てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

巳年の終わりは竜頭蛇尾

2013å¹´12月31æ—¥ | é›‘想


 2013年は、本当に情けない一年だった。

 10月までは毎日のブログ更新を欠かさず、さまざまな記事を自分のペースで綴ってきて、それが生き甲斐でもあったのだが、11月ごろからついに息切れしはじめ、パソコンから遠のく日々が多くなった。

 その理由としては、やはり仕事に振り回されたことが大きい。これではもたないと、今年いっぱいで転職することにしたのだが、再び芸術を生活の中心軸に据えることができるかどうか、自信はない。

 書きかけのままになっている記事が何本かあって、それが心残りだし、いまだに稿を起こしていない記事もいくつかある。それらがいずれ完結するのかどうか、今は何ともいえない。ただ、年の区切りをひとつのバネにして、もう一度気持ちを新たにしたいと切に願っている。

 ただ、こんな虫のいい願望は、そんじょそこらの神社に詣でても、容易に叶えられないだろう。自分で自分の尻を叩くために、年明け早々、東京行脚を敢行することとした。何といっても東京は、関西の美術館に比べて、正月休みが驚くほど短いのだ。予算の関係で高速バスでの移動になるため、Uターンのラッシュに巻き込まれないかどうか今から不安だが、東京で栄養をたっぷり吸収して、充実した新年に備えられればこんなにうれしいことはない。

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 本年も、つたないブログにお付き合いいただきましてありがとうございました。皆様のご多幸をお祈りして、ぼくにとっては不本意だった一年を締めくくることにいたします。

 来年もご愛読いただければ幸いです。それでは、よいお年を。

(画像は記事と関係ありません)

2年遅れの微笑み ― 「プーシキン美術館展」を観る ― (3)

2013å¹´12月17æ—¥ | ç¾Žè¡“随想

クロード・ロラン『アポロとマルシュアスのいる風景』(1639年頃)

 クロード・ロランは、風景画の元祖のひとりと呼んでも過言ではあるまい。彼がいなかったらその後のターナーも、そして同じ名前をもつクロード・モネもあらわれていなかっただろう。

 ただ、風景だけで絵画を成立させることは、時代が許さなかった。ロランはさほど革新的な人物ではなかったからか、うまい具合に抜け穴を見つけ、自分の画風を存分に展開していった。要するに神話の一場面を描いているという口実なのだけれども、作品の比重としては、はるかに風景のほうが大きいのだ。

 この『アポロとマルシュアスのいる風景』も、まさにそんな一枚である。したがってアポロとマルシュアスなる人物が、いや神がいったいどんな性格であるか、神話の世界とは縁遠いわれわれが知ることもないだろう。

 むしろ逆に、知らないほうが無心にこの絵を風景画として眺めることができるかもしれぬ。というのも、画面の右下で木の幹に体を縛りつけられたマルシュアスは、これから皮を剥がれようとしているところだからだ。いとも残酷な神話の世界と、何ごともなかったように広がる雄大な景色の美しさとのギャップが、不可解な哲学の命題のように突きつけられる。おそらくは、しばしば眼を背けたくなるようなグロテスクな内容をもつ神話を見せられることに、ロランは耐えられなくなったのではなかろうか。

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セバスティアン・ブールドン『犠牲をささげるノア』(1650年代半ば)

 こちらも神話の絵だ。日本でもよく知られたノアの方舟の物語の、水が引いたあとの場面らしい。せっかく多くの動物たちを助けたのに、そのなかの一部を犠牲にささげて神に謝するというのは何だか矛盾しているような気もするが、「創世記」にはそのように書かれているのだろう。

 手前に描かれた石組みは、祭壇である。小さな炎から大量の煙が立ちのぼり、風景の半分近くを覆い隠してしまっているが、まるで巨大な土器のように背後に鎮座しているのが方舟だという。われわれの思い描く舟とは、だいぶ形状がちがうようだ。これは、画家の想像の産物だろうか。


参考画像:ニコラ・プッサン『アルカディアの牧人たち』(1638-1640年頃、ルーヴル美術館蔵)

 図録の解説には、このブールドンという画家はプッサンの影響を受けたと書かれている。たしかに、石組みを中心として人々の心理が交錯するさまを描き出している点では、プッサンの代表作である『アルカディアの牧人たち』を彷彿とさせるところがなくもない。

 ちなみに、ブールドンの絵のなかでぼくが強く惹かれるのは、いちばん右端に描かれた祈りをささげる女性の姿である。この人物だけがまるで浮き彫りのようで生気が感じられないのだが、プッサンの『アルカディアの牧人たち』に描かれている色白の女性の、少し世俗を超越したようなとらえどころのなさと相通じるように思われるからである。

 おそらくは名もない女性が真摯に祈る姿に、信仰の素朴なありようが端的にあらわれている。不信心なぼくには、そんなふうに感じられるのだ。

つづく
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2年遅れの微笑み ― 「プーシキン美術館展」を観る ― (2)

2013å¹´12月16æ—¥ | ç¾Žè¡“随想

シモン・ヴーエ『恋人たち』(1618年)

 この、まるでレイモン・ペイネが描いたチャーミングなカップルを思わせるタイトルをもつ絵は、意外にも鬼気迫る状況をとらえているように見える。男と女は手をつなぎ合い、男は相手の肩に手を回していて、たしかに仲睦まじい様子だともいえるが、表情が異常に深刻なのだ。

 女が男の喉もとに伸ばす手は、まるで短剣か何かを突きつけているようで、生々しい。けれども、彼女は男の襟のあたりをつまもうとしているだけのようでもある。愛し合うふたりは、恋の炎に駆られて寄り添っているにすぎないのだろうか。

 そのわりに悲劇のワンシーンのような迫力を感じさせるのは、この絵が光と闇によってダイナミックに演出されているからにちがいない。解説にも書かれているが、ここにはカラヴァッジオの影響が顕著である。ただ、そういった劇的な演出法が、描かれている人物の素性をややわかりにくくしていることもたしかなことだ。

 いまだにこの絵のテーマははっきりしないそうだが、多分そのへんに理由があるのだろう。この時代は、ごく当たり前の人間をごく普通に描く、といった手法が確立されておらず、絵画それ自体が一般よりも高みにあって、見上げるような存在だった。同時に画家たちは、自分は選ばれた存在だとして、その道を極めるべく精進するように運命づけられていた。今のように、ちょっとぐらい“絵心がある”からといって美術の仕事を選ぶような時代ではなかったのだ。

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ルイ=レオポルド・ボワイー『プレリュード』(1786年頃)

 ヴーエと同じく、このボワイーという画家にもほとんど馴染みがないが、こちらはあからさまな恋愛がストレートに描かれている。ヴーエの絵のように、何が表現されているか悩む必要もない。この作品は、今では忘れられたオペラから着想を得たものらしい。

 けれども、オペラの舞台そのものを写生したというわけではないだろう。女はピアノの椅子に腰かけ、手にはヴァイオリンを持っているだけでなく、右の手前の暗がりにはギターのようなものも置かれていて、いったい彼女は何の楽器を得意としているのかよくわからない。ただ、そのすべてを投げ打って、今は男の接吻を受け入れている。

 ついでにいえば、左側の椅子には画家が細密描写をおこなう際に手を支える棒状のものが立てかけられており、要するにこの絵は高度な芸術全般が恋愛感情に敗北したということをあらわす寓意画のようなものではないか、とぼくには思われた。


参考画像:ジャン・オノレ・フラゴナール『かんぬき』(1780-1784年、ルーヴル美術館蔵)

 もうひとつ、ぼくの脳裏に浮かんだのは、ほとんど同じころに描かれたフラゴナールの『かんぬき』という名画である。ここに描かれているのは恋愛というよりも、端的な衝動と呼ぶほうがふさわしい。男は自分の願望を成就させるために、女を抱きすくめながら扉にかんぬきをかけている。女は体をよじりながらも、ほどなく男の接吻を受けてしまうであろうことは眼に見えている。

 共通しているのは、すべてが光と闇のドラマに乗じておこなわれているという点だ。しかしこの3枚の絵のいずれにも、光源はまったく描かれていない。時代が近代になるにしたがい、絵画が陽光の明るみをふんだんに取り入れるようになって、このような陰影豊かな男女のドラマは画面から追放されざるを得なくなったのである。

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2年遅れの微笑み ― 「プーシキン美術館展」を観る ― (1)

2013å¹´12月04æ—¥ | ç¾Žè¡“随想

〔神戸市立博物館〕

 いつの間にか、すっかりブログから遠ざかってしまった。まだまだ、ぼくの生活の芯が定まっていない証拠だ。これではいけない。

 記事を書くのをサボる一方で、展覧会にはしょっちゅう出かけている。この10月以降、東京にも行ったし、福井にも出かけた。そのほかに、今年が記念の年にあたる織田作之助やベンジャミン・ブリテンのことについても書ければいいと思っていたが、どうやら年内には間に合いそうもない。こうやって目標を達成し得ないまま、一年は過ぎていく。嗚呼。

 気を取り直して、すでに古くなった記憶を掘り起こすのではなく、最近観た展覧会について書こうと思い立った。ここから、コンスタントな執筆の再開へのきっかけがつかめればいいと思う。

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〔「プーシキン美術館展」のチケット〕

 先ごろ、平日の休みを利用して、久しぶりに神戸市立博物館へと足を運んだ。今年の正月に、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』に会いにきて以来のことだろうか。

 三宮周辺の地下街は、すっかり新しく生まれ変わっていた。少し戸惑いながら、ようやく馴染みの地下道を探り当てて進む。地上へ出ると、すでにルミナリエの設営ができていて、何万という電球が灯されるのを今か今かと待っている。まるで、寒さを耐え忍ぶ木々の蕾のようだ。

 ここを訪れたのは、プーシキン美術館の展覧会を観るためである。ただ、本来ならこの催しはもっと早くおこなわれているはずのものだった。ところが例の大震災と、それにともなう原発事故が起こり、お流れになってしまったのである(「幻になったコンサート(2)」参照)。このたび、おそらくは美術館側の判断によってだろうか、遅ればせながら開催される運びとなったのだが、チラシや公式サイトにはそのことについて何も触れられていない。

 プーシキン美術館の展覧会は、これまでにもしばしば開催されてきた。新しいところでは、2005年から翌年にかけて国内を巡回し、ぼくも大阪で観た覚えがあった。そのせいか、少しぐらい会期がズレても、いつか必ず観ることができるにちがいないと思い込んでいたふしがある。

 けれども今は、そんな余計なことは忘れて、遠路はるばるやって来た名画たちを楽しみたかった。今回はロシアの美術館の展覧会にもかかわらず、フランスの作品のみにしぼった内容だという。日本人の西洋美術受容の原点ともいえる近代フランス絵画の歴史を、改めてたどり直してみるのにいい機会かもしれない。

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