てつりう美術随想録 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821?fm=rss tetsu-t0821 2022-03-04T08:13:00+09:00 ja ⒸNTT DOCOMO, INC. All Rights Reserved. https://blogimg.goo.ne.jp/user_photo/15/da4e93cc49226c374c7bea626ff78f31.jpg?1646158720 てつりう美術随想録 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821?fm=rss 美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。 美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。 http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss 緑に囲まれて(1) https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/07daf6c75135dce875941f304941b199?fm=rss <![CDATA[
旧「香櫨園」駅の看板(2020年3月21日撮影)

 西宮市大谷記念美術館には、よく足を運ぶ。ぼくにとって、心の休まる場所のひとつである。同じ西宮にある、甲子園などとは対照的かもしれないが…。

 最近、中之島にオープンした新しい美術館にもいえることだが、“規模の大きさ”が売りになっているような気がしないこともない。展覧会の内容もそうだけれど、いわゆるハコの規模についてもそれは当てはまる。つまり遠くからでも見える大きな建物に、何百点もの作品が詰め込まれている、そんな印象が強いのである。

 もちろん美術ファンにとって、そういうハコも必要だ。もうおなかいっぱい、というぐらい次から次へと名作が眼の前にあらわれる、といった展覧会にも、食指が動く。これぞ美術を観る醍醐味だ、と痛感できることも少なくない。日本という国は、最近ではコロナとの兼ね合いもあるが、そういったゴージャスな展覧会が絶えず開かれている稀有な国のひとつなのである。

 だが、ときには、こぢんまりとした美術館へ出向き、言葉はわるいが“貸し切り”のような静寂のなかで美術と向き合いたい、と思うこともある。人が少ないということは、運営側としてはあまり歓迎すべき状況とはいえないかもしれないが、観客としては、まことに贅沢な空間を提供されている心地になる。

 誰もいなかった展示室に入っていくとき、監視員がきちんとした姿勢で椅子に腰かけているのを眼にすると、心のなかで“さあ、お仕事ですよ”と呼びかけたい気持ちにもなる。もちろん監視員にとっても、退屈で仕方ない時間があるはずなのだが…。一種の“黒子”に徹している監視員の方々には、本当に「お疲れさま」といいたい。貴重な美術品の価値が守られているのは、監視員の方々のおかげだ、といってもいいのだから。

                    ***

 西宮市大谷記念美術館では、これまで行列に並んだこともなく、人込みに揉まれたこともない。いつ行っても、閑散としている。昨今慣れ親しんだいいかたなら、いわゆる“密”になることがまったくないといえる。つまり、コロナからもっとも安全な場所のひとつでもある。

 かつて、美術館は軒並み休館を余儀なくされる時期もあった。だがぼくは「なぜ?」という疑問を抑えることができなかったのだ。場所によっては、これほどコロナの蔓延から程遠いところもないのに…。

 この日も、しとしとと雨の降るなか、阪神の香櫨園(こうろえん)駅を降りた。この香櫨園にはかつて、遊園地があったらしいということを井上靖の小説で知ったが、今はその痕跡はまったくない。ただ、駅前に貼られた旧式の看板だけが、当時を偲ばせる。

 ラブホテルや和菓子店などが点在する、まったく統一感のない町を、しばらくとぼとぼと歩く。すると、不意に緑豊かな美術館の敷地が出現するのである。住宅街のただなかに、いきなり、という感じだ。もっとも、隣には村上春樹が卒業したという小学校が建っていて、コアなファンが見物に訪れてもよさそうだが、今のところそんな気配もない。いわゆる閑静な住宅街である(ただ、小学校の建物は最近、全面的に建て直された)。

 美術館の入口を入ると、広々としたフロアが広がり、ベンチがいくつか置かれていて、その向こうには日本庭園の美しい景色がガラス越しに眺められる。この開放的な空間が、ぼくは好きだ。いかにも展示室に誘導されるような、機械的な構成ではない。無心に、いつまで佇んでいてもいい。都会であくせく働いていると、こんな空間の遊びが、どんなに大事なものか分かってくる。

 そう、美術は、“空間”とともにあるものなのだ。かつて生前の元永定正が、ここの展示室まるまる一室を使って無邪気な即興制作をおこなったのも、そんな心のゆとりのあらわれであったろうかと思える。

つづく ]]>
美術随想 2022-03-04T01:46:13+09:00 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/07daf6c75135dce875941f304941b199
大阪の街を歩いて https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/9cf69069f14ee4ef0a3bdbbdeee1813c?fm=rss <![CDATA[

 昨年の12月のことであるが、「新型コロナ」以外の話題が世間をざわつかせることになった。各局のテレビのニュースはトップでこのできごとを扱い、世間の関心もかなり高かったようだ。

 それこそが、大阪の北新地で突然発生した放火事件である。容疑者も死亡してしまい、これ以上調べても明らかになることはほとんどないだろうし、砂を噛むような虚しさと、「何とかしてこの事件を未然に防げなかったのか」という切なる思いが、今でも胸の中を去来する。

 というのも、この放火されたビルは、ぼくがいつも通勤で利用している駅のすぐ近くなのだ。けれども駅は地下に潜っており、会社への往復も地下道を使っているので、普通に行き来していただけでは、火事の現場を見ることはない。ぼくは野次馬に成り下がりたくはなかったので、わざわざ地上に出て焼け跡を眺めることもしなかった。ただ家を出る前に、テレビの中継で現場からの映像を見て、大変なことが起こったな、今日は無事に出勤できるだろうか、と考えたばかりである。

 だが、地下の駅を降りて会社へ向かう途中、さっきのニュースは嘘ではなかったのかと思うほど、何ごとも普段どおりであった。すぐ近くのビルで大惨事があり、多くの人が巻き込まれて亡くなったことなど誰も知らないかのごとく、いつものように人々は談笑し、親子連れや恋人たちは手をつないで楽しそうに歩いていたのである。

 一方で、出勤先ではもちろん、その火事の現場を見た、などの話で持ち切りであった。それをまるで自分の手柄であるかのように、大声で話しつづける人もいた。けれども、命を落とした罪もない多数の人々、そして凶行に至った犯人の心境などを思うにつけ、ぼくは胸の底に大きな石を詰め込まれたかのように無口になり、周りの誰かのように話の輪に入ることはできなかったのだ。

                    ***

 思うに、最近、奇妙なことが多すぎる。社会のひずみのようなものが、あちこちに露出しているような気がするのである。

 日本という国は、以前はもっと平和な、のどかな国だったと思うのだが、いつからこんなふうになってしまったのであろう。いや、ウクライナのように戦争に巻き込まれているわけではないから、平和は平和だ。ただ、見えないところで、人の心を傷つけて得意になっている人が増えているように思えてならない。

 これを“陰湿化”といってしまえば、話は早かろう。けれども、人の命や性格といったものが、年月を越えて受け継がれて行くものだとしたら、今のこの異常な事態が、いつか“顕在化”してしまわないとも限らない。むしろ、病巣がどんどん皮膚の下に潜り込み、根治させるのが困難な事態に立ち至っている、とはいえないだろうか。

                    ***

 先日、夜遅く、その火災の現場の前を通り過ぎた。そこは雑居ビルだったから、各階にさまざまな店が入っているのだが、今はもちろん、どこも営業していない。そのときは事件が発生してからすでにかなりの日数が経っていたからか、特に警備の人がいる様子もなかった。

 ただ、ビルの前に、慰霊の花束が山のように供えられていたのである。これは、大阪のような都会では滅多に見ることのない、異様な眺めであった。大阪ではしょっちゅう、鉄道の人身事故が起こるが ― そしてかなりの確率で死者が出ているのだが ― 現場に花が手向けられているのを見たことはない。むしろ、他人の迷惑を考えろ、といったドライな声がSNSに溢れたりするのではないかと思うのだが、このたびの悲惨な放火の場合には、通行人の迷惑を顧みることなく、路上に花束が山と積まれていたのである。

 これが、今の時代では見えにくくなった良心の姿なのか。いや、そんな簡単なものではないであろう。ただ、都会の人込みに紛れてしまった人間の心の一部が、そこに漂っているような気配はしたのだった。あってはならない、つらい事件の付属物としてだけれども…。

 しかし数歩進むと、すぐそばのビルでは、コーヒー店でくつろぐ客たちがカップを前にスマホいじりに没頭しているのが見えた。これも、好き嫌いはどうあれ、現代を代表する風景の一部である。

 多くの人が亡くなった現場、そこに供えられた大量の花、そしてその近くでは平常どおりスマホに夢中になる人々。これが都会の断面図なのだ、といえばそうであろう。だが、ぼくはこういった人々に混じって、どうやって生きていったらいいのか、そんな問いを突きつけられたような一夜であった。

(了)

(画像は記事と関係ありません) ]]>
その他の随想 2022-03-02T02:47:51+09:00 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/9cf69069f14ee4ef0a3bdbbdeee1813c
新年のごあいさつ https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/eb52cc5340469dbd7dcbfb27e48f733e?fm=rss <![CDATA[


謹賀新年
本年もよろしく  お願い申し上げます。
2022年 元日
竹内栖鳳『雄風』(部分、京都市美術館蔵) ]]>

雑記 2022-01-01T22:26:07+09:00 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/eb52cc5340469dbd7dcbfb27e48f733e
日々のこと(1) https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/3a5c4157cb939440f063cfb2a3779eff?fm=rss <![CDATA[

 去年からは、まったくひどい日々の連続だ。もちろん、例のウイルスのことである。われわれの日常生活というものは、去年を境に、本当に一変してしまったのだろうか? そうは思いたくないのだが。

 美術の面に限っても、さまざまなスケジュールの変更があり、休館に追い込まれる美術館も相次いだ。休みのたびごとに展覧会に出かける習慣のあるぼくとしては、困惑するしかない事態だった。しょうがないから、あまり“密”になることのない植物園などへ出かけ、木々の鬱蒼と茂るなかを歩いたりして時間をつぶしていたものだ。

 やがてそんな日も過ぎ、休館明けの最初の日に、南大阪にある小さな美術館に出かけて行った。他に来客は誰もおらず、監視員の姿もなかったので、ぼくはマスクを外し、それまでの飢えを満たすように、絵画とじっくり向き合った。久しぶりに本物の美術と相対する喜びに、ぼくの体は震え上がらんばかりだった。何というか、“美術のありがたみ”を再確認したような気持ちだったのだ。自分にとっては、こういったものは決して“不要不急”のものではないのだと。

 さて、展示を観終わって美術館を出ようとすると、係員の人から呼び止められた。話によれば、ぼくが休館明けの最初の客だったというのだ。ぼくがそこに出かけたのはすでに午後のことなので、午前中にはひとりの客もいなかったということになる。美術に飢えていたのは、ぼくだけではないはずなのに・・・。

 やがて、館長さんが出てきた。もちろん双方ともマスクをしていたが、ちょっとばかり世間話をした。美術館の館長なる人と会話をするのははじめてのことなので緊張したが、どこかの企業に勤められていた方らしく、学者然としたところはなくて、豪快なオジサンといった感じだ。

 ついにぼくは、休館明け最初の来館者として、記念写真に写されることになった。ロビーの花瓶の横に立って、マスクをしたままシャッターを切られたぼくは、このことに何の意味があるのか、ちょっと疑問に思いもしたのだが・・・。

 いよいよ美術館を後にしようとするぼくを、館長さんは、あたたかな握手で送ってくれた。この時期に握手をするのはいかがなものか、という気もしたが、自分の美術館に久々に人が来てくれたことがそれほどうれしかったのだろう、と思うことにしている。

                    ***

 ただ、これも思い返せば遠い話で、それ以降も緊急事態宣言は繰り返され、今が第何波なのかもよく分からない状態になっている。

 明けない夜はない、などといわれているが、ではいつになったらこの夜は“明ける”のか、まったく見当もつかない日々だ。本当に、ため息が出るというものである。

つづく

(画像は記事と関係ありません) ]]>
その他の随想 2021-07-29T01:39:33+09:00 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/3a5c4157cb939440f063cfb2a3779eff
城をめぐりて(1) https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/da892c19f687e789bd83c388d8c0a56d?fm=rss <![CDATA[
(1月、晴れの日の大阪城)

 最近、大阪城によく行く。あまり家にいたくないので、いつもどこへ出かけるか考えているが、大阪城は定期券だけで行けるので、交通費はかからない。

 ただ、ぼくが大阪城に惹きつけられる理由は、それだけではないだろう。ここのところ城ブームのようで、日本の名城をランク付けするテレビ番組があったりするが、ぼくは別段、城マニアというわけではない。むしろ大阪城は、エレベーターが完備されるなど近代的すぎて、これまでちょっと敬遠してきた傾向があった。

 どちらかといえば、急峻な階段を苦労しながらのぼる姫路城のほうが好きだったものだ。天守閣の険しさを、身をもって教えてくれるのが姫路城でもあったのである。だが最近はコロナの影響で、あまり遠出する気も起きない。それに姫路市立美術館がメンテナンスのため休館中なので、姫路に行く用事もない。わざわざ城だけを見に行くほど、城が好きでもないというわけだ。

                    ***

 では、最近のぼくはなぜ、大阪城に足が向くのか。何年かぶりに天守閣にものぼったが、歴史に疎いぼくにとっては、さほど興味をそそられる展示品もない。それに、大河ドラマ「真田丸」も見ていないので、事実関係がまったく分からない。ただ、淀殿が自刃したと伝わる場所を通るときに、ちょっとばかり薄気味悪い感じがしたばかりである。

 思うに、梅田の中心地に勤務しているぼくは、やはり都会のよそよそしい喧噪にウンザリしているのではなかろうか。世間はコロナ禍だの巣ごもりだの“おうち時間”だのといいつつも、個人的にはマスクをしている以外、規則正しい電車の走行に揺られ、従来どおり家と会社の往復をつづけている。判で押したような変化のない生活のリズムが、際限なく繰り返されているのである。

 ところが、そのような日常的な生活の反復といったものから遠く離れた戦国の世、明日をも知れぬ命を懸命に生きつづけた昔の人々に、シンパシーを覚えるようになってきたのかもしれない。いや、今の人々が歴史小説に熱中し、城めぐりがブームになったりするのも、現代生活のつまらなさの裏返し、ともいえるのではなかろうか。つまり、今を生き抜くための堅実な“世渡り”というものが、人間性の奥底を揺すぶることのない、形式的でつまらないものに思えて仕方ないのではなかろうか。

                    ***

 こんなものをどうやって運んだのだろう、という気にさせられる途方もない巨石で築かれた石垣を横目に、決して足もとのよくない道をくねくねと歩きながら、やがて天高く聳える城の偉容の前にたどり着くとき、たしかに現代から失われた興奮なり切実さなりが、ふつふつとわき上がるのを感じるのである。

 この年になって、“生活の安定”よりも別の場所によろめきつつあるぼくが、果たして褒められるような者か否か、それは分からないけれども。

つづく ]]>
その他の随想 2021-02-26T00:40:55+09:00 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/da892c19f687e789bd83c388d8c0a56d
新年のごあいさつ https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/a9b609da50004df704c210aaaa067be8?fm=rss <![CDATA[

謹賀新年 本年もよろしく  お願い申し上げます。 2021年 元日 俵屋宗達『牛図』(部分、頂妙寺蔵)

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雑記 2021-01-01T22:17:53+09:00 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/a9b609da50004df704c210aaaa067be8
コロナのもとで音楽を(1) https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/bb6830b1078341fb13753cb09476e36b?fm=rss <![CDATA[
(ある夜のザ・シンフォニーホール)

 今年は、コロナ禍という印象だけで過ぎて行ってしまいそうだ。

 この不自由な暮らしも、せいぜい何か月かの辛抱だと思っていたら、我々の生活を根幹から見直す必要に迫られてきた。本来マスク嫌いのぼくは、マスクをして出歩くことなどなかったが、今は必要不可欠なものになっている。人が服を着て外を出歩くのと同様、マスクなしで出歩くのは破廉恥極まりない、といった勢いだ。

 その一方で、人との接触や、いわゆる“密”を避けるため、さまざまなイベントが中止になった。ぼくの愛する展覧会や、演奏会も例外ではない。展覧会は今でこそ各地で開催されるようになり、これまでの不足を取り返すようにぼくもあちこち出かけているが、ところによっては予約制だったり、入口で整理券を渡されたりすることもある。いざという時のために連絡先を書かされる場合も多い。

 とはいっても、展覧会は人の集まる場合もあれば、さほどでない場合もある。自粛期間が明けるのを待って、さっそく南大阪の某美術館に赴いた際には、公開が再開された日の午後にもかかわらず、ぼくが再開後初の客だと知らされた。当然ながら他の観覧者はおらず、監視員もいなかったので、ぼくは堂々とマスクを取り、いつもと何も変わらぬようにじっくり絵を観て回ったのだった。

                    ***

 ただ、演奏会の方はどうなっているのだろう? 今年はベートーヴェン生誕250年という記念の年で、それにちなんだコンサートが数多く計画されていたはずだし、いつも以上に盛り上がる期待もされていたと思うが、やはり大半が中止になったのではなかろうか。

 オリンピックとはちがい、来年に延期というわけにもいかず、どうやらベートーヴェン祝賀の催しは不発のまま過ぎてしまいそうである。こうなったら、さらに50年後の「生誕300年祭」を待つべきかもしれないが、そうなるともう、ぼくは生きてはいない。

(つづく) ]]>
その他の随想 2020-10-16T02:22:29+09:00 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/bb6830b1078341fb13753cb09476e36b
地獄の七夕 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/ec0de7bc6d7b17e969a825da600bea04?fm=rss <![CDATA[

 今年は正直な話、七夕どころではなかっただろう。その日を含む数日間、日本はまさしく地獄の日々を味わったといっていい。天の川ではなく、地上の河川の動向から眼が離せない人も多かったはずだ。

 我が家の近辺には大きな川はなく、崖崩れを危惧するような山もなく、自分の心配はあまりしていなかった(むしろ、先日以来たびたび発生する地震のほうが恐い)。ただ、ぼくもよく知る京都の鴨川や、渡月橋の掛かる桂川が猛烈な濁流で満たされ、決壊まであと少しという状況がテレビのニュースで報じられたときは、さすがに胸が痛んだ。これでは風光明媚な景色であるとか、納涼床であるとか、呑気なことをいっている場合ではない。

 けれども蓋を開けてみれば、決壊したのは京都の川ではなかった。ぼくのよく知らない岡山や愛媛の町が冠水し、水浸しになっている映像が繰り返し流れ、京都のことはたちまち忘れ去られたようにテレビの画面から消えた。

 もちろん、被害が少なかったのは結構なことだが、ぼくにこのたびの災害を記憶させるのは、今後も京都に足を運ぶたび眼にするに違いない鴨川の景観であり、猛雨に降りこめられた一大観光地が途方に暮れたときの“どうしようもなさ”だろう。最近はインバウンドとか、世界遺産への登録とか、訪日客に主眼を置いたビジネスが散見されるが、いざ今回のような国家の非常時となったときに何ができるか、はなはだ心もとない。

                    ***

 実をいうとぼくの生まれ故郷も、数年前に大水害に見舞われた。実家は無事であったが、親戚の家は水に浸かり、転居を余儀なくされた家もあったようだ。

 つまるところ、いつ何時、何が起こるか分からないのが人生である。といってしまえば投げ遣りなようにも聞こえるが、毎年毎年マメに初詣をしたって、ご先祖への礼拝を欠かさなくたって、占い師が何の警告も発してくれなくたって、ひどいメに遭うことはある。なるようにしかならないのである。

 もちろん、備えをすることは重要だ。それと、協力者の存在も欠かせない。2002年のこと、ドイツのエルベ川があふれ、ツヴィンガー宮殿が水没したが、市民たちが所蔵品の避難に力を貸したらしく、2005年には日本で展覧会も開催されている。

 天災に立ち向かうのは困難だが、歴史を未来に残そうという人々の努力が、一定の歯止めをかけてきたのは確かだ。近年の日本は、「観光、観光」で浮かれすぎなのではないか、と思わないでもない。守るべきものを、じっくり守りつづけること。これも大切であろう。

(了)

(画像は記事と関係ありません) ]]>
その他の随想 2018-07-09T11:19:48+09:00 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/ec0de7bc6d7b17e969a825da600bea04
再び、現代美術に肩まで浸かる(5) https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/ecd212f51f39a3cd70ab06559194448c?fm=rss <![CDATA[
中原浩大『レゴ』(1990-91年)

 再現可能な作品の最たるものといえば、中原浩大(こうだい)の『レゴ』がそうであるかもしれない。“一点もの”が、芸術の貴重さ、あるいは存在価値を決定づけているとすれば、現代美術に関してはその基準がまったく当てはまらないことをよく示している。

 『レゴ』は、いうまでもなく、レゴブロックを組み合わせた立体作品だ。ぼくはレゴブロックで遊んだことがないので、具体的にどうやって作られているのか分からないが、最近よく眼にするフィギュアのようなものは含まれず、純粋な色のカタマリで構成されている。

 ここで中原は、至って大真面目に作品を作り上げているような気がする。当然かもしれないが、子供がブロック遊びをしているのとはわけが違う。いってみればレゴのひとつひとつが、絵の具のひと筆ひと筆に相当するのだろう。

 そういうつもりで観ると、レゴという扱いにくい珍奇な素材を駆使して、新しい芸術を創造しようという(それが成功しているか否かは別として)試みが透けて見えてくる。従来あった素材を使って前人未到の表現にたどり着こうとすること、その一方で、これまで誰も使おうとしなかった素材で未知の美術を作り上げること、という現代美術の二極化が、ここにはっきりあらわれている。

                    ***

 そうやって中原が仕上げたものは、完成しているのかいないのか、まさに奇妙キテレツな作品となった。一見すると、某ファストフードのキャラクターを連想させるような愛らしさもあるが、何だか不安を煽るようなアンバランスさもある。木製のテーブルに無造作に載せられているところが、よりいっそうヘンテコである。

 ただ、この作品を裏側から観たところが、実は隠されたハイライトなのではないかと、ぼくは思っている。正面から見えるピエロのような物体とは別に、過剰なまでに色とりどりの断面が展開されている。まるで、そこだけ別の作品であるかのように。

 オモテとウラとの、想像を絶する二面性。人間はともかく、芸術にも裏表がある、とでもいうのか。『レゴ』は、ふとそんな深読みをしてみたくなる作品でもある。

つづく
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美術随想 2018-07-06T01:27:05+09:00 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/ecd212f51f39a3cd70ab06559194448c
再び、現代美術に肩まで浸かる(4) https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/6ab94de5053aaa109dacf4ddfe3dc659?fm=rss <![CDATA[
ドナルド・ジャッド『無題』(1977年)

 ぼくにとって難解な現代アーティストはまだまだいるが、そのなかのひとりが、ドナルド・ジャッドである。しかし、世間でその名前や作風がどれほど認知されているかは分からない。というのも、我々は知らず知らずのうちに、ジャッドの作品世界のなかに暮らしているようなものだからだ。

 ぼくがジャッドの名をはじめて知ったのは、かつてNHKで放映された「夢の美術館 20世紀アート100選」という番組だったような気がする。それまでピカソやミロやシャガールなど、いわゆる20世紀の美術作品について関心がないわけではなかった。ただ、美術の価値を根本から問い直すような前衛的な作品には、一種のアレルギーを抱いていたふしがあって、ジャッドという存在はいつの間にか黙殺していたのであろう。

 その番組で紹介された彼の作品は、どこに所蔵されている何という題名のものか忘れたが、ぼくの興味を惹くことはなかった。一見したところそれは、工業製品の部品にしか見えないのである。鉄とかステンレスとかいう素材を直線的に組み合わせたフォルムは、機械音が響き渡る工場のなかに入っていけばいくらでも眼にすることができるように思われた。

 実際、現代美術が並んでいる展覧会場を歩いていると、部屋の隅に置いてある湿度計か何かの既製品が、不意に出品作のひとつのように見えてくる瞬間がある。それは、かつてマルセル・デュシャンが男性用便器を作品として展示したことの後遺症なのかもしれないが、個人の技術で作られたものイコール美術品とは呼べない何かが、いまだにぼくの脳裏に巣食っているからだろう。

 国立国際美術館に展示されていた『無題』も、そんな作品のひとつなのである。

                    ***

 などと書きながら、それが“作品”と呼ばれることに、ぼくはいまだに抵抗があることを認めないわけにはいかない。

 それというのも、ジャッドは自分の創作物を、自分の手で作ってはいないからだ。おそらくは設計図のようなものを書いて、工場かどこかに発注する。いわば、本当の部品のようにして作られたものらしいのである。

 たとえばウォーホルとかリキテンスタインとかが、その作品をどこまで自分の手で描いたのか、正直なところよく分からない。ぼくもジャッドの既製品のような作品が、ジャッド自身の精巧なテクニックでもって制作されたのなら感心もするけれど、職人に依頼して作ってもらったのなら、もはや“ジャッドの作品”ではないのではないか、といいたくなる。さらに、困難な技術を習得することに日々奮闘している他の芸術家や工芸家からすれば“手抜き”といわれても仕方ないのではないか、と。

 “手抜き”・・・これは、現代美術について語る上でのタブーのようなものだと思う。優れたアーティストは、凡人をはるかに上回る超人的な技術をもっているものだが、現代美術に関しては、そうとも限らない。絵や彫刻がヘタクソでも、他人の手を借りて自作をひねり出し、それが美術館に並べられ、ときには数億で取り引きされてしまうこともある。

 これが健全な状態なのだろうか、ぼくには何ともいえない。


〔野外に置かれたジャッドの『無題』(1984年)は雨で錆びついていた(2013年9月10日、滋賀県立近代美術館で撮影)〕

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美術随想 2018-06-23T02:55:41+09:00 https://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/6ab94de5053aaa109dacf4ddfe3dc659