てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

15年目の西宮にて(3)

2010å¹´02月03æ—¥ | ãã®ä»–の随想

西宮市高木西町付近の街並み

 立ち去る前に、もう一度西宮の住宅街をぶらぶらしてみたくなった。「津高和一ふたたび」のなかにも書いたが、ぼくは4年前の8月にこのへんをほっつき歩いたことがあったのだ。それは今日と同じようによく晴れた日だったが、真夏の太陽にあぶられながら知らない街を徘徊するのは、たしかに正気の沙汰とはいえない。だが、ぼくはこの西宮北口に来て、一歩でも駅の北東のエリアに足を踏み入れてしまうと、何食わぬ顔して通りすぎるわけにはいかなくなる。すでに15年も昔のことになったあのときの映像がまざまざとよみがえり、復興した家並みのうえに重なる。

 傾いた高速道路や、ぺしゃんこになった生田神社の映像はテレビを通じて全国に流され、広く共有されたイメージとなった。けれども震災の被害というものは想像もつかないほど広範囲に及び、あまねく知られた名所にも個人のつましい住まいにも、富める人にも貧しき人にも、ひとしなみに訪れる。最近起こったハイチの大地震をみても、大統領府からスラム街のようなところまで、ほぼまんべんなく損壊を受けている。マスコミが客観的に選び取った“衝撃映像”だけではなく、被災したすべての人のぶんだけ、それぞれの恐怖のイメージがあるはずだ。

 ぼくにとってはそれが壊滅した西宮の街並みと、偶然通りかかった津高和一の自宅だったわけである。あの日の西宮で死者ひとり見たわけではなかったが、津高の家の前に貼られた貼り紙の白さが今でも脳裏にひそみ、隙あらば眼の前に立ちあらわれようとするのだ。

                    ***

 町内を一周すると、いつの間にかまた法心寺の前に来ていた。やはり人っ子ひとりいない。いよいよ本当に帰ろうかと思っていると、山門の通用口から1匹の猫がのろのろと出てきた。白くて長い毛をしていて、どうやらペルシャ猫らしく見えるが、野良猫のように薄汚れている。捨て猫だろうか、それとも寺の飼い猫だろうかと考える間もなく、その猫は日課の散歩をするかのごとくのんびりと、しかし決然たる意志をもって北のほうに歩いていき、角を曲がって姿を消した。


法心寺のなかから出てきた猫

 猫・・・。そういえば、生前の津高も猫が好きだったらしい。『津高家の猫たち』という写真集があるほどだ。それによれば、震災当時の津高家には10匹もの猫がいたという。飼い主夫婦は家の下敷きになって亡くなったが、猫たちはみな生き残ったそうである。

 ふとその話を思い出して、急いで後を追いかけてみたが、もうその猫はいなかった。ぼくは、当時の飼い猫が主人の墓参りに来たのではないかと思ったのである。まさかそんなおとぎ話のようなことはあるまいと自嘲しながら、猫が歩き去ったと思われるほうへなおも進んでいくと、しばらくして意外な光景がひらけた。まるで舞台の幕を落としたように、それは突然ぼくの眼の前にあらわれた。

 4年前、さんざんうろつき回ってようやくたどり着いた高木公園。津高和一の彫刻を、弟子たちが復興のモニュメントにと設置したあの公園が、すぐそこにあったのだ。それだけではなく、公園には何十人という子供たちが遊び戯れているのだった。町内中の少年少女をひとり残らずかき集めたような、大変な賑わいだ。子供がこんなに元気に遊んでいる様子を、ぼくは久しぶりに見たような気がした。今どき珍しいことに、凧揚げをしている連中もいる。充血したぎょろ眼の描かれているカイトが木の枝に引っかかり、うらめしげに虚空を睨んでいた。

 あのモニュメントはと見ると、すっかり子供たちの遊び道具になっていた。女の子が馬乗りになったり、かくれんぼをしたりしている。弟子たちの言葉を刻んだ銘板のはめ込まれた石のうえには、父親らしい人がのんびり腰かけ、無邪気に遊ぶわが子を眺めていた。平和だった。


高木公園の上空を凧が舞う


津高和一のモニュメント

                    ***

 この彫刻はもちろん、遊ぶためのものではない。あの日の記憶を風化させず、次の世代に語り継ぐためのものだ。同時に、この街にひとりの抽象芸術家が住んでいたことを静かに思い起こすための・・・。

 けれども、津高和一の彫刻で遊ぶ子供たちの屈託ない姿を前にすると、心がほぐされてくるのを覚えた。震災後に生まれた子供たちは、何も知らずに楽しそうに、生き生きと広場を駆けめぐっている。あのとき突然に失われたたくさんの命が、時を経てふたたびこうやって息づいているのを見るとき、ぼくは15年という歳月のたしかな流れと、命の連鎖というようなことに気づかされた。

 彼らが、将来の西宮を担っていくかもしれない。津高和一のモニュメントは、それをずっと見守りつづけていくのだろう。そんなことをぼくは考えた。


モニュメントの原型となった津高和一の彫刻『作品3』(西宮市大谷記念美術館蔵、2008年2月11日撮影)

(了)

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