文末に変化をつける方法(赤い本P110〜134)
お品書きは下記。
【赤い本(ここがヘンだよ『日本語練習帳』)からの抜粋一覧】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2336.html
●言葉をかえて文末に変化をつける(赤い本P110〜134)
【練習問題8】
「〜いると思います」のいう表現を、別な表現に書きかえてください。
文末に変化をつけるためのもっとも簡単な方法は、語彙をふやすことです。
一例だけあげておきましょう。本書でたびたび用いてきた表現なので、お気づきのかたもいると思います。このような小手先のテクニックを、「語彙」などというとおしかりを受けるかもしれませんが。
たったいま使った「〜いると思います」という表現は、次のように書きかえることができます。
〜いると予想されます
〜いると思われます
〜いることでしょう
〜いるでしょう
〜いるはずです
〜いる気がします
〜いるかもしれません
ほかにもいろいろな表現がありますが、これ以上並べるのはやめておきます(「〜いると思います」が、「〜ヘンだと思います」なら、多少書きかえ方がかわってきます)。
こういう安易な書きかえは、言葉の厳密な意味を尊重されるかたにはおすすめできません。当然のことながら、ここに並べた言葉はそれぞれ意味が違っているからです。個人的には、後ろのほうの表現ほどクダけた感じになる気がしても、「意味に大きな違いはないことが多い」と割り切ることにしています。
注目していただきたいのは、この表現のなかに、マス、デス、ショウ、マセンの4種類の文末が含まれていることです。つまり、言葉の厳密な意味にこだわらなければ、前後の文末に応じて4つのなかから自由に選べることになります。本書をここまでお読みになったかたなら、これがどれだけ便利なことかおわかりいただけるはずです。たとえば、次のような使い方をしています。
〈原文〉(文末に「〜と思います」が続く文章)
文末が単調になると、文章も単調になると思います。それを防ぐには、文末に変化をつければよいと思います。そのためには、語彙をふやすのがもっとも簡単な方法だと思います。
〈書きかえ文〉(言葉をかえて文末に変化をつけた文章)
文末が単調になると、文章も単調になると思います。それを防ぐには、文末に変化をつければよいでしょう。そのためには、語彙をふやすのがもっとも簡単な方法かもしれません。
ちなみに、本書では不要と思われるデショウも使われています。これも文末に変化をつけるための苦肉の策とお許しください。このほかにも文章がヘンになっているところは、たいてい文末に変化をつけるために表現をかえているところです。文末に注意して読むと、変化をつけるためのヒントになるかもしれません。
語彙を豊富にするのは文末に変化をつけるひとつの便法ではあります。しかし、しょせん小細工にすぎません。ここで例にあげた「〜と思います」の場合はいろいろな文末に書きかえられますが、別な言葉にかえても文末はかわらないことが多いからです。
体言止めの使い方
●「終わりよりは始まりに」「長い文よりは短い文に」
【練習問題9】
体言止めにはいくつかの種類があり、それぞれ性質が少し違います。体言止めの種類を2つあげてください。
文末に変化をつける方法のひとつに、体言止めがあります。
ただし、「名詞+デス」の形が続くのを防ぐために体言止めを使うのは、あまりおすすめできる方法ではありません。根本的な解決策は次項で紹介しますが、その前にしておきたいのは、体言止めの使い方の話です。
体言止めの使い方は論理的に説明するのがむずかしく、ほとんどが経験則に基づいた記述であることを、あらかじめお断りしておきます。そのため、ほかの項目以上に例外が多くなるはずです。
念のために、体言止めの辞書的な意味を確認しておきましょう。
体言とは、名詞、代名詞の総称で、副詞などを含めることもあります。通常なら文末の体言の直後につくデスやデシタなどを省略した形が体言止めです。体言止めにはいくつかの形がありますが、ここでは3つに分けて考えます。
1)後ろのデス(デシタ)が省略されている形
例 体言とは名詞、代名詞などの総称のこと。
2)後ろのシマス(シマシタ)が省略されている形
例 自然の美しさを実感。
3)「倒置」によって生じた形
例 東京郊外のターミナル住宅地、二子玉川園。
この3つのうち、よく目にするのは1)の形です。
第1章で、「体言止めは、デス・マス体の文章にはなじみにくいのではないでしょうか」と書いたのは、あくまでも個人的な感覚にすぎません。極論すると、文末に来るデスはすべて取っても構わないとさえ思っています。自分でデアル体の文章を書くときには、デアルやダは音の響きが強すぎる気がするので極力使わないようにしているぐらいです。しかし、体言止めが連続する文章は、箇条書きのようなヘンな印象になります。
では、体言止めはどのように使えばよいのでしょうか。次の3つの例文を比べてみてください。
1)まず体言止めの問題。この問題を論理的に説明するには工夫が必要です。なかなかひと筋縄には行きません。
2)まず体言止めの問題。この問題を論理的に説明するには工夫が必要。なかなかひと筋縄には行きません。
3)まず体言止めの問題です。この問題を論理的に説明するには工夫が必要。なかなかひと筋縄には行きません。
おそらく、3つの文章のうちでもっとも自然なのは1)です。2)のように、体言止めが続く形は避けるべきでしょう。3)が1)に比べてなぜヘンなのかをあえて説明すると、体言止めには次の性質があるからだと思います。
・文章中にあるよりも、文章の始まりにあるほうが自然
・長い文で使うよりも、短い文で使うほうが自然
この2つを原則にするとよさそうです。ここで「文章の始まり」と書いたのは、全体の始まりのことだけではありません。小見出しや改行の直後の文章の始まりも、全体の始まりに準じます。
少しヘンな感じになることが多いのは、文章の終わりにある体言止めです。付け加えるニュアンスの一文(注意書きなど)を最後に添える場合を別にすると、尻切れトンボの印象になってしまうことがあります。余韻の残ることが多い「変則形の文末」(★ページ参照)が文章の終わりに向くのと対照的です。
2)は後ろのシマス(シマシタ)が省略された形でやや特殊ですが、新聞ではよく見かけます。デス・マス体の文章で使われることはほとんどないため、後ろのスル、シタが省略された形というほうが正確かもしれません。タイトルや小見出しなど、字数が極端に制限されるとき以外に使うと、言葉足らずの印象になります。
たとえば、先に比べた例文の最初の一文を「まず体言止めの問題から開始」にしても問題はないのかもしれませんが、安易に使わないほうが無難です。この形は、新聞の文章のなかでお手本に向かない例のひとつだと思います(新聞の文章に関しては★ページ参照)。
3)は「二子玉川園は東京郊外のターミナル住宅地です。」の主語である「二子玉川園」を、後ろに移動したと考えられる形です。「倒置」によって生じた形というのは妥当な表現ではありませんが、便宜上こう呼んでおきます。1)と違い、文末に省略されているはずのデスが加えられません。この形の文は、文章の途中では使いにくく感じられるのに、なぜか文章の始まりにもってくるとヘンではなくなります。さらに、ふつうは長い文章の文末を体言止めにするのはおすすめできないのに、3)の形は多少長くてもおかしくなりません。
【Coffee Break】
「倒置」による体言止めがもつ不思議な特徴
体言止めの3)としてあげた「倒置」によって生じた形がどういう性質をもっているのか、気にはしながらもわからないままになっています。感覚的な問題なので例文をあげながら見ていきましょう(デス・マス体の文章で体言止めを使うと違和感があるので、以下の例文はすべてデアル体にします)
〈原文1〉(「倒置」によって生じた体言止め)
1)ターミナル住宅地、二子玉川園。東京郊外にあり、東急線の新玉川線、田園都市線、大井町線が集結している。駅前には、街のイメージにふさわしい近代的な大型ショッピングセンターが建つ。
2)東京郊外のターミナル住宅地、二子玉川園。東急線の新玉川線、田園都市線、大井町線が集結し、駅前には街のイメージにふさわしい近代的な大型ショッピングセンターが建つ。
3)東急線の新玉川線、田園都市線、大井町線が集結している東京郊外のターミナル住宅地、二子玉川園。駅前には、街のイメージにふさわしい近代的な大型ショッピングセンターが建つ。
4)東急線の新玉川線、田園都市線、大井町線が集結している東京郊外のターミナル住宅地であり、駅前には街のイメージにふさわしい近代的な大型ショッピングセンターが建つ二子玉川園。
1)は「倒置」の部分が短いために、ヘンになっています。短いためというより、単語が2つ並んでいるだけにも見えるせいです。もっと文字数は少なくても、「若者の街、渋谷。」ならほとんど問題はありません。2)と3)のどちらが自然に感じられるのかは微妙で、強いていえば3)のほうがほんの少しマシかもしれない、という程度のことです。4)は一文が長くなったのでややわかりにくくなっています。しかし、ここまで長くなっているのに、体言止めを使ってもヘンではありません。
1)〜3)の最初の文は、「倒置」ではない体言止めの形にもできます。
〈書きかえ文1〉(「倒置」ではない体言止めに書きかえた例)
1)二子玉川園はターミナル住宅地。東京郊外にあり……
2)二子玉川園は東京郊外のターミナル住宅地。東急線の……
3)二子玉川園は東急線の新玉川線、田園都市線、大井町線が集結している東京郊外のターミナル住宅地。駅前には……
1)は「倒置」のときと同様の理由でヘンです。やはり、「渋谷は若者の街。」ならややマシになります。2)がもっとも自然で、3)は体言止めを使うには一文が長すぎる感じがあり、文末にデアルをつけたいところです。
ただし、体言止めにするか否かとは別の問題で、書かれている内容を考えると、〈書きかえ文1〉の1)〜3)はいずれもヘンな感じがします。至極当然のことをわざわざ説明しているような印象になるからです。それが「倒置」の文にするとヘンではなくなります。
見た目はよく似ていても、次の形の体言止めは「倒置」によって生じたものではありません。
〈原文2〉(「倒置の類似形」)
小高い丘の上にそびえる白亜の建物。
「倒置」によって生じたものでないことは、〈原文1〉と同じように「倒置」ではない文にしてみるとはっきりします。
〈書きかえ文2〉(「倒置」ではない文に書きかえた例)
白亜の建物は小高い丘の上にそびえる。
〈書きかえ文2〉は、このままでは落ち着きが悪く、文頭に「その」をつけたくなります。文末もこのままでは体言止めにできません。
〈原文2〉は「倒置」ではなく、「主語+は」(たとえば「Aさんの家は」)が省略されている形です。文末にダやデアルをつけると不自然になりますが、過去形のダッタ・デアッタならややマシで、小説では見かけることがあります。とはいっても変則的な形なので、ふつうの文章にはおすすめできません。
「倒置の類似形」を文法的に解釈すると、「文」というより「長い形容詞句がついた名詞」になりそうです。最後に来る名詞が固有名詞だと、なぜか性質が少しかわってきます。
〈原文3〉(最後が固有名詞になっている「倒置の類似形」)
日本有数の繁華街として知られている新宿。
〈書きかえ文3〉(「倒置」ではない文に書きかえた例)
新宿は日本有数の繁華街として知られている。
〈書きかえ文3〉は〈書きかえ文2〉と違い、このままでも文としてヘンではありませんし、文末に「街」とか「エリア」をつければ、簡単に体言止めにできます。
「倒置」と「倒置の類似形」に共通しているのは、文章の始まりに使うと簡潔に全体をまとめる働きをすることです。そのため、店などを紹介する短い記事は、この形が非常に多く使われています。便利な形ですが、多用すると文章の印象が画一的になりがちです。
「倒置の類似形」も、「倒置」と同様にあまり短くすると不自然になります。次の2つの例文を比べてみてください。
ビジネス街にあるパスタの店。この店の人気メニューは……
パスタの店。ビジネス街にあるこの店の人気メニューは……
文末のデスとマスを入れかえる方法
●「主述の入れかえ」で文末をかえる
【練習問題10】
次の文を、マスで終わる文に書きかえてください。
文章の価値を決めるのは、書かれている内容デス。
文末に「(動詞+)マス」が続いている文章や、逆に「(名詞+)デス」が続いている文章はよく見かけます。「(名詞+)デス」が続くのを防ぐために、体言止めをまじえているのもよく見る例です。このように文末が単調になっているとき、ちょっとしたコツを知っていると、簡単に文末に変化をつけることができます。個人的な経験でいえば、この方法に気がついて以来、文末に変化があるように見せかける苦労が大幅に減りました。めんどうに感じられるかもしれませんが、原理としてはきわめて単純で、知っていると必ず役に立つはずです。
【練習問題10】にした文は、次のように書きかえれば、マスで終わる文になります。
書かれている内容が文章の価値を決めマス。
基本的なパターンはこれだけです。主部(文章の価値を決める)と述部(書かれている内容)を入れかえるだけで、文末はデスにもマスにもなります(これを「主述の入れかえ」と呼ぶことにします)。
これを少し応用すれば、多くの単文の文末を書きかえることができます。ここでは単文に限って話を進め、複文の文末の書きかえにはふれません。原理としてはほとんど同じで、複文のほうが文末を書きかえやすいことが多いようですが、いろいろなパターンがあるので例を細かくあげていくとキリがないからです。複文の文末は多少単調になっても目立たないので、単文ほど文末に神経質になる必要もないでしょう。
★ページであげた例文の文末を書きかえてみます(わかりやすいように「示すこと」を「提示」にかえ、一文ずつ改行して文に番号をつけます)。
〈原文〉(文末はマス、デス、マス)
1)本書では、わかりやすくて読みやすい文章を「明文」と表記します。
2)この「明文」を書くためのヒントの提示が、本書の目的です。
3)しかも、できるだけ具体的なヒントの提示を心がけたいと思います。
〈書きかえ文1〉(文末はマス、マス、マス)
1)本書では、わかりやすくて読みやすい文章を「明文」と表記します。
2)本書は、この「明文」を書くためのヒントの提示を目的にしています。
3)しかも、できるだけ具体的なヒントの提示を心がけたいと思います。
〈書きかえ文2〉(文末はデス、マス、デス)
1)本書で「明文」と表記するのは、わかりやすくて読みやすい文章のことです。
2)本書は、この「明文」を書くためのヒントの提示を目的にしています。
3)しかも、心がけたいと思うのは、できるだけ具体的なヒントを提示することです。
〈原文〉〈書きかえ文1〜2〉の1)〜3)の文は、それぞれ同じ意味なのに、文末がかわっています。それぞれの印象の違いを見ていきましょう。
〈書きかえ文1〉は3文とも文末がマスになり、〈原文〉に比べると単調な感じになります。単調さが緩和されているのは、一文が多少長く、3)の文の構造がほかの文と違うためです(3)だけが「〇〇は、〜」の形ではありません)。
〈書きかえ文2〉は、〈原文〉に比べると文章に多少ゆがみが出ています。そのゆがみが端的に現れているのが、〈原文〉にはなかった2カ所の「の」と「こと」です(2)の文末をかえても「こと」が出現しない理由は省略します)。
細かいことですが、〈書きかえ文1〜2〉の1)と2)のように同じ言葉(「本書」)で始まる文が続くのも、文章が単調に感じられる原因になります。
このように考えていくと、3つのなかでいちばんマシなのは〈原文〉です。はじめからこのような発想ができれば、そのまま書いても自然な文章になり、文章をゆがめなくても文末は単調になりません。しかし、いつでもそのまま文章にできるような発想をするのはほとんど不可能です。
「文章は思ったことを、素直にそのまま書けばいい」
と主張している「文章読本」もあります。それで自然な文章が書けるのなら、だれも苦労はしません。思いつくままに書いた文章は、単調になってしまうほうがふつうです。しかも、一文を短くすればするほど、その傾向が強くなります。
「タネ明かし」になってしまうことをあえて書けば、この〈原文〉を作るのにはかなりてこずりました。単文で書いても文末が単調にならない発想など、そう簡単にはできないからです。本書でも、文末に変化をつけるために、多少ゆがみが出るのを承知のうえで「主述の入れかえ」をした文がいくつもあります。第1章に散見される「こと」や「もの」の多くは、そのために生まれたものです。
●ほかの方法との組み合わせで文末に変化をつける
【練習問題11】
次の1)〜4)の各文を、デスで終わる文に書きかえてください。
1)安政条約によって、次のような問題が生じていました。
2)フランスやイギリスは日本に軍隊を駐留させる権利を得ていました。
3)日本の裁判所は外人に対し裁判する権利がありませんでした。
4)日本の国内産業の死活を制する輸入関税率も日本自身で決定することはできませんでした。
もちろん、すべての単文で「主述の入れかえ」ができるわけではありません。
たとえば、「本を読みます。」のように単純すぎる文を、「読むのは本です。」にするとヘンな感じになります。省略されていた主語を補って「私が読むのは本です。」にしても、どんな本であるかを書かないと不自然です。「彼は小学生です。」のような文も、このままでは書きかえようがありません。
ある程度の長さがあっても書きかえられない文や、「主述の入れかえ」をしても文末がかわらない文もあります。その場合は、ほかの方法と組み合わせて文末に変化をつける工夫をしなければなりません。
【練習問題11】にしたのは、★ページで作った〈書きかえ案1〉を、便宜上少し加工したものです。難問だったと思いますが、どのような書きかえになったでしょうか。
〈書きかえ案2〉(単純に「主述の入れかえ」をした例)
1)次のような問題が生じていたのは安政条約によってです。
2)日本に軍隊を駐留させる権利を得ていたのはフランスやイギリスです。
3)外人に対し裁判する権利がなかったのは日本の裁判所です。
4)日本自身で決定することはできなかったのは日本の国内産業の死活を制する輸入関税率です。
単純に「主述の入れかえ」をした〈書きかえ案2〉は、ヘンな文になってしまいました。そこで次のように工夫してみます。
〈書きかえ案3〉(「主述の入れかえ」方を工夫した例)
1)安政条約によって生じていたのは、次のような問題です。
2)フランスやイギリスが得ていたのは日本に軍隊を駐留させる権利です。
3)日本の裁判所がもっていなかったのは外人に対し裁判する権利です。
4)日本自身でできなかったのは日本の国内産業の死活を制する輸入関税率も決定することです。
3)と4)はまだ少しヘンな感じがします。どうしてもデスで終わらせたい場合は、「主述の入れかえ」をしないで少し言葉をかえて書きかえる方法も考えます。
〈書きかえ案4〉(「主述の入れかえ」をしないで文末をデスにした例)
3)日本の裁判所にとっての問題は外人に対し裁判する権利がなかったことです。
4)日本の国内産業の死活を制する輸入関税率に関する問題は日本自身で決定できなかったことです。
もう少し文章をかえれば、もっとマシになるのでしょうが、実際に文章を書くときには、そこまで必要になることはほとんどありません。文末にマスが続いたときには、「主述の入れかえ」がしやすい文を探してみてください。1つの文の文末をデスにかえるだけで、文章全体の印象がかなりかわります(もちろん、同様にデスをマスにかえることもあります)。
もうひとつ注目していただきたいのは、〈書きかえ案1〉の文末が過去形なのに、〈書きかえ案2〜4〉の文末が現在形になっていることです。〈書きかえ案2〜4〉の基本的な構造は次の2つにまとめられます。
・〜したのは(名詞)デス
・(名詞)は〜したことデス
第1章で、デス・マス体の過去形は、ほとんどがデシタとマシタになることを紹介しました。〈書きかえ案2〜4〉のような書きかえをすれば、無理なく文末に変化をつけることができます。マシタが続くのを避けるためにタノデスを使うよりは、ずっとマシなはずです。
【Coffee Break】
箇条書きを文章にする方法
「書きたいことがあるのに、なかなか文章にできない」という人には、まず書きたいことを箇条書きにしてしまうことをおすすめします。無理に考えをまとめようとするより、書きたい要素を書き出してしまうことです。すべての要素を書き出しきれなくても、いっこうに構いません。文章を書いていくうちに思い出すことも多いからです。
要素を書き出したら、あとは次の要領で文章にしていきます。
1)文章の流れを考えて、要素を並べる順番を決める
2)要素のなかから、複文にしやすい組を選ぶ(原則として2つの単文を複文にする)
3)その形で、いったん文章を書いてしまう
4)文末や言葉づかいなどを修正して、体裁を整える
めんどうな段階を踏んでいるようですが、慣れてくると2)は必要なくなります。決めた順番どおりに2つずつ複文にして書いていっても、「ここは単文で書いたほうがいい」という感覚がわかってきます。3つの単文を一文にしてもわかりにくくならないケースもわかってくるはずです。それがわかるまでは、2つの単文を複文にするのを基本にしていくほうがよいでしょう。
自分でふだん文章を書くときには、ここまで厳密には段階を踏んでいませんが、基本的には同じことをやっています。どこまで省略できるのかは、慣れの問題でしかありません。
たとえば、取材に基づいて文章を書こうと思えば、「取材メモ」が書き出した要素になります。メモですから、当然箇条書きです。このメモを確認したら、順番もだいたいの見当をつけるだけで、書きはじめてしまいます。この段階であまり考えこんでしまうと、かえって書けなくなってしまうからです。
テーマがむずかしいときや書くべき要素が少ないときは、文章の流れがまとまらなくて、なかなか書きはじめられません。しかし、むしろそういうときこそ、とにかく書いてしまうことを優先させます。多少文章が粗くても、気にしません。ほとんど箇条書きになってしまっているのを承知で、先に進むこともあります。
そのかわり、4)には人より時間をかけているつもりです。とりあえず書いた文章は下書き程度にしか考えていないので、あとから見直して全体の流れをかえてしまうことも珍しくありません。複文になっているペアをくずしたり、単文同士を結合して複文にしたり、という作業をするのはいつものことです。このときに、後述する方法で指示語や接続詞を削除したり追加したり、といった作業もします。
単文を多くしたときに、とくに注意を払うのが文末です。同じ文末が続いたときにはまず「主述の入れかえ」を考え、それができないようなら前後の文との結合を考えます。これも慣れの問題で、文章を書きながらこの作業をすることも、そうむずかしくはありません。
「主述の入れかえ」が有効なのは、文末が単調になりがちなデス・マス体の場合だけではありません。書き慣れない人のデアル体の文章の文末を見ると、体言止めが続いていることもしばしばです。イキイキとした文章に感じられることもありますが、たいていは箇条書きのような印象になっています。それを防ぐために、体言止めと「名詞+ダ」と「名詞+デアル」が交互に繰り返されているのもよく見かける例で、文末に変化はついていても、根本的な問題の解決にはなっていません。
そういう文章を目にすると、一文だけ「主述の入れかえ」をするだけでも印象がかわるのに……と、ついよけいなことを考えてしまいます。
もうひとつ付け加えると、書き終わった文章は、少し時間をおいてから見直したほうがよいでしょう。時間が切迫していても、ひと晩たってから見直すぐらいの余裕は欲しいところです。ちょっと時間をおくだけで、書き終わった直後にはわからなかった文章の不備に気がつくこともあります。
ほとんど箇条書きでしかない下書きも、この第2章で説明している方法で、「明文」の原形レベルにはできるはずです。そこに「個性」や「リズム」をつける方法は、本書ではとても説明しきれません。それこそ「名文」に学んでもらうしかないことです。
デス・マス体の文末に変化をつける実例として下記をあげておく。
【デス・マス体の文末に変化をつける方法】〈2〉
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12047400859.html
【赤い本(ここがヘンだよ『日本語練習帳』)からの抜粋一覧】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2336.html
●言葉をかえて文末に変化をつける(赤い本P110〜134)
【練習問題8】
「〜いると思います」のいう表現を、別な表現に書きかえてください。
文末に変化をつけるためのもっとも簡単な方法は、語彙をふやすことです。
一例だけあげておきましょう。本書でたびたび用いてきた表現なので、お気づきのかたもいると思います。このような小手先のテクニックを、「語彙」などというとおしかりを受けるかもしれませんが。
たったいま使った「〜いると思います」という表現は、次のように書きかえることができます。
〜いると予想されます
〜いると思われます
〜いることでしょう
〜いるでしょう
〜いるはずです
〜いる気がします
〜いるかもしれません
ほかにもいろいろな表現がありますが、これ以上並べるのはやめておきます(「〜いると思います」が、「〜ヘンだと思います」なら、多少書きかえ方がかわってきます)。
こういう安易な書きかえは、言葉の厳密な意味を尊重されるかたにはおすすめできません。当然のことながら、ここに並べた言葉はそれぞれ意味が違っているからです。個人的には、後ろのほうの表現ほどクダけた感じになる気がしても、「意味に大きな違いはないことが多い」と割り切ることにしています。
注目していただきたいのは、この表現のなかに、マス、デス、ショウ、マセンの4種類の文末が含まれていることです。つまり、言葉の厳密な意味にこだわらなければ、前後の文末に応じて4つのなかから自由に選べることになります。本書をここまでお読みになったかたなら、これがどれだけ便利なことかおわかりいただけるはずです。たとえば、次のような使い方をしています。
〈原文〉(文末に「〜と思います」が続く文章)
文末が単調になると、文章も単調になると思います。それを防ぐには、文末に変化をつければよいと思います。そのためには、語彙をふやすのがもっとも簡単な方法だと思います。
〈書きかえ文〉(言葉をかえて文末に変化をつけた文章)
文末が単調になると、文章も単調になると思います。それを防ぐには、文末に変化をつければよいでしょう。そのためには、語彙をふやすのがもっとも簡単な方法かもしれません。
ちなみに、本書では不要と思われるデショウも使われています。これも文末に変化をつけるための苦肉の策とお許しください。このほかにも文章がヘンになっているところは、たいてい文末に変化をつけるために表現をかえているところです。文末に注意して読むと、変化をつけるためのヒントになるかもしれません。
語彙を豊富にするのは文末に変化をつけるひとつの便法ではあります。しかし、しょせん小細工にすぎません。ここで例にあげた「〜と思います」の場合はいろいろな文末に書きかえられますが、別な言葉にかえても文末はかわらないことが多いからです。
体言止めの使い方
●「終わりよりは始まりに」「長い文よりは短い文に」
【練習問題9】
体言止めにはいくつかの種類があり、それぞれ性質が少し違います。体言止めの種類を2つあげてください。
文末に変化をつける方法のひとつに、体言止めがあります。
ただし、「名詞+デス」の形が続くのを防ぐために体言止めを使うのは、あまりおすすめできる方法ではありません。根本的な解決策は次項で紹介しますが、その前にしておきたいのは、体言止めの使い方の話です。
体言止めの使い方は論理的に説明するのがむずかしく、ほとんどが経験則に基づいた記述であることを、あらかじめお断りしておきます。そのため、ほかの項目以上に例外が多くなるはずです。
念のために、体言止めの辞書的な意味を確認しておきましょう。
体言とは、名詞、代名詞の総称で、副詞などを含めることもあります。通常なら文末の体言の直後につくデスやデシタなどを省略した形が体言止めです。体言止めにはいくつかの形がありますが、ここでは3つに分けて考えます。
1)後ろのデス(デシタ)が省略されている形
例 体言とは名詞、代名詞などの総称のこと。
2)後ろのシマス(シマシタ)が省略されている形
例 自然の美しさを実感。
3)「倒置」によって生じた形
例 東京郊外のターミナル住宅地、二子玉川園。
この3つのうち、よく目にするのは1)の形です。
第1章で、「体言止めは、デス・マス体の文章にはなじみにくいのではないでしょうか」と書いたのは、あくまでも個人的な感覚にすぎません。極論すると、文末に来るデスはすべて取っても構わないとさえ思っています。自分でデアル体の文章を書くときには、デアルやダは音の響きが強すぎる気がするので極力使わないようにしているぐらいです。しかし、体言止めが連続する文章は、箇条書きのようなヘンな印象になります。
では、体言止めはどのように使えばよいのでしょうか。次の3つの例文を比べてみてください。
1)まず体言止めの問題。この問題を論理的に説明するには工夫が必要です。なかなかひと筋縄には行きません。
2)まず体言止めの問題。この問題を論理的に説明するには工夫が必要。なかなかひと筋縄には行きません。
3)まず体言止めの問題です。この問題を論理的に説明するには工夫が必要。なかなかひと筋縄には行きません。
おそらく、3つの文章のうちでもっとも自然なのは1)です。2)のように、体言止めが続く形は避けるべきでしょう。3)が1)に比べてなぜヘンなのかをあえて説明すると、体言止めには次の性質があるからだと思います。
・文章中にあるよりも、文章の始まりにあるほうが自然
・長い文で使うよりも、短い文で使うほうが自然
この2つを原則にするとよさそうです。ここで「文章の始まり」と書いたのは、全体の始まりのことだけではありません。小見出しや改行の直後の文章の始まりも、全体の始まりに準じます。
少しヘンな感じになることが多いのは、文章の終わりにある体言止めです。付け加えるニュアンスの一文(注意書きなど)を最後に添える場合を別にすると、尻切れトンボの印象になってしまうことがあります。余韻の残ることが多い「変則形の文末」(★ページ参照)が文章の終わりに向くのと対照的です。
2)は後ろのシマス(シマシタ)が省略された形でやや特殊ですが、新聞ではよく見かけます。デス・マス体の文章で使われることはほとんどないため、後ろのスル、シタが省略された形というほうが正確かもしれません。タイトルや小見出しなど、字数が極端に制限されるとき以外に使うと、言葉足らずの印象になります。
たとえば、先に比べた例文の最初の一文を「まず体言止めの問題から開始」にしても問題はないのかもしれませんが、安易に使わないほうが無難です。この形は、新聞の文章のなかでお手本に向かない例のひとつだと思います(新聞の文章に関しては★ページ参照)。
3)は「二子玉川園は東京郊外のターミナル住宅地です。」の主語である「二子玉川園」を、後ろに移動したと考えられる形です。「倒置」によって生じた形というのは妥当な表現ではありませんが、便宜上こう呼んでおきます。1)と違い、文末に省略されているはずのデスが加えられません。この形の文は、文章の途中では使いにくく感じられるのに、なぜか文章の始まりにもってくるとヘンではなくなります。さらに、ふつうは長い文章の文末を体言止めにするのはおすすめできないのに、3)の形は多少長くてもおかしくなりません。
【Coffee Break】
「倒置」による体言止めがもつ不思議な特徴
体言止めの3)としてあげた「倒置」によって生じた形がどういう性質をもっているのか、気にはしながらもわからないままになっています。感覚的な問題なので例文をあげながら見ていきましょう(デス・マス体の文章で体言止めを使うと違和感があるので、以下の例文はすべてデアル体にします)
〈原文1〉(「倒置」によって生じた体言止め)
1)ターミナル住宅地、二子玉川園。東京郊外にあり、東急線の新玉川線、田園都市線、大井町線が集結している。駅前には、街のイメージにふさわしい近代的な大型ショッピングセンターが建つ。
2)東京郊外のターミナル住宅地、二子玉川園。東急線の新玉川線、田園都市線、大井町線が集結し、駅前には街のイメージにふさわしい近代的な大型ショッピングセンターが建つ。
3)東急線の新玉川線、田園都市線、大井町線が集結している東京郊外のターミナル住宅地、二子玉川園。駅前には、街のイメージにふさわしい近代的な大型ショッピングセンターが建つ。
4)東急線の新玉川線、田園都市線、大井町線が集結している東京郊外のターミナル住宅地であり、駅前には街のイメージにふさわしい近代的な大型ショッピングセンターが建つ二子玉川園。
1)は「倒置」の部分が短いために、ヘンになっています。短いためというより、単語が2つ並んでいるだけにも見えるせいです。もっと文字数は少なくても、「若者の街、渋谷。」ならほとんど問題はありません。2)と3)のどちらが自然に感じられるのかは微妙で、強いていえば3)のほうがほんの少しマシかもしれない、という程度のことです。4)は一文が長くなったのでややわかりにくくなっています。しかし、ここまで長くなっているのに、体言止めを使ってもヘンではありません。
1)〜3)の最初の文は、「倒置」ではない体言止めの形にもできます。
〈書きかえ文1〉(「倒置」ではない体言止めに書きかえた例)
1)二子玉川園はターミナル住宅地。東京郊外にあり……
2)二子玉川園は東京郊外のターミナル住宅地。東急線の……
3)二子玉川園は東急線の新玉川線、田園都市線、大井町線が集結している東京郊外のターミナル住宅地。駅前には……
1)は「倒置」のときと同様の理由でヘンです。やはり、「渋谷は若者の街。」ならややマシになります。2)がもっとも自然で、3)は体言止めを使うには一文が長すぎる感じがあり、文末にデアルをつけたいところです。
ただし、体言止めにするか否かとは別の問題で、書かれている内容を考えると、〈書きかえ文1〉の1)〜3)はいずれもヘンな感じがします。至極当然のことをわざわざ説明しているような印象になるからです。それが「倒置」の文にするとヘンではなくなります。
見た目はよく似ていても、次の形の体言止めは「倒置」によって生じたものではありません。
〈原文2〉(「倒置の類似形」)
小高い丘の上にそびえる白亜の建物。
「倒置」によって生じたものでないことは、〈原文1〉と同じように「倒置」ではない文にしてみるとはっきりします。
〈書きかえ文2〉(「倒置」ではない文に書きかえた例)
白亜の建物は小高い丘の上にそびえる。
〈書きかえ文2〉は、このままでは落ち着きが悪く、文頭に「その」をつけたくなります。文末もこのままでは体言止めにできません。
〈原文2〉は「倒置」ではなく、「主語+は」(たとえば「Aさんの家は」)が省略されている形です。文末にダやデアルをつけると不自然になりますが、過去形のダッタ・デアッタならややマシで、小説では見かけることがあります。とはいっても変則的な形なので、ふつうの文章にはおすすめできません。
「倒置の類似形」を文法的に解釈すると、「文」というより「長い形容詞句がついた名詞」になりそうです。最後に来る名詞が固有名詞だと、なぜか性質が少しかわってきます。
〈原文3〉(最後が固有名詞になっている「倒置の類似形」)
日本有数の繁華街として知られている新宿。
〈書きかえ文3〉(「倒置」ではない文に書きかえた例)
新宿は日本有数の繁華街として知られている。
〈書きかえ文3〉は〈書きかえ文2〉と違い、このままでも文としてヘンではありませんし、文末に「街」とか「エリア」をつければ、簡単に体言止めにできます。
「倒置」と「倒置の類似形」に共通しているのは、文章の始まりに使うと簡潔に全体をまとめる働きをすることです。そのため、店などを紹介する短い記事は、この形が非常に多く使われています。便利な形ですが、多用すると文章の印象が画一的になりがちです。
「倒置の類似形」も、「倒置」と同様にあまり短くすると不自然になります。次の2つの例文を比べてみてください。
ビジネス街にあるパスタの店。この店の人気メニューは……
パスタの店。ビジネス街にあるこの店の人気メニューは……
文末のデスとマスを入れかえる方法
●「主述の入れかえ」で文末をかえる
【練習問題10】
次の文を、マスで終わる文に書きかえてください。
文章の価値を決めるのは、書かれている内容デス。
文末に「(動詞+)マス」が続いている文章や、逆に「(名詞+)デス」が続いている文章はよく見かけます。「(名詞+)デス」が続くのを防ぐために、体言止めをまじえているのもよく見る例です。このように文末が単調になっているとき、ちょっとしたコツを知っていると、簡単に文末に変化をつけることができます。個人的な経験でいえば、この方法に気がついて以来、文末に変化があるように見せかける苦労が大幅に減りました。めんどうに感じられるかもしれませんが、原理としてはきわめて単純で、知っていると必ず役に立つはずです。
【練習問題10】にした文は、次のように書きかえれば、マスで終わる文になります。
書かれている内容が文章の価値を決めマス。
基本的なパターンはこれだけです。主部(文章の価値を決める)と述部(書かれている内容)を入れかえるだけで、文末はデスにもマスにもなります(これを「主述の入れかえ」と呼ぶことにします)。
これを少し応用すれば、多くの単文の文末を書きかえることができます。ここでは単文に限って話を進め、複文の文末の書きかえにはふれません。原理としてはほとんど同じで、複文のほうが文末を書きかえやすいことが多いようですが、いろいろなパターンがあるので例を細かくあげていくとキリがないからです。複文の文末は多少単調になっても目立たないので、単文ほど文末に神経質になる必要もないでしょう。
★ページであげた例文の文末を書きかえてみます(わかりやすいように「示すこと」を「提示」にかえ、一文ずつ改行して文に番号をつけます)。
〈原文〉(文末はマス、デス、マス)
1)本書では、わかりやすくて読みやすい文章を「明文」と表記します。
2)この「明文」を書くためのヒントの提示が、本書の目的です。
3)しかも、できるだけ具体的なヒントの提示を心がけたいと思います。
〈書きかえ文1〉(文末はマス、マス、マス)
1)本書では、わかりやすくて読みやすい文章を「明文」と表記します。
2)本書は、この「明文」を書くためのヒントの提示を目的にしています。
3)しかも、できるだけ具体的なヒントの提示を心がけたいと思います。
〈書きかえ文2〉(文末はデス、マス、デス)
1)本書で「明文」と表記するのは、わかりやすくて読みやすい文章のことです。
2)本書は、この「明文」を書くためのヒントの提示を目的にしています。
3)しかも、心がけたいと思うのは、できるだけ具体的なヒントを提示することです。
〈原文〉〈書きかえ文1〜2〉の1)〜3)の文は、それぞれ同じ意味なのに、文末がかわっています。それぞれの印象の違いを見ていきましょう。
〈書きかえ文1〉は3文とも文末がマスになり、〈原文〉に比べると単調な感じになります。単調さが緩和されているのは、一文が多少長く、3)の文の構造がほかの文と違うためです(3)だけが「〇〇は、〜」の形ではありません)。
〈書きかえ文2〉は、〈原文〉に比べると文章に多少ゆがみが出ています。そのゆがみが端的に現れているのが、〈原文〉にはなかった2カ所の「の」と「こと」です(2)の文末をかえても「こと」が出現しない理由は省略します)。
細かいことですが、〈書きかえ文1〜2〉の1)と2)のように同じ言葉(「本書」)で始まる文が続くのも、文章が単調に感じられる原因になります。
このように考えていくと、3つのなかでいちばんマシなのは〈原文〉です。はじめからこのような発想ができれば、そのまま書いても自然な文章になり、文章をゆがめなくても文末は単調になりません。しかし、いつでもそのまま文章にできるような発想をするのはほとんど不可能です。
「文章は思ったことを、素直にそのまま書けばいい」
と主張している「文章読本」もあります。それで自然な文章が書けるのなら、だれも苦労はしません。思いつくままに書いた文章は、単調になってしまうほうがふつうです。しかも、一文を短くすればするほど、その傾向が強くなります。
「タネ明かし」になってしまうことをあえて書けば、この〈原文〉を作るのにはかなりてこずりました。単文で書いても文末が単調にならない発想など、そう簡単にはできないからです。本書でも、文末に変化をつけるために、多少ゆがみが出るのを承知のうえで「主述の入れかえ」をした文がいくつもあります。第1章に散見される「こと」や「もの」の多くは、そのために生まれたものです。
●ほかの方法との組み合わせで文末に変化をつける
【練習問題11】
次の1)〜4)の各文を、デスで終わる文に書きかえてください。
1)安政条約によって、次のような問題が生じていました。
2)フランスやイギリスは日本に軍隊を駐留させる権利を得ていました。
3)日本の裁判所は外人に対し裁判する権利がありませんでした。
4)日本の国内産業の死活を制する輸入関税率も日本自身で決定することはできませんでした。
もちろん、すべての単文で「主述の入れかえ」ができるわけではありません。
たとえば、「本を読みます。」のように単純すぎる文を、「読むのは本です。」にするとヘンな感じになります。省略されていた主語を補って「私が読むのは本です。」にしても、どんな本であるかを書かないと不自然です。「彼は小学生です。」のような文も、このままでは書きかえようがありません。
ある程度の長さがあっても書きかえられない文や、「主述の入れかえ」をしても文末がかわらない文もあります。その場合は、ほかの方法と組み合わせて文末に変化をつける工夫をしなければなりません。
【練習問題11】にしたのは、★ページで作った〈書きかえ案1〉を、便宜上少し加工したものです。難問だったと思いますが、どのような書きかえになったでしょうか。
〈書きかえ案2〉(単純に「主述の入れかえ」をした例)
1)次のような問題が生じていたのは安政条約によってです。
2)日本に軍隊を駐留させる権利を得ていたのはフランスやイギリスです。
3)外人に対し裁判する権利がなかったのは日本の裁判所です。
4)日本自身で決定することはできなかったのは日本の国内産業の死活を制する輸入関税率です。
単純に「主述の入れかえ」をした〈書きかえ案2〉は、ヘンな文になってしまいました。そこで次のように工夫してみます。
〈書きかえ案3〉(「主述の入れかえ」方を工夫した例)
1)安政条約によって生じていたのは、次のような問題です。
2)フランスやイギリスが得ていたのは日本に軍隊を駐留させる権利です。
3)日本の裁判所がもっていなかったのは外人に対し裁判する権利です。
4)日本自身でできなかったのは日本の国内産業の死活を制する輸入関税率も決定することです。
3)と4)はまだ少しヘンな感じがします。どうしてもデスで終わらせたい場合は、「主述の入れかえ」をしないで少し言葉をかえて書きかえる方法も考えます。
〈書きかえ案4〉(「主述の入れかえ」をしないで文末をデスにした例)
3)日本の裁判所にとっての問題は外人に対し裁判する権利がなかったことです。
4)日本の国内産業の死活を制する輸入関税率に関する問題は日本自身で決定できなかったことです。
もう少し文章をかえれば、もっとマシになるのでしょうが、実際に文章を書くときには、そこまで必要になることはほとんどありません。文末にマスが続いたときには、「主述の入れかえ」がしやすい文を探してみてください。1つの文の文末をデスにかえるだけで、文章全体の印象がかなりかわります(もちろん、同様にデスをマスにかえることもあります)。
もうひとつ注目していただきたいのは、〈書きかえ案1〉の文末が過去形なのに、〈書きかえ案2〜4〉の文末が現在形になっていることです。〈書きかえ案2〜4〉の基本的な構造は次の2つにまとめられます。
・〜したのは(名詞)デス
・(名詞)は〜したことデス
第1章で、デス・マス体の過去形は、ほとんどがデシタとマシタになることを紹介しました。〈書きかえ案2〜4〉のような書きかえをすれば、無理なく文末に変化をつけることができます。マシタが続くのを避けるためにタノデスを使うよりは、ずっとマシなはずです。
【Coffee Break】
箇条書きを文章にする方法
「書きたいことがあるのに、なかなか文章にできない」という人には、まず書きたいことを箇条書きにしてしまうことをおすすめします。無理に考えをまとめようとするより、書きたい要素を書き出してしまうことです。すべての要素を書き出しきれなくても、いっこうに構いません。文章を書いていくうちに思い出すことも多いからです。
要素を書き出したら、あとは次の要領で文章にしていきます。
1)文章の流れを考えて、要素を並べる順番を決める
2)要素のなかから、複文にしやすい組を選ぶ(原則として2つの単文を複文にする)
3)その形で、いったん文章を書いてしまう
4)文末や言葉づかいなどを修正して、体裁を整える
めんどうな段階を踏んでいるようですが、慣れてくると2)は必要なくなります。決めた順番どおりに2つずつ複文にして書いていっても、「ここは単文で書いたほうがいい」という感覚がわかってきます。3つの単文を一文にしてもわかりにくくならないケースもわかってくるはずです。それがわかるまでは、2つの単文を複文にするのを基本にしていくほうがよいでしょう。
自分でふだん文章を書くときには、ここまで厳密には段階を踏んでいませんが、基本的には同じことをやっています。どこまで省略できるのかは、慣れの問題でしかありません。
たとえば、取材に基づいて文章を書こうと思えば、「取材メモ」が書き出した要素になります。メモですから、当然箇条書きです。このメモを確認したら、順番もだいたいの見当をつけるだけで、書きはじめてしまいます。この段階であまり考えこんでしまうと、かえって書けなくなってしまうからです。
テーマがむずかしいときや書くべき要素が少ないときは、文章の流れがまとまらなくて、なかなか書きはじめられません。しかし、むしろそういうときこそ、とにかく書いてしまうことを優先させます。多少文章が粗くても、気にしません。ほとんど箇条書きになってしまっているのを承知で、先に進むこともあります。
そのかわり、4)には人より時間をかけているつもりです。とりあえず書いた文章は下書き程度にしか考えていないので、あとから見直して全体の流れをかえてしまうことも珍しくありません。複文になっているペアをくずしたり、単文同士を結合して複文にしたり、という作業をするのはいつものことです。このときに、後述する方法で指示語や接続詞を削除したり追加したり、といった作業もします。
単文を多くしたときに、とくに注意を払うのが文末です。同じ文末が続いたときにはまず「主述の入れかえ」を考え、それができないようなら前後の文との結合を考えます。これも慣れの問題で、文章を書きながらこの作業をすることも、そうむずかしくはありません。
「主述の入れかえ」が有効なのは、文末が単調になりがちなデス・マス体の場合だけではありません。書き慣れない人のデアル体の文章の文末を見ると、体言止めが続いていることもしばしばです。イキイキとした文章に感じられることもありますが、たいていは箇条書きのような印象になっています。それを防ぐために、体言止めと「名詞+ダ」と「名詞+デアル」が交互に繰り返されているのもよく見かける例で、文末に変化はついていても、根本的な問題の解決にはなっていません。
そういう文章を目にすると、一文だけ「主述の入れかえ」をするだけでも印象がかわるのに……と、ついよけいなことを考えてしまいます。
もうひとつ付け加えると、書き終わった文章は、少し時間をおいてから見直したほうがよいでしょう。時間が切迫していても、ひと晩たってから見直すぐらいの余裕は欲しいところです。ちょっと時間をおくだけで、書き終わった直後にはわからなかった文章の不備に気がつくこともあります。
ほとんど箇条書きでしかない下書きも、この第2章で説明している方法で、「明文」の原形レベルにはできるはずです。そこに「個性」や「リズム」をつける方法は、本書ではとても説明しきれません。それこそ「名文」に学んでもらうしかないことです。
デス・マス体の文末に変化をつける実例として下記をあげておく。
【デス・マス体の文末に変化をつける方法】〈2〉
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12047400859.html