2010年3月の朝日新聞から
【索引】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html
●朝日新聞から──番外編 よく目にする誤用の御三家
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html
●朝日新聞から──ではない 世に誤用の種は尽きまじ
「7割以上が間違ったら、もうそれは誤用ではない」のか?
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-194.html
●2010年3月
10-2-5
2月28日
震源近くは電話がほとんど通じない状態で、現地の状況ははっきりしておらず、被害は相当な規模に及んでいるおそれがある。(朝刊1面)
平山亜理記者。チリの大地震を伝える1面のトップ記事。別に何も問題はないけど、「おらず、」って言い回しを久しぶりに見たのでメモしておく。この件について書きはじめると長くなるので、とりあえずパス。
10-3-2
18日
「埼玉県警、ポスター回収」(夕刊15面)。誤用とは関係ないけど、一応言葉の問題なのでメモしておく。回収の理由は、「陸上自衛隊が商標登録したキャッチコピー」に酷似しているからとか。その商標登録をしたキャッチコピーは「守りたい人がいる」。ちょっと驚いた。こんなもんが商標登録できるのね。
10-3-3
21日
生と死がせめぎ合う命の現場で奮闘する看護師に密着するドキュメンタリー。(朝刊40面)
丸山玄則記者。「せめぎ合う」の微妙な使い方もよく見る。本来は肉親間とかの深刻な相克に用いる。08-9-1参照。http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-203.html
「生と死がせめぎ合う」だと、戦いにすらなっていないだろう。「生と死が隣り合う」とかならわかる。
10-3-4
22日
都府県が主体となって建設を進める「補助ダム」のうち、前原誠司国土交通相の要請を受け入れ、建設の是非を再検証すると決めたのは、すでに建設中止を決めたものをのぞく55ダムのうち、現時点で25ダムと、全体の半数以下にとどまることが朝日新聞社の調べでわかった。(朝刊1面)
天野剛志記者、歌野清一郎記者。
新聞の文章で「なんかヘン」と思う例を探すと、記事が偏る。スポーツ欄、テレビ欄、囲碁将棋の観戦記、天声人語なんかが多い。まあ、そのくらいしか読んでないから、という説に逆らう気はない。フツーに考えれば、天下の朝日新聞に誤用とかヘンな表現がそうそう登場するほうが異常であって、ほかの記事ではそんなものが見つかることはめったにない。そのかわりと言ってはなんだが、「この文はアンマリ……」というのはキリがない。とくにリードの文章は相当ヒドい。↑であげたのは、1面のトップ記事のリード。
こういうズルズルした一文は、読点の数を最小限にしないとグチャグチャになる。引用文だと、5個もある。これはけっこう多い。一文の中に「うち、」が2回出てくるのも無神経。2つ目は「て」にするほうがいいだろう。4つ目はないほうがいい。
【修正案1】
都府県が主体となって建設を進める「補助ダム」のうち、前原誠司国土交通相の要請を受け入れて建設の是非を再検証すると決めたのは、すでに建設中止を決めたものをのぞく55ダムのうち現時点で25ダムと、全体の半数以下にとどまることが朝日新聞社の調べでわかった。
これでわかりやすくなったかと言うと、あんまりかわらない(泣)。どこかで分割したいが、ちょっとむずかしい。あえてやるなら、下記か?
【修正案2】
都府県が主体となって建設を進める「補助ダム」のうち、前原誠司国土交通相の要請を受け入れて建設の是非を再検証すると決めたのは、全体の半数以下にとどまることが朝日新聞社の調べでわかった。再検証を決めたのは、すでに建設中止を決めたものをのぞく55ダムのうち現時点で25ダムしかない。
10-3-5
23日
残念な言葉を聞いた。「全国で恥をかいた。末代までの恥。(悔しいのは)21世紀枠に負けたことです」。開星の野々村監督のコメントだ。(朝刊22面)
山田佳毅記者。しばらく追っかけた「恥」発言。
「末代までの恥」「末代の恥」5──もうひとつの末代。「末代将軍」「末代皇帝」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1448108454&owner_id=5019671
朝日は一貫して「末代までの恥」にしている。実際はなんて言ったのだろう。それはさておき、その直前の「全国で恥をかいた」もよくわからない言い回しだな。「全国に恥をさらした」「全国レベルで恥をかいた」くらいならマシかな。「全国規模で恥をかいた」は話が大きすぎ? 「全国区」はこういうときには使わないだろうな。
●今月の読書から
『お言葉ですが…9) 芭蕉のガールフレンド』高島俊男
2008年6月に出ている。完全に失念していた。切腹ものorz。10)とともに書店で注文する。1月31日に注文して2月6日に到着なら立派なもんか。
例によって読むと自己嫌悪に陥る。だって「言葉」を扱っているのに、八割方は知らないことなんだもん。いったいどれだけ勉強したらいいんだよう。
p.47~のテーマは〈ケンケンガクガク?〉。
『広辞苑』は1991年の第4版の段階で喧々諤々を採用しているらしい。フーン。ってことは、世間的には「喧々諤々」が誤用と言い切れなくなって20年近くたつのね。
p.112のテーマは〈文ちゃん文ちゃん〉。
手紙では、「対称(相手を呼ぶ語)が是非必要になるばあいが、どうしてもある」とのこと。男同士ならいくつがあるが、男が女を呼ぶ対称はないらしい。やはりないんですね。困ったもんだ。結局○○さんしかないらしい。
【引用部】
その際だいじなのは「漢字で考えない」ということですね。「字をかく」のは「書く」で「かゆいところをかく」のは「掻く」だからこれは別のことばだ、などというのはいけません。日本語の本体は漢字である、と思いこみ、何かと言えば漢字を持ち出すのは有害無益、考えまちがい、とこれは毎度申している通りです。(p.136)
p.133~のテーマは〈かごかく 汗かく あぐらかく〉。
「かく」の正体を考えるのに「かく」などがつく言葉を並べたあとに書いてあるのが↑。一般の編集者とかライターは、用字用語の使い分けなんてことにこだわっているから、こういう考え方ができないorz。
p.145~のテーマ〈ファミレス敬語はマニュアル敬語〉。
「保険証をお持ちでなかったですか?」(妙な過去形)
「天丼になります」(妙な未来形)
について書いたら、読者が「全疑問一挙解決のめざましい新聞切抜き」を送ってくれたそうな。もしかするとネット上にテキストが転がっていないかと思ったが、見つけたのは2つとも本書からの引用だった。毎日新聞(平成15年5月31日夕刊)で、フリーアナウンサーの長野智子氏が「メディアの手習い スタジオ発」と題したコラムらしいから、今度図書館で探してみようか。
ちなみに、この文章が書かれた「週刊文春」は2004年1月29日号。
【おぼえがき】
http://wjunya.blog39.fc2.com/blog-entry-72.html
【日刊★気になるフレーズ】
http://randomkobe.cocolog-nifty.com/center/2006/12/index.html
【引用部】
〈…「こちらケチャップになります」(これからケチャップになるのか)「カレーでよろしかったでしょうか」(何故過去形?)「1000円からお預かりします」(どっからじゃい)といった、いわゆるファミレス敬語に不愉快な思いをしている人も多いだろう。実際、TBSラジオ「アクセス」でこの問題を取り上げたら……〉
「衝撃的な内部告発電話が入ってきた」らしい。「約20年前ファミレスが増え始めた頃、某大手R社が接客ビデオを制作した。現在使用されている変な敬語は、全てそのビデオにマニュアル化されていたのだ」というのである。高島先生はロイヤルホストと推測したら、これはのちにリクルート社と判明したとのこと。とにかく、諸悪の根源はこのビデオらしい。まあ、ほかにもあるんでしょうけど。
p.202~のテーマは〈佐々成政の峠越え〉。
和暦と西暦の話。長年の疑問がひとつとけた。新聞は最近の年表記を2009年(平成21年)のようにしている。ところが、古いものに関しては、「弘安4年(1281)」のように書けとしている。
これがどうにも腑に落ちなかった。現代の新聞に合わせるなら「弘安4年(1281年)」だし、論理的に書くなら「弘安4(1281)年」だろう。
どうやらこういう場合の「1281」は「年」ではないらしい。『岩波日本史辞典』の判例には次のようにあるとのこと。
【引用部】
西暦年次は元号に便宜的に対応させたものであり、和暦年月日から換算した年度ではない。(p.206)
そう考えないと、西暦と和暦では微妙なズレがある。もう少し怖いことを書くと、たとえば1278年が和暦で何年なのかは、簡単には判断できない。対照表とかを見ればわかると思うが、1278年は建治4年でもあり、弘安元年でもある。正確にはどちらなのかを調べるには、もっと細かい対照表が必要になる。そこまでしている編集者やライターはどのくらいいるんだろう。
【引用部】
この本にかぎらず、概して日本の学者文人は説教を垂れるのが好きなようだ。日本の随筆は支那の学者の随筆を模倣したものだが、あちらのにはそんな野暮なのはめったにない。
支那でも日本でも、随筆は読みもののなかで最も講習なものである。日本の事情は鴎外が『ヰタ・セクスアリス』で「馬琴京傳の小説を卒業すると随筆讀になるよりほかない」と言っている通りだ。説教は高級ではない。(p.230)
なんでこんなことになっているのかはわからない。現代人も「説教」が好きだし、自虐思想も好まれる。こういう国は珍しいらしい。
【引用部】
これは、テレビ局の人が若い熱意とテレビの威光をたよりにガムシャラに調べて書いた本である。なにぶん基礎がないこともあり、率直に言って甚だあぶなっかしい。最もいけないのは「何事も手を尽くして調べればわかる」と思いこんでいることだろう。(p.289)
〈最もいけないのは「何事も手を尽くして調べればわかる」と思いこんでいることだろう〉は名言かも。そのへんのバカガキが口にしたらはっ倒すかもしれないが、高島先生が書くと重い。さらに言うと、最近のかたの「手を尽くす」の半分(以上?)は「ネットで検索すれば」の可能性が高い。
【引用部】
金田一春彦先生が学生のころ、国語学をやりたいと父京助に相談した時京助は、それはよいがやってはいけないものが三つある、とその筆頭に語源の研究をあげた。「たいていコジつけだ、学者仲間からは相手にされない」と言ったそうである。(『父京助を語る』補訂版。ちなみにあとの二つは詩の韻律と国語系統論)。(p.291)
理由はよくわからないが笑ってしまった。本文も「アホ」の語源について3回にわたって書いたあと、〈調べるだけ調べた上で、「わかりません」と降参するのが最も穏当な態度であるかもしれません〉と書いている。
でもさ。「アホ」の語源ひとつで、こんだけの長さの「読ませる」文章を書ける書き手ってそうはいないと思う。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html
●朝日新聞から──番外編 よく目にする誤用の御三家
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●朝日新聞から──ではない 世に誤用の種は尽きまじ
「7割以上が間違ったら、もうそれは誤用ではない」のか?
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-194.html
●2010年3月
10-2-5
2月28日
震源近くは電話がほとんど通じない状態で、現地の状況ははっきりしておらず、被害は相当な規模に及んでいるおそれがある。(朝刊1面)
平山亜理記者。チリの大地震を伝える1面のトップ記事。別に何も問題はないけど、「おらず、」って言い回しを久しぶりに見たのでメモしておく。この件について書きはじめると長くなるので、とりあえずパス。
10-3-2
18日
「埼玉県警、ポスター回収」(夕刊15面)。誤用とは関係ないけど、一応言葉の問題なのでメモしておく。回収の理由は、「陸上自衛隊が商標登録したキャッチコピー」に酷似しているからとか。その商標登録をしたキャッチコピーは「守りたい人がいる」。ちょっと驚いた。こんなもんが商標登録できるのね。
10-3-3
21日
生と死がせめぎ合う命の現場で奮闘する看護師に密着するドキュメンタリー。(朝刊40面)
丸山玄則記者。「せめぎ合う」の微妙な使い方もよく見る。本来は肉親間とかの深刻な相克に用いる。08-9-1参照。http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-203.html
「生と死がせめぎ合う」だと、戦いにすらなっていないだろう。「生と死が隣り合う」とかならわかる。
10-3-4
22日
都府県が主体となって建設を進める「補助ダム」のうち、前原誠司国土交通相の要請を受け入れ、建設の是非を再検証すると決めたのは、すでに建設中止を決めたものをのぞく55ダムのうち、現時点で25ダムと、全体の半数以下にとどまることが朝日新聞社の調べでわかった。(朝刊1面)
天野剛志記者、歌野清一郎記者。
新聞の文章で「なんかヘン」と思う例を探すと、記事が偏る。スポーツ欄、テレビ欄、囲碁将棋の観戦記、天声人語なんかが多い。まあ、そのくらいしか読んでないから、という説に逆らう気はない。フツーに考えれば、天下の朝日新聞に誤用とかヘンな表現がそうそう登場するほうが異常であって、ほかの記事ではそんなものが見つかることはめったにない。そのかわりと言ってはなんだが、「この文はアンマリ……」というのはキリがない。とくにリードの文章は相当ヒドい。↑であげたのは、1面のトップ記事のリード。
こういうズルズルした一文は、読点の数を最小限にしないとグチャグチャになる。引用文だと、5個もある。これはけっこう多い。一文の中に「うち、」が2回出てくるのも無神経。2つ目は「て」にするほうがいいだろう。4つ目はないほうがいい。
【修正案1】
都府県が主体となって建設を進める「補助ダム」のうち、前原誠司国土交通相の要請を受け入れて建設の是非を再検証すると決めたのは、すでに建設中止を決めたものをのぞく55ダムのうち現時点で25ダムと、全体の半数以下にとどまることが朝日新聞社の調べでわかった。
これでわかりやすくなったかと言うと、あんまりかわらない(泣)。どこかで分割したいが、ちょっとむずかしい。あえてやるなら、下記か?
【修正案2】
都府県が主体となって建設を進める「補助ダム」のうち、前原誠司国土交通相の要請を受け入れて建設の是非を再検証すると決めたのは、全体の半数以下にとどまることが朝日新聞社の調べでわかった。再検証を決めたのは、すでに建設中止を決めたものをのぞく55ダムのうち現時点で25ダムしかない。
10-3-5
23日
残念な言葉を聞いた。「全国で恥をかいた。末代までの恥。(悔しいのは)21世紀枠に負けたことです」。開星の野々村監督のコメントだ。(朝刊22面)
山田佳毅記者。しばらく追っかけた「恥」発言。
「末代までの恥」「末代の恥」5──もうひとつの末代。「末代将軍」「末代皇帝」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1448108454&owner_id=5019671
朝日は一貫して「末代までの恥」にしている。実際はなんて言ったのだろう。それはさておき、その直前の「全国で恥をかいた」もよくわからない言い回しだな。「全国に恥をさらした」「全国レベルで恥をかいた」くらいならマシかな。「全国規模で恥をかいた」は話が大きすぎ? 「全国区」はこういうときには使わないだろうな。
●今月の読書から
『お言葉ですが…9) 芭蕉のガールフレンド』高島俊男
2008年6月に出ている。完全に失念していた。切腹ものorz。10)とともに書店で注文する。1月31日に注文して2月6日に到着なら立派なもんか。
例によって読むと自己嫌悪に陥る。だって「言葉」を扱っているのに、八割方は知らないことなんだもん。いったいどれだけ勉強したらいいんだよう。
p.47~のテーマは〈ケンケンガクガク?〉。
『広辞苑』は1991年の第4版の段階で喧々諤々を採用しているらしい。フーン。ってことは、世間的には「喧々諤々」が誤用と言い切れなくなって20年近くたつのね。
p.112のテーマは〈文ちゃん文ちゃん〉。
手紙では、「対称(相手を呼ぶ語)が是非必要になるばあいが、どうしてもある」とのこと。男同士ならいくつがあるが、男が女を呼ぶ対称はないらしい。やはりないんですね。困ったもんだ。結局○○さんしかないらしい。
【引用部】
その際だいじなのは「漢字で考えない」ということですね。「字をかく」のは「書く」で「かゆいところをかく」のは「掻く」だからこれは別のことばだ、などというのはいけません。日本語の本体は漢字である、と思いこみ、何かと言えば漢字を持ち出すのは有害無益、考えまちがい、とこれは毎度申している通りです。(p.136)
p.133~のテーマは〈かごかく 汗かく あぐらかく〉。
「かく」の正体を考えるのに「かく」などがつく言葉を並べたあとに書いてあるのが↑。一般の編集者とかライターは、用字用語の使い分けなんてことにこだわっているから、こういう考え方ができないorz。
p.145~のテーマ〈ファミレス敬語はマニュアル敬語〉。
「保険証をお持ちでなかったですか?」(妙な過去形)
「天丼になります」(妙な未来形)
について書いたら、読者が「全疑問一挙解決のめざましい新聞切抜き」を送ってくれたそうな。もしかするとネット上にテキストが転がっていないかと思ったが、見つけたのは2つとも本書からの引用だった。毎日新聞(平成15年5月31日夕刊)で、フリーアナウンサーの長野智子氏が「メディアの手習い スタジオ発」と題したコラムらしいから、今度図書館で探してみようか。
ちなみに、この文章が書かれた「週刊文春」は2004年1月29日号。
【おぼえがき】
http://wjunya.blog39.fc2.com/blog-entry-72.html
【日刊★気になるフレーズ】
http://randomkobe.cocolog-nifty.com/center/2006/12/index.html
【引用部】
〈…「こちらケチャップになります」(これからケチャップになるのか)「カレーでよろしかったでしょうか」(何故過去形?)「1000円からお預かりします」(どっからじゃい)といった、いわゆるファミレス敬語に不愉快な思いをしている人も多いだろう。実際、TBSラジオ「アクセス」でこの問題を取り上げたら……〉
「衝撃的な内部告発電話が入ってきた」らしい。「約20年前ファミレスが増え始めた頃、某大手R社が接客ビデオを制作した。現在使用されている変な敬語は、全てそのビデオにマニュアル化されていたのだ」というのである。高島先生はロイヤルホストと推測したら、これはのちにリクルート社と判明したとのこと。とにかく、諸悪の根源はこのビデオらしい。まあ、ほかにもあるんでしょうけど。
p.202~のテーマは〈佐々成政の峠越え〉。
和暦と西暦の話。長年の疑問がひとつとけた。新聞は最近の年表記を2009年(平成21年)のようにしている。ところが、古いものに関しては、「弘安4年(1281)」のように書けとしている。
これがどうにも腑に落ちなかった。現代の新聞に合わせるなら「弘安4年(1281年)」だし、論理的に書くなら「弘安4(1281)年」だろう。
どうやらこういう場合の「1281」は「年」ではないらしい。『岩波日本史辞典』の判例には次のようにあるとのこと。
【引用部】
西暦年次は元号に便宜的に対応させたものであり、和暦年月日から換算した年度ではない。(p.206)
そう考えないと、西暦と和暦では微妙なズレがある。もう少し怖いことを書くと、たとえば1278年が和暦で何年なのかは、簡単には判断できない。対照表とかを見ればわかると思うが、1278年は建治4年でもあり、弘安元年でもある。正確にはどちらなのかを調べるには、もっと細かい対照表が必要になる。そこまでしている編集者やライターはどのくらいいるんだろう。
【引用部】
この本にかぎらず、概して日本の学者文人は説教を垂れるのが好きなようだ。日本の随筆は支那の学者の随筆を模倣したものだが、あちらのにはそんな野暮なのはめったにない。
支那でも日本でも、随筆は読みもののなかで最も講習なものである。日本の事情は鴎外が『ヰタ・セクスアリス』で「馬琴京傳の小説を卒業すると随筆讀になるよりほかない」と言っている通りだ。説教は高級ではない。(p.230)
なんでこんなことになっているのかはわからない。現代人も「説教」が好きだし、自虐思想も好まれる。こういう国は珍しいらしい。
【引用部】
これは、テレビ局の人が若い熱意とテレビの威光をたよりにガムシャラに調べて書いた本である。なにぶん基礎がないこともあり、率直に言って甚だあぶなっかしい。最もいけないのは「何事も手を尽くして調べればわかる」と思いこんでいることだろう。(p.289)
〈最もいけないのは「何事も手を尽くして調べればわかる」と思いこんでいることだろう〉は名言かも。そのへんのバカガキが口にしたらはっ倒すかもしれないが、高島先生が書くと重い。さらに言うと、最近のかたの「手を尽くす」の半分(以上?)は「ネットで検索すれば」の可能性が高い。
【引用部】
金田一春彦先生が学生のころ、国語学をやりたいと父京助に相談した時京助は、それはよいがやってはいけないものが三つある、とその筆頭に語源の研究をあげた。「たいていコジつけだ、学者仲間からは相手にされない」と言ったそうである。(『父京助を語る』補訂版。ちなみにあとの二つは詩の韻律と国語系統論)。(p.291)
理由はよくわからないが笑ってしまった。本文も「アホ」の語源について3回にわたって書いたあと、〈調べるだけ調べた上で、「わかりません」と降参するのが最も穏当な態度であるかもしれません〉と書いている。
でもさ。「アホ」の語源ひとつで、こんだけの長さの「読ませる」文章を書ける書き手ってそうはいないと思う。