てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

滋賀県で、芸術を(3)

2013å¹´09月30æ—¥ | ç¾Žè¡“随想

ロイ・リキテンスタイン『泣く女』(1963年)

 ウォーホルと並んでポップ・アートを代表する人物といえば、リキテンスタインということになろうか。ただし、その作風はかなり特殊である。高尚な芸術の王道であった絵画が、漫画というサブカルチャーと結びついて、まったく新しいアートを作り上げた。

 ただ、リキテンスタインが眼をつけたのは、そこだけではない。彼は、印刷の網点までも再現した。新聞や雑誌に載っている写真やイラストなどを虫眼鏡で拡大すると、細かい点の集積に見えることは誰でも知っているが、それをも巨大化して描いたのだ。

 近代以降の絵画には、至近距離から観ると異なった様相をあらわすものが多い。筆触分割という技法を使い、点や線という最小の単位を積み重ねて描くという「印象派」は、多くの人に受け入れられてきた。展覧会の会場では、絵に顔を近づけたり、後ろに下がったりしながら、その変化を楽しんでいる人をよく見かける。

 いわばそれと同じようなディテールを、リキテンスタインは現代アートに持ち込んだのだ。かつて「五十点美術館 No.18」でも彼の作品を紹介したが、それは明らかに、印象派へのオマージュといえるものであった。

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 ところで、漫画の多くは、人物が活躍することで成立している。風景描写だけの漫画など、まずあり得ない。

 そこからヒントを得たリキテンスタインの作品も、当然のことながら、その多くが人物像である。しかも、彼の代表作といわれているものは、若い女性がモチーフの場合がほとんどだ。東京都現代美術館が6億という大金で購入して話題となった『ヘアリボンの少女』も、それに属する。

 この『泣く女』も、その系列に含まれるだろう。ただ、彼女がなぜ泣いているかの説明は、まったくない。いや、あえて説明的な要素を見せないために、極端なクローズアップで描かれている。そこには、シャープに切り取られた現代社会の断片があるばかりだ。

 たとえば、テレビのチャンネルを変えたりするときに、ぼくたちは同じような場面を目撃することがあるのではないか。あるチャンネルでは、楽しそうに笑っている男が映る。別のチャンネルでは、激しい怒りをぶちまけている女が映る、など。その番組を最初から通して見ていないかぎり、どういうシチュエーションなのかはわからない。

 ただ、ほんの一瞬だけテレビ画面に映った人物の顔が、なぜか脳裏に焼きつき、いつまで経っても消えないことがある。そこには、不用意に切り抜かれた日常の一部分が、こちらの意思とは関係なく肥大化してしまうという現象がある。リキテンスタインの絵画は、一見するとポップで明るいけれど、そんな現代の底知れぬ恐怖を思い出させてもくれるだろう。

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滋賀県で、芸術を(2)

2013å¹´09月29æ—¥ | ç¾Žè¡“随想

〔滋賀県立近代美術館の外観〕

 この美術館の建築は、一見すると古風な日本家屋のようである。それなのに「近代美術館」と銘打たれている。そのギャップが、この特異な施設の全容をよく説明してくれるように思う。

 たしかに、和の絵画が多く収蔵されている。なかでも、滋賀が誇る日本画家である小倉遊亀(ゆき)のコーナーは、この美術館の大きな柱だ。それだけでなく、よそではなかなかお眼にかかれない郷土作家の展示が絶えずおこなわれているようである(「五十点美術館 No.16」で紹介した野口謙蔵も、そうやって出会ったひとりだ)。

 ところがその一方で、アメリカと日本の現代アートも幅広く収集されている。近畿の美術館で、この手の新しい作品がいつでも観られるところというのは、大阪の国立国際美術館以外に、ちょっと思いつかない。滋賀県が、必ずしも新奇なものをどんどん受け入れる気質に富んでいるとも思えないが、こういう近代ならぬ「現代美術」がコレクションの中核をなしているというのは、地方の公立文化施設としては珍しいことではないかと思う。だいたい、現代芸術は「人が集まらない」というのが通り相場のようになってしまっているからだ。

 だが今回、同館はさらなる冒険に出た。所蔵作品だけを使って、ポップ・アートを総合的に検証する企画展を打ち出したのだ。折しも東京の国立新美術館では「アメリカン・ポップ・アート展」なるものが開かれていて、豪華なラインナップで注目を集めているらしい。それに比べるとこちらはやや小規模かもしれないが、すべて自前のコレクションでまかなわれているということが、素晴らしいと思うのである。

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アンディ・ウォーホル『マリリン』(部分、1967年)

 だが、あらかじめいっておくと、ぼくはポップ・アートという芸術運動があまり好きではなかった。いや、芸術と呼んでいいのかすらも、よくわからなかった。少なくともぼくにとっては、芸術とは退屈な日常を脱け出して飛躍させてくれる翼のような存在であってほしかったのだ。

 ポップ・アートというのは、ポップスに通じる言葉だが、普段ポップスをまったく聴かず、庶民を巻き込む流行といったものに一抹の“いかがわしさ”を感じているぼくには、いってみれば消費社会にうまく取り入ったビジネスの一種のような印象がないでもなかった。

 会場の入口で迎えてくれたウォーホルの『マリリン』のシリーズも、まさにそんなひとつである。この絵は教科書に載っていたし、福井県立美術館の所蔵品展で観たこともあった。福井のコレクションにはこんな有名な絵もあるのか、と思っていたら、のちに似たような絵が世界中に数え切れないぐらいあるのを知った。

 このたびも、大胆に色を変えたマリリン・モンローの肖像 ― ぼくにとって彼女はポピュラーなイメージというよりも歴史上の人物にほかならない ― や、実物より肥大化されて描かれたキャンベル・スープの缶が並んでいるのを観て、不意にアメリカのウォルマートかどこかに迷い込んだような戸惑いを覚えざるを得なかったのだ。

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滋賀県で、芸術を(1)

2013å¹´09月28æ—¥ | ç¾Žè¡“随想

〔清冽な水の流れに心も洗われる〕

 不意に訪れる平日の休暇。不規則な仕事をしていると、こういう予定外のスケジュールの変動に弱らされる。けれども、空き時間を無為に過ごすことと、積極的に使うこととでは、長い一生のあいだに途方もない落差ができてしまうのではないかと思うので、体の許すかぎり見聞を広めていきたい。

 ある週の火曜日も、そんな一日だった。ぼくは迷わず、最近足が遠のいている滋賀県立近代美術館に行くことを選んだ。京都に住んでいたころはしばしば来たことがあったのだが、大阪に住むようになってからはあまりに遠く、ついご無沙汰をしていたのだ。京阪からJRに乗り換え、瀬田という駅でさらにバスに乗り継がないと、そこには着くことができない。

 美術館のある一帯は文化ゾーンと呼ばれて、ほかにも図書館、埋蔵文化財センター、庭園などがある。そして、全体は緑に覆われている。すぐ近くを名神高速が走っているのだが、騒音は届いてこない。豊かな木々は天然のバリアの役割を果たしてくれるということが、ここにいるとよくわかる。

 巨大な野外彫刻も置かれており、都会の生活から抜け出して心のリフレッシュをしたいときにはうってつけの場所であろう。京都は文化意識が高いとはいっても、ここまで文化と緑地がひとつに溶け合ったところはないし、大阪については今さら何もいうことはない。

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〔山口牧生『夏至の日のランドマーク』(1986年)。傾いた石柱の先端が、夏至になると太陽を指すように設計されている〕

 こういっては何だが、この美術館のあるエリアはいつも閑散としている。少し前には近くに大きな複合商業施設ができて、このあたりもずいぶん開けてきてしまったものだと思ったが、そこの客がこちらまで流れてくることはないようだ。その日は平日だったので、なおのこと、人が少ない。庭師らしい人が何人か、きたるべき秋のシーズンに向けて庭園を整備している。

 庭園内にはさまざまな樹木が生い茂り、せせらぎが音を立てて流れ、広大な池が満々と水をたたえて静まっている。ときおり、ポチャリという水音が静寂を乱す。水のなかを覗き込んでみると、大きな鯉が何匹も、ゆったりと泳いでいた。箱のような賃貸住宅に住んでいる身にとっては、羨ましいかぎりだ。

 最近は、正しい表現かどうかはわからないが、「オフの日」といういいかたをよく耳にする。要するに、仕事がない日、ということだ。けれども、人間は電気のスイッチのように、オンとオフが切り替わるだけの単純な生き物ではないのではないか。

 「オフの日」にこそ、普段は眠っている感受性を「オン」にして、失われかけた生きる意欲をかき立てたい。さあ、今日は時間の許すかぎり、この美術館にいよう。そう心に決めて、森の狭間に沈潜しているかのような建物に向けて歩いていった。

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殻を破りて ― 杉山寧の仕事 ― (4)

2013å¹´09月27æ—¥ | ç¾Žè¡“随想

杉山寧『生』(1971年、個人蔵)

 裸婦像も、杉山寧が挑んだ新しい日本画のかたちのひとつだ。ほかにも加山又造や石本正(しょう)など、裸婦を得意とした日本画家がいないわけではない。しかし杉山は、当世風ながら淫靡さとは程遠い、健康的な裸婦を描いた。少なくとも、加山のようなデカダンスを感じさせる美とは、およそ無縁のところにいた。

 『生』は、二頭の馬の前に裸婦がいる。女性の豊かな髪の色は、すぐ後ろの馬の毛並みと溶け合い、何の違和感もない。馬が最初から素裸であるように、人間が素裸であることも、ごく自然なことのように思えてくる。羞恥心などは、まったく感じられない。

 それにしても、首から下はほとんど着物で覆い隠されていた初期の作品と比べると、この裸の女性の肉体の表現は、のびのびとしている。おそらくは、モデルの体を繰り返しスケッチするなかから、しなやかさと同時にあふれんばかりの生命力をも感じさせるポーズが生み出されていったのだろう。

 背景には、何もない。ひとつの色で塗りつぶされている。杉山が、文学的なストーリー性や、観る者の感情を不用意に揺さぶるものを持ち込もうとしなかった証しだろう。『生』の20年ほど前には、牛の上に裸婦が乗っている『エウロペ』という絵も描かれている。タイトルからは、もちろんゼウスが牛に化けて美女を誘拐するという神話が思い起こされるのだが、そんな劇的な筋書きとは関係なく、裸婦は風に髪をなびかせて恍惚としているのである。

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杉山寧『熙』(1975年、佐久市立近代美術館蔵)

 鳥は、昔から際限なく繰り返されてきた画題である。いわば、使い古されたモチーフだ。そこに新しい生命を吹き込むのは、至難の業であろう。

 今回の展覧会にも、白鳥や孔雀、コウノトリを描いた絵などがあったが、たとえば上村松篁・淳之の親子に代表される現代の花鳥画とは、明らかに別種のものであった。なかでも、つがいの鶴を描いた『熙』は、このめでたい鳥に対する固定観念を見事に打ち砕いてくれた感がある。

 まず、お決まりの図像とされた「松に鶴」のパターンがない。花札でもお馴染みのこの組み合わせは、自然科学的には根拠がなく、実際に鶴が松にとまることはないという。杉山がそのことを知っていたかどうかはわからないが、鶴が羽ばたく背景には具体的なものが描かれていない代わりに、まるで舞台芸術の優れた照明のようなドラマティックな効果がある。

 鶴が、単なる縁起物としてすましたポーズをとるのではなく、あくまで生態系の一員として激しく羽ばたこうとする姿が、新世代の日本画家に向けての激励の言葉のようにも感じられた。


(了)


DATA:
 「日本画を超えた日本画家 杉山寧展」
 2013年9月4日~9月16日
 京都高島屋グランドホール

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殻を破りて ― 杉山寧の仕事 ― (3)

2013å¹´09月26æ—¥ | ç¾Žè¡“随想

杉山寧『黄』(1962年、個人蔵)

 『黄』は、これまで苦労して積み重ねてきた日本画の鍛錬の精華を、一気に突き崩してしまったような作品に見える。

 ひとことでいえば、これは抽象画にほかならない。いったい何が描かれているのか、さっぱりわからないのだ。『黄』という題も、具体的な対象を指し示してくれるものではない。後年、杉山は漢字一文字の題名を好んでつけるようになっていた。

 使われている色も、たとえば『椿と乙女』の多彩さに比べたら、うんと減らされている。ついでにいえば、タイトルの「黄」の色という平坦な印象は、絵のなかからは感じられない。ぼくが真っ先に連想したのは、燃えさかる炎であった。それも、枯野に火を放った野焼きのように、広範囲に燃え広がる炎だ。

 マチエールに眼を凝らすと、平らではなく、それこそ随所で火炎が燃え盛るかのように隆起している部分もある。初期の作品にみられたフラットな滑らかさはすでになく、絵を眺めているだけで、皮膚がざらついてくるかのような違和感を覚えさせられる。

 これこそが、杉山寧が求めていたものかもしれない。眼で観て納得できるだけの日本画から脱却するために、あえて意味に寄りかからず、観る者が五感でとらえねばすまないような絵を描いたのだ。

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杉山寧『悠』(1963年、個人蔵)

 彼の重要なモチーフである、エジプトに取材した作品がようやくあらわれた。以前に東京で観た『穹』と同じく、スフィンクスを大きくとらえている。ただしこちらは真横からのアングルであり、しかもよく晴れた昼間の情景である。

 ここでは、スフィンクスとピラミッドのごつごつした質感が、顔料の濃厚なマチエールに置き換えられている。対象の厳密な写生というわけではない。ただ、日本画の岩絵具はもともと岩を砕いて作ったものだから、そこには不思議な親和性が感じられるような気もする。

 繊細な花鳥風月を愛で、四季の微妙な変化を味わうことが、日本人の感受性の原点とされてきた。従来の日本画は、いわばそういった“日本的なるもの”の前提の上に成立してきたのだ。しかし杉山はそこを離れ、過酷な暑さに塗り込められたようなエジプトに題材を求めた。

 題名の『悠』が示すように、日々移り変わるわが国のめまぐるしさを追い求めることを止め、彼は不変なるものへと眼を向けたのだ。これは、たとえば印象派の画家たちが描こうとした光と色彩の移ろいとも無縁である。杉山にしてみれば、ちょっと眼を離した隙にも変化してしまう光景を追い求めることなど、あくせくした徒労のように思われたかもしれない。

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