2009年6月の朝日新聞から
09-5-8(忘れ物)
31日
確かに、北山さんの投稿に〈テンポの速い文体が空気の粘っこさを薄めていますが〉とあるとおり、書きようによってはドロドロの煮詰まった関係になってしまいそうです。(朝刊14面)
「重松清さんと読む百年読書会」だから、書き手は重松清だろう。で、問題は「煮詰まる」の使い方。これは正用だろう。ネット辞書の『大辞泉』から引く。
================================
に‐つま・る【煮詰(ま)る】
[動ラ五(四)]
1 煮えて水分がなくなる。「汁が―・る」
2 討議・検討が十分になされて、結論が出る段階に近づく。「問題が―・ってきた」→生煮え
◆近頃では、若者に限らず、「煮詰まってしまっていい考えが浮かばない」のように「行き詰まる」の意味で使われることが多くなっている。本来は誤用。2の意は1900年代後半に始まるようである。「行き詰まる」の意は1950年ころの使用例があるが、広まったのは2000年ころからか。
================================
これの「1」の用法。「注」にあるように、「行き詰まる」の意味で誤用される例が非常に多くなっている。素朴な疑問は「男女の中が煮詰まる」は誤用か正用かって話。
誤用の「煮詰まる」に関しては下記参照。
【07年度「国語に関する世論調査」】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=881031344&owner_id=5019671
【世に誤用の種は尽きまじ──2】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=897188119&owner_id=5019671
09-6-1
3日
極めつきは12回。(朝刊19面)
記者不明。これは誤用ではない。よく「極めつけ」と誤用される。ネット辞書の『大辞泉』には〈◆「極め付け」とするのは誤りだが、慣用で使われることもある。〉とある。
09-6-2
16日
プロレスを手元の広辞苑でひくと、「興行として行う職業レスリング」という簡潔な記述がある。この「興行性」の強さから朝日新聞の朝刊スポーツ面にプロレスは取り上げられなくなった。
(中略)
力道山から馬場、猪木と受け継がれてきた「プロレスの時代」が三沢の死で幕を下ろすことになるのだろうか。
(朝刊17面)
西村欣也編集委員。ノア(新日本と並ぶ日本を代表するプロレス団体)の三沢光晴の死を報じる記事。
まず言葉の問題から。「取り上げられなくなった」はどういう意味か。受身(の否定形)とも可能(の否定形)ともとれる。まあ、フツーに考えれば受身だろうけど。なんで「朝日新聞の朝刊スポーツ面はプロレスを取り上げなくなった。」と書かないのかね。「受身の多用は文意を曖昧にする」の典型的な例になりそう。
あとちょっとイラッとしたのが〈「興行性」の強さ〉って言い方。興行なんだから、当然「興行性」はあるし、演出もするでしょうに。かつてはスポーツ面で大々的に取り上げてきたプロレスを排除したのは、「八百長」が問題になったからだよね。だったらそう書けよ。
ただね。素朴な疑問。あれだけ「八百長」の話が出ている大相撲を大々的扱うのはなぜ? 建前上はガチンコの総合格闘技を扱わないのはなぜ?
新聞が率先してプロレスを「八百長」呼ばわりしたことが、プロレスの凋落を招いたのよ。別にそういう方針ならそれでいいと思う。じゃあ、記事の結びをもう少し考えようよ。
「下ろすことになるのだろうか」って、それはあまりにも他人事みたいな書き方じゃないか? それと、「力道山から馬場、猪木と受け継がれてきた」は、プロレスをまったく知らない人が見たら「力道山→馬場→猪木」って流れに見えるよ。実際には力道山の死後、馬場と猪木の対立構造になったのよ。書き方を考えようね。
09-6-3(しなさそう)&09-6-4(~とすべき)
19日
本局後、棋界では「▲5八玉に△8四飛は成立しなさそう。△4一玉とすべき」という見解に落ち着いている。(朝刊25面)
大川慎太郎記者。第67期名人戦第5局の観戦記。なんかヘンな文章だな。「棋界」とか「見解に落ち着く」のせいだろうか。それは別にして、問題が2つ。
1つ目は「しなさそう」。
結論から言うと、間違いではないけど、本来は「しなそう」だと思う。
根拠として、2つのトピをあげておく。
【「動詞+なさそう」の用法について】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38319292&comm_id=398881
もうひとつ。当方が下記のトピに書いた「46」と「50」。こちらのテーマは「動詞+なさすぎ」だけど、ほぼ同じことが言えると思う。たびたび電波が発生して気持ちの悪いトピなので、当該コメントだけコピーする。
【反対語で遊ぼ】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=3&comm_id=8873&id=29363995
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「46」
とあるトピでこんな質問が出ていました。
これには虚をつかれました。
先方はまじめなトピですが、こちらはカテゴリが「お笑い」です。
そのあたりをお含みおきのうえで、 みなさんならどう答えますか。
=====================================
今朝、授業で ます形+すぎる を勉強しましたが、
その反対の意味はどのように表現するのか質問されました。
たとえば、食べすぎ、飲みすぎ、使いすぎなどの
反対の意味で
本当に食べないという意味になるでしょうか、
~すぎが過度な状態を表しているように
過度に~しないの意味で
適切な表現、コメント願います。
ヨロシクお願いいたします。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「50」
「お笑い」系の言葉が浮かばないので、とりあえず文法的な話をば。
文法的に解釈するなら、
食べなすぎ、飲まなすぎ、使わなすぎ
が正解のはずです。
ただし、近年は
食べなさすぎ、飲まなさすぎ、使わなさすぎ
の形も広まってきているとのこと。
当方はもはやこれを誤用と断言する気にはなれません。
余計な「さ」が入るようになったのは、形容の「ない」の場合が「なさすぎ」になることに影響されたという説が有力とのこと。「食べない」などの場合は動詞+助動詞なので、「さ」を入れないのが本来の形のようです。
形容詞の場合 :節操がなさすぎ
動詞+助動詞の場合:言葉を知らなすぎ
ということです。
ただし、先に書いたように、「言葉を知らなさすぎ」も許容範囲ではないかと……。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
もうひとつの問題。「~とすべき」。これも厳密なことを言う人だと誤用と言うだろう。「~とすべし」とするべきなんだろう。ただ、もう許容範囲だろう。
09-6-5
21日
仕事柄か、年のせいか、早起きの癖がついた。この時期、東京だと4時ごろから空が白んで鳥が鳴き始める。散歩もせずにパソコンに向かう当方を含め、日本に暮らす人の多くが早朝の明るさを無駄にする▼きょうは一年で昼が最も長い夏至。日の出から日の入りまで、東京で14時間35分、北海道ではさらに50分ほど長く、朝日の無駄も極まる。日没はまだ少し延びるが、それ以上に夜明けが遅くなっていく▼高い緯度の国々は、夏が短い代わりに日照時間が長い。夏至祭の頃の解放感はひとしおらしい。「夜の空は薄紫のヴェールを下ろしたように広がり、太陽は樅(もみ)の森の彼方(かなた)に隠れて、その残光で金色に染まっている。白夜である」。外交官として北欧が長かった武田龍夫さんの描写だ▼夏至には火を囲み、短夜を踊り明かす風習が欧州各地にあった。太陽の威勢を借りて、万物に精気を満たす営みであろう。はじける喜びは長くて暗い冬の反動で、人々は当然の権利のように、暮れぬ夕べを無駄なく楽しむ。〈路面チェス数人かこむ白夜かな〉森田峠▼前後に春秋という優しい季節がたっぷりあるためか、日本では夏を待ちこがれ、いとおしむ心情がピンとこない。省エネを言いながら、みすみす朝の光を捨てる我らである▼夏時間を採り入れても、戸外での余暇に慣れぬ身は帰宅後の斜陽を持て余そう。いや、働き蜂は暗くなるまで帰らないから残業を増やすだけ、との見方もある。ああ、勤労観の壁。夏至と同居の父の日、「お天道様が高いうちは……」の呪縛をふと思う。(朝刊1面)
「天声人語」。相変わらず相当ヒドい。いちばん引っかかったのは、「夏時間を採り入れても、戸外での余暇に慣れぬ身は帰宅後の斜陽を持て余そう。」。文法的にはアリなのかな。ほとんど誤用に近い「いえよう言葉」だと思う。当然のことながら「持て余すだろう」の意味で使っている。間違っても「皆で持て余そう」って奨励しているわけではない。
あと、冒頭の一文も相当ヘン。「仕事柄か、年のせいか、早起きの癖がついた。」。「年のせいで早起きの癖がついた」人なんているのかね。フツーは「年のせいか早くに目が覚めるようになった」だろう。
1つ目の段落の最後「早朝の明るさを無駄にする」も相当ヘン。筆者はパソコンに向かう際にライトをつけてるの? つけてるとしたら、それは早すぎて「明るさ」が十分でないだけってことでしょ。不十分な明るさだから「散歩」するのは、時間のムダ使いって考え方もできる。
09-6-6
25日
勢力争いが激しく、一歩間違えれば足元をすくわれかねない現代の将棋界で、その健在ぶりを示した。(朝刊38面)
村上耕司記者。まずおなじみの「足元をすくわれる」。手元で調べると、08-7-6/07-7-1/07-7-2などがある。
それを別にしても相当気持ちが悪い。まず「一歩間違えれば」じゃないだろ。「少し油断すると」「一瞬でも気を抜くと」あたりがフツーじゃないかな。それと、現役の名人にが防衛したのを「健在ぶりを示した」はヘンだろう。数年ぶりに復位したなら、「健在ぶりを示した」ことになるだろうが。インネンかな?
09-6-7
26日
これはメモ。朝刊39面。
だからさ。プロレスを八百長呼ばわりして貶めたのは誰なのよ。いまさらこんな記事書いても手遅れだよ。新聞をはじめとするマスコミがプロレスを追いつめ、その皺寄せで三沢が死んだんだよ。少しは責任を感じろよ。それと、紙の新聞の見出しは「選手死なせぬ 三沢の遺志」。これならよくわかる。ネットの「三沢の遺志形に」じゃわかんないよ。ついでに書くと「ライセンス制」が話題になったのはもう何年も前のこと。そういうのは「矢先」とは言わない。
http://www.asahi.com/sports/update/0626/TKY200906250396.html
================================
事故多発、レスラー資格提唱の矢先「三沢の遺志形に」
プロレスラーの三沢光晴選手が試合中急死した事故の背景には、過激な攻防でファンをつなぎとめようとする業界の事情があった。リング上の事故が相次いだため、三沢選手がレスラーの資格を認定するライセンス制を提唱し、大手3団体が準備を進めていた矢先の事故だった。3団体は三沢選手の遺志を継ぎ、業界全体を管理する統一機構づくりにも乗り出した。
6月13日、広島市で開かれたノアの大会。三沢選手は2対2で戦うタッグマッチの試合中、相手選手にバックドロップ(背後から抱きかかえ、後ろに投げ落とす技)をかけられて脳天をマットに強打し、動けなくなった。ここから反撃に出るのが、いつもの三沢選手の持ち味。ファンは声援で後押ししたが、立ち上がれず、帰らぬ人となった。
リング上では以前から事故が絶えなかった。このため、三沢選手はプロレスラーの「ライセンス制」を提唱していた。3月からはノア、新日本、全日本の大手3団体で改めて準備を開始。7月のライセンス制策定がほぼ決まっていた。プロとしてデビューするために必要な体力や技術の基準を定めるという。
■自称レスラーも
三沢選手の死を受け、3団体はライセンス制に加え、選手の健康管理や定年制、けがをした場合の出場停止基準などを定める統一機構についても検討する。今はたとえ1人でも団体を設立したり、大会を開いたりすることが可能だ。全国に30~40の団体があるとされ、「自称レスラー」もいる。事故多発の遠因にもなっているこうした状況を機構設立で変えたいという。
ノアの仲田龍・取締役統括本部長は「三沢はいつもプロレスをメジャーにしたいと話していた。三沢の遺志を実現させたい」と話す。
プロレスは他の格闘技と異なり、相手の技をあえて受け、頑丈な肉体をアピールするのも魅力とされる。そのために体を鍛え上げ、技の衝撃を最小限に抑えるよう受け身などの練習を繰り返す。三沢選手は「世界一受け身がうまい」と言われ、レスラー仲間から一目置かれた存在だった。それでも事故は起きた。
「週刊ファイト」元編集長の井上譲二さん(56)は「力道山から馬場、猪木の全盛期と比べ、プロレスは質が変わった」と話す。以前はバックドロップなどの必殺技が決まれば勝負がついた。今は試合中に何回も大技が出され、頸椎(けいつい)や後頭部を打つ危険度の高い技も多用される。
■人気落ち過激化
過激さを増す理由に、プロレスの人気低迷をあげる関係者が多い。格闘技ブームやショー的要素の強いプロレス団体が台頭。観客数はどの団体も軒並み減少し、会場が満員になることはまれだ。
目の肥えたファンをさらに満足させようと、レスラーは高度な技を考案。リング上の攻防は激しさを増している。リングドクターの富家(ふけ)孝さん(62)は「高度な受け身の技術はあっても、大手団体は年間100試合以上をこなし、ダメージや疲労が蓄積するのは疑いようがない」という。
新日本プロレス顧問の山本小鉄さん(67)は「ライセンス制ができれば、本当に鍛え上げたプロレスラー以外は業界から排除されていく。将来的には、医師の帯同などサポート体制を統一機構で確立し、ファンにも安心してもらえる環境づくりを目指したい」と話す。
格闘技に詳しいスポーツライターの布施鋼治さん(45)は「かつてのプロレスは選ばれし者のみが戦い、プロボクシングと同レベルの人気を集めていた。今回の動きで選手の質などが向上すれば、プロレスの復権につながっていく可能性がある」と話している。(島康彦)
31日
確かに、北山さんの投稿に〈テンポの速い文体が空気の粘っこさを薄めていますが〉とあるとおり、書きようによってはドロドロの煮詰まった関係になってしまいそうです。(朝刊14面)
「重松清さんと読む百年読書会」だから、書き手は重松清だろう。で、問題は「煮詰まる」の使い方。これは正用だろう。ネット辞書の『大辞泉』から引く。
================================
に‐つま・る【煮詰(ま)る】
[動ラ五(四)]
1 煮えて水分がなくなる。「汁が―・る」
2 討議・検討が十分になされて、結論が出る段階に近づく。「問題が―・ってきた」→生煮え
◆近頃では、若者に限らず、「煮詰まってしまっていい考えが浮かばない」のように「行き詰まる」の意味で使われることが多くなっている。本来は誤用。2の意は1900年代後半に始まるようである。「行き詰まる」の意は1950年ころの使用例があるが、広まったのは2000年ころからか。
================================
これの「1」の用法。「注」にあるように、「行き詰まる」の意味で誤用される例が非常に多くなっている。素朴な疑問は「男女の中が煮詰まる」は誤用か正用かって話。
誤用の「煮詰まる」に関しては下記参照。
【07年度「国語に関する世論調査」】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=881031344&owner_id=5019671
【世に誤用の種は尽きまじ──2】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=897188119&owner_id=5019671
09-6-1
3日
極めつきは12回。(朝刊19面)
記者不明。これは誤用ではない。よく「極めつけ」と誤用される。ネット辞書の『大辞泉』には〈◆「極め付け」とするのは誤りだが、慣用で使われることもある。〉とある。
09-6-2
16日
プロレスを手元の広辞苑でひくと、「興行として行う職業レスリング」という簡潔な記述がある。この「興行性」の強さから朝日新聞の朝刊スポーツ面にプロレスは取り上げられなくなった。
(中略)
力道山から馬場、猪木と受け継がれてきた「プロレスの時代」が三沢の死で幕を下ろすことになるのだろうか。
(朝刊17面)
西村欣也編集委員。ノア(新日本と並ぶ日本を代表するプロレス団体)の三沢光晴の死を報じる記事。
まず言葉の問題から。「取り上げられなくなった」はどういう意味か。受身(の否定形)とも可能(の否定形)ともとれる。まあ、フツーに考えれば受身だろうけど。なんで「朝日新聞の朝刊スポーツ面はプロレスを取り上げなくなった。」と書かないのかね。「受身の多用は文意を曖昧にする」の典型的な例になりそう。
あとちょっとイラッとしたのが〈「興行性」の強さ〉って言い方。興行なんだから、当然「興行性」はあるし、演出もするでしょうに。かつてはスポーツ面で大々的に取り上げてきたプロレスを排除したのは、「八百長」が問題になったからだよね。だったらそう書けよ。
ただね。素朴な疑問。あれだけ「八百長」の話が出ている大相撲を大々的扱うのはなぜ? 建前上はガチンコの総合格闘技を扱わないのはなぜ?
新聞が率先してプロレスを「八百長」呼ばわりしたことが、プロレスの凋落を招いたのよ。別にそういう方針ならそれでいいと思う。じゃあ、記事の結びをもう少し考えようよ。
「下ろすことになるのだろうか」って、それはあまりにも他人事みたいな書き方じゃないか? それと、「力道山から馬場、猪木と受け継がれてきた」は、プロレスをまったく知らない人が見たら「力道山→馬場→猪木」って流れに見えるよ。実際には力道山の死後、馬場と猪木の対立構造になったのよ。書き方を考えようね。
09-6-3(しなさそう)&09-6-4(~とすべき)
19日
本局後、棋界では「▲5八玉に△8四飛は成立しなさそう。△4一玉とすべき」という見解に落ち着いている。(朝刊25面)
大川慎太郎記者。第67期名人戦第5局の観戦記。なんかヘンな文章だな。「棋界」とか「見解に落ち着く」のせいだろうか。それは別にして、問題が2つ。
1つ目は「しなさそう」。
結論から言うと、間違いではないけど、本来は「しなそう」だと思う。
根拠として、2つのトピをあげておく。
【「動詞+なさそう」の用法について】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38319292&comm_id=398881
もうひとつ。当方が下記のトピに書いた「46」と「50」。こちらのテーマは「動詞+なさすぎ」だけど、ほぼ同じことが言えると思う。たびたび電波が発生して気持ちの悪いトピなので、当該コメントだけコピーする。
【反対語で遊ぼ】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=3&comm_id=8873&id=29363995
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「46」
とあるトピでこんな質問が出ていました。
これには虚をつかれました。
先方はまじめなトピですが、こちらはカテゴリが「お笑い」です。
そのあたりをお含みおきのうえで、 みなさんならどう答えますか。
=====================================
今朝、授業で ます形+すぎる を勉強しましたが、
その反対の意味はどのように表現するのか質問されました。
たとえば、食べすぎ、飲みすぎ、使いすぎなどの
反対の意味で
本当に食べないという意味になるでしょうか、
~すぎが過度な状態を表しているように
過度に~しないの意味で
適切な表現、コメント願います。
ヨロシクお願いいたします。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「50」
「お笑い」系の言葉が浮かばないので、とりあえず文法的な話をば。
文法的に解釈するなら、
食べなすぎ、飲まなすぎ、使わなすぎ
が正解のはずです。
ただし、近年は
食べなさすぎ、飲まなさすぎ、使わなさすぎ
の形も広まってきているとのこと。
当方はもはやこれを誤用と断言する気にはなれません。
余計な「さ」が入るようになったのは、形容の「ない」の場合が「なさすぎ」になることに影響されたという説が有力とのこと。「食べない」などの場合は動詞+助動詞なので、「さ」を入れないのが本来の形のようです。
形容詞の場合 :節操がなさすぎ
動詞+助動詞の場合:言葉を知らなすぎ
ということです。
ただし、先に書いたように、「言葉を知らなさすぎ」も許容範囲ではないかと……。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
もうひとつの問題。「~とすべき」。これも厳密なことを言う人だと誤用と言うだろう。「~とすべし」とするべきなんだろう。ただ、もう許容範囲だろう。
09-6-5
21日
仕事柄か、年のせいか、早起きの癖がついた。この時期、東京だと4時ごろから空が白んで鳥が鳴き始める。散歩もせずにパソコンに向かう当方を含め、日本に暮らす人の多くが早朝の明るさを無駄にする▼きょうは一年で昼が最も長い夏至。日の出から日の入りまで、東京で14時間35分、北海道ではさらに50分ほど長く、朝日の無駄も極まる。日没はまだ少し延びるが、それ以上に夜明けが遅くなっていく▼高い緯度の国々は、夏が短い代わりに日照時間が長い。夏至祭の頃の解放感はひとしおらしい。「夜の空は薄紫のヴェールを下ろしたように広がり、太陽は樅(もみ)の森の彼方(かなた)に隠れて、その残光で金色に染まっている。白夜である」。外交官として北欧が長かった武田龍夫さんの描写だ▼夏至には火を囲み、短夜を踊り明かす風習が欧州各地にあった。太陽の威勢を借りて、万物に精気を満たす営みであろう。はじける喜びは長くて暗い冬の反動で、人々は当然の権利のように、暮れぬ夕べを無駄なく楽しむ。〈路面チェス数人かこむ白夜かな〉森田峠▼前後に春秋という優しい季節がたっぷりあるためか、日本では夏を待ちこがれ、いとおしむ心情がピンとこない。省エネを言いながら、みすみす朝の光を捨てる我らである▼夏時間を採り入れても、戸外での余暇に慣れぬ身は帰宅後の斜陽を持て余そう。いや、働き蜂は暗くなるまで帰らないから残業を増やすだけ、との見方もある。ああ、勤労観の壁。夏至と同居の父の日、「お天道様が高いうちは……」の呪縛をふと思う。(朝刊1面)
「天声人語」。相変わらず相当ヒドい。いちばん引っかかったのは、「夏時間を採り入れても、戸外での余暇に慣れぬ身は帰宅後の斜陽を持て余そう。」。文法的にはアリなのかな。ほとんど誤用に近い「いえよう言葉」だと思う。当然のことながら「持て余すだろう」の意味で使っている。間違っても「皆で持て余そう」って奨励しているわけではない。
あと、冒頭の一文も相当ヘン。「仕事柄か、年のせいか、早起きの癖がついた。」。「年のせいで早起きの癖がついた」人なんているのかね。フツーは「年のせいか早くに目が覚めるようになった」だろう。
1つ目の段落の最後「早朝の明るさを無駄にする」も相当ヘン。筆者はパソコンに向かう際にライトをつけてるの? つけてるとしたら、それは早すぎて「明るさ」が十分でないだけってことでしょ。不十分な明るさだから「散歩」するのは、時間のムダ使いって考え方もできる。
09-6-6
25日
勢力争いが激しく、一歩間違えれば足元をすくわれかねない現代の将棋界で、その健在ぶりを示した。(朝刊38面)
村上耕司記者。まずおなじみの「足元をすくわれる」。手元で調べると、08-7-6/07-7-1/07-7-2などがある。
それを別にしても相当気持ちが悪い。まず「一歩間違えれば」じゃないだろ。「少し油断すると」「一瞬でも気を抜くと」あたりがフツーじゃないかな。それと、現役の名人にが防衛したのを「健在ぶりを示した」はヘンだろう。数年ぶりに復位したなら、「健在ぶりを示した」ことになるだろうが。インネンかな?
09-6-7
26日
これはメモ。朝刊39面。
だからさ。プロレスを八百長呼ばわりして貶めたのは誰なのよ。いまさらこんな記事書いても手遅れだよ。新聞をはじめとするマスコミがプロレスを追いつめ、その皺寄せで三沢が死んだんだよ。少しは責任を感じろよ。それと、紙の新聞の見出しは「選手死なせぬ 三沢の遺志」。これならよくわかる。ネットの「三沢の遺志形に」じゃわかんないよ。ついでに書くと「ライセンス制」が話題になったのはもう何年も前のこと。そういうのは「矢先」とは言わない。
http://www.asahi.com/sports/update/0626/TKY200906250396.html
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事故多発、レスラー資格提唱の矢先「三沢の遺志形に」
プロレスラーの三沢光晴選手が試合中急死した事故の背景には、過激な攻防でファンをつなぎとめようとする業界の事情があった。リング上の事故が相次いだため、三沢選手がレスラーの資格を認定するライセンス制を提唱し、大手3団体が準備を進めていた矢先の事故だった。3団体は三沢選手の遺志を継ぎ、業界全体を管理する統一機構づくりにも乗り出した。
6月13日、広島市で開かれたノアの大会。三沢選手は2対2で戦うタッグマッチの試合中、相手選手にバックドロップ(背後から抱きかかえ、後ろに投げ落とす技)をかけられて脳天をマットに強打し、動けなくなった。ここから反撃に出るのが、いつもの三沢選手の持ち味。ファンは声援で後押ししたが、立ち上がれず、帰らぬ人となった。
リング上では以前から事故が絶えなかった。このため、三沢選手はプロレスラーの「ライセンス制」を提唱していた。3月からはノア、新日本、全日本の大手3団体で改めて準備を開始。7月のライセンス制策定がほぼ決まっていた。プロとしてデビューするために必要な体力や技術の基準を定めるという。
■自称レスラーも
三沢選手の死を受け、3団体はライセンス制に加え、選手の健康管理や定年制、けがをした場合の出場停止基準などを定める統一機構についても検討する。今はたとえ1人でも団体を設立したり、大会を開いたりすることが可能だ。全国に30~40の団体があるとされ、「自称レスラー」もいる。事故多発の遠因にもなっているこうした状況を機構設立で変えたいという。
ノアの仲田龍・取締役統括本部長は「三沢はいつもプロレスをメジャーにしたいと話していた。三沢の遺志を実現させたい」と話す。
プロレスは他の格闘技と異なり、相手の技をあえて受け、頑丈な肉体をアピールするのも魅力とされる。そのために体を鍛え上げ、技の衝撃を最小限に抑えるよう受け身などの練習を繰り返す。三沢選手は「世界一受け身がうまい」と言われ、レスラー仲間から一目置かれた存在だった。それでも事故は起きた。
「週刊ファイト」元編集長の井上譲二さん(56)は「力道山から馬場、猪木の全盛期と比べ、プロレスは質が変わった」と話す。以前はバックドロップなどの必殺技が決まれば勝負がついた。今は試合中に何回も大技が出され、頸椎(けいつい)や後頭部を打つ危険度の高い技も多用される。
■人気落ち過激化
過激さを増す理由に、プロレスの人気低迷をあげる関係者が多い。格闘技ブームやショー的要素の強いプロレス団体が台頭。観客数はどの団体も軒並み減少し、会場が満員になることはまれだ。
目の肥えたファンをさらに満足させようと、レスラーは高度な技を考案。リング上の攻防は激しさを増している。リングドクターの富家(ふけ)孝さん(62)は「高度な受け身の技術はあっても、大手団体は年間100試合以上をこなし、ダメージや疲労が蓄積するのは疑いようがない」という。
新日本プロレス顧問の山本小鉄さん(67)は「ライセンス制ができれば、本当に鍛え上げたプロレスラー以外は業界から排除されていく。将来的には、医師の帯同などサポート体制を統一機構で確立し、ファンにも安心してもらえる環境づくりを目指したい」と話す。
格闘技に詳しいスポーツライターの布施鋼治さん(45)は「かつてのプロレスは選ばれし者のみが戦い、プロボクシングと同レベルの人気を集めていた。今回の動きで選手の質などが向上すれば、プロレスの復権につながっていく可能性がある」と話している。(島康彦)