「自分史」というタイムラインにその出来事が追加されるようになった。もちろん、質問されていない出来事もタイムラインへ追加できる。
これがなかなか好評なようで、新着の出来事に自分史関連が目立つようになった。また、カテゴリごとにタイムラインの総数が見られるのだが、他のカテゴリが30~60くらいなのに対して、自分史は330以上と約5.5~11倍の数がある。
面白いのはこうした自分史タイムラインのユーザを見ると、たいていが他にタイムラインを作っていない(か、公開していない)。つまり自分史機能が実装されて、おそらくはじめて@nifty TimeLineでタイムラインを作るようになったのだ。
確かに「質問に答える」というのは「何を書くか」から考えるよりも敷居が低い。1回ページを読み込むごとに1質問というボリュームも、面倒臭さを感じさせない。また、最初に生まれた日付を尋ねられ、(おそらく)それに即した質問も用意されている。つまり1990年生まれの人には、それ以前の社会的な出来事に関する質問は出てこないのだ。
また特定の出来事のときは何歳だったかも表示される。「小学1年生の運動会のかけっこで何番だった?(7才)」といった具合に。なかなか心憎い演出。
興味深いのが、自分史タイムラインを公開しているユーザは(記入された生まれた日付を信用するなら)、Over35がメインということだ。してみると、自分史機能はこうした世代の「自分語り」に対する欲求をまずまず上手くすくいあげたことになる。
一方で、昨今のwebサービスにおいて「自分語り」ツールとして注目を集めているのがプロフだろう。これはサービスが多いのだけれど、とにかく「自分はこんな人だよ」ということを書くことに特化している。まあ、若年層では「今の自分の気分」みたいなものを一言書くような使われ方もされてるようだけど。
上手い具合に@nifty アバウトミーというプロフサービスがある。こちらを見てみる…。が、年齢が判らない。本当はそちらの主なユーザ年齢層を調べたかったのだけれど。
というのも(以下、妄想全開です)、自分史とプロフというのは同じような欲求の解消を異なる世代に対して提供するツールなんじゃないかと思ったからだ。ああ、つまり。「自分語り」という同じような欲求の解消ツールとして高めの年齢層は自分史を好み、低めの年齢層はプロフを好むんじゃないかということ。
で、どうして年齢層によって好むツールに差が出るのかといえば、一つは世代差。どうもある程度より上の世代は自分を語る際に「物語性」が付加されることを好み、それ以下の世代は「物語性」というものをあまり重視しないんじゃないかと。その差は人格形成期にいわゆる「大きな物語」が機能していたモダン社会で育ったか、それが崩壊したとされるポストモダン社会で育ったかということに由来する気がする。
ある程度より上の世代は細かな断片の総和ではなく、一つの一貫した流れとして物語化されたものとしての自己を規定したがる。一方で、もはや統一的な物語としての自己を語ることが困難になった(ような空気感のある)社会でそだった世代は、一つの「歴史」として自己を物語化することがさほど魅力的ではなく、むしろプロフという断片的なデータの総和として自己を規定したがる。「いま、ここ」ということが喚起する欲求の強弱も関係しているだろうか。自分史では「かつて、どこかで」を記すのが主だが、プロフの質問事項は「いま、ここ」であなたがどうか?を記すのが主だ。(そう、プロフも共有された様々な質問に答えていき、それを自分のプロフへ載せるのがのが人気の機能らしいのだ)。こうした「いま、ここ」という再回帰しない感覚への欲求の度合いはポストモダン社会の方が強い(あれ?逆だっけか?それとも無関係だっけ?まあいいや)。
余談だけれど、これは形式としては「編年体」と「紀伝体」との違いとして対比できるかもしれない。
もう一つ、自分史は長いタイムスパンを生きていればいるほど、書き込める範囲や事柄が広がって楽しみやすい。逆にプロフは人生の長短に関わらず、多くのトピックスに答えられる引き出しが多いほど、書き込める範囲が広がって楽しみやすい。(なんとなく「年功序列」と「実力主義」をイメージさせる)
とまあ、そんなわけで今年最初の記事は突っ込みようもないほど痛い妄想になってしまいましたが、みなさん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
これがなかなか好評なようで、新着の出来事に自分史関連が目立つようになった。また、カテゴリごとにタイムラインの総数が見られるのだが、他のカテゴリが30~60くらいなのに対して、自分史は330以上と約5.5~11倍の数がある。
面白いのはこうした自分史タイムラインのユーザを見ると、たいていが他にタイムラインを作っていない(か、公開していない)。つまり自分史機能が実装されて、おそらくはじめて@nifty TimeLineでタイムラインを作るようになったのだ。
確かに「質問に答える」というのは「何を書くか」から考えるよりも敷居が低い。1回ページを読み込むごとに1質問というボリュームも、面倒臭さを感じさせない。また、最初に生まれた日付を尋ねられ、(おそらく)それに即した質問も用意されている。つまり1990年生まれの人には、それ以前の社会的な出来事に関する質問は出てこないのだ。
また特定の出来事のときは何歳だったかも表示される。「小学1年生の運動会のかけっこで何番だった?(7才)」といった具合に。なかなか心憎い演出。
興味深いのが、自分史タイムラインを公開しているユーザは(記入された生まれた日付を信用するなら)、Over35がメインということだ。してみると、自分史機能はこうした世代の「自分語り」に対する欲求をまずまず上手くすくいあげたことになる。
一方で、昨今のwebサービスにおいて「自分語り」ツールとして注目を集めているのがプロフだろう。これはサービスが多いのだけれど、とにかく「自分はこんな人だよ」ということを書くことに特化している。まあ、若年層では「今の自分の気分」みたいなものを一言書くような使われ方もされてるようだけど。
上手い具合に@nifty アバウトミーというプロフサービスがある。こちらを見てみる…。が、年齢が判らない。本当はそちらの主なユーザ年齢層を調べたかったのだけれど。
というのも(以下、妄想全開です)、自分史とプロフというのは同じような欲求の解消を異なる世代に対して提供するツールなんじゃないかと思ったからだ。ああ、つまり。「自分語り」という同じような欲求の解消ツールとして高めの年齢層は自分史を好み、低めの年齢層はプロフを好むんじゃないかということ。
で、どうして年齢層によって好むツールに差が出るのかといえば、一つは世代差。どうもある程度より上の世代は自分を語る際に「物語性」が付加されることを好み、それ以下の世代は「物語性」というものをあまり重視しないんじゃないかと。その差は人格形成期にいわゆる「大きな物語」が機能していたモダン社会で育ったか、それが崩壊したとされるポストモダン社会で育ったかということに由来する気がする。
ある程度より上の世代は細かな断片の総和ではなく、一つの一貫した流れとして物語化されたものとしての自己を規定したがる。一方で、もはや統一的な物語としての自己を語ることが困難になった(ような空気感のある)社会でそだった世代は、一つの「歴史」として自己を物語化することがさほど魅力的ではなく、むしろプロフという断片的なデータの総和として自己を規定したがる。「いま、ここ」ということが喚起する欲求の強弱も関係しているだろうか。自分史では「かつて、どこかで」を記すのが主だが、プロフの質問事項は「いま、ここ」であなたがどうか?を記すのが主だ。(そう、プロフも共有された様々な質問に答えていき、それを自分のプロフへ載せるのがのが人気の機能らしいのだ)。こうした「いま、ここ」という再回帰しない感覚への欲求の度合いはポストモダン社会の方が強い(あれ?逆だっけか?それとも無関係だっけ?まあいいや)。
余談だけれど、これは形式としては「編年体」と「紀伝体」との違いとして対比できるかもしれない。
もう一つ、自分史は長いタイムスパンを生きていればいるほど、書き込める範囲や事柄が広がって楽しみやすい。逆にプロフは人生の長短に関わらず、多くのトピックスに答えられる引き出しが多いほど、書き込める範囲が広がって楽しみやすい。(なんとなく「年功序列」と「実力主義」をイメージさせる)
とまあ、そんなわけで今年最初の記事は突っ込みようもないほど痛い妄想になってしまいましたが、みなさん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
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