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2026-04-09

映画テレビの中に入りたい を見た

時間が来たらそこで試合終了ですよ。49点。

 

中学1年生の黒人少年主人公投票日のある日、投票場所高校中学3年生のマディと出会い彼女が持っているヤングアダルト向けの女児向け番組ピンクオペークを通じて知り合いになる。白人で強権的な父親を持つ主人公は放映時間には眠らねばならず、また女児向け番組からPOを見ることは許されず家族を騙してこっそりとマディの家やマディに借りたVHSPOを見るようになるが、ある日、マディは街を出て行ってしまう。それから8年後、マディが主人公の前に現れ「PO世界にいた。お前は現実虚構で、PO世界のほうが本当だと感じたことはないか」と告げられる。そして……

というようなお話

 

めちゃくちゃ観念的な映画で、で、結局どういう話やってんってなっちゃうんだけど。何となく俺が見てて思ったのは「性的マイノリティである自分を受容しない話」っていう一般的作品でよく行われるマイノリティである自分を認めてあげることが素晴らしいことなんだ!ということに対して逆を描くことで、逆に強く考えさせる意図があったのかなということ。

マディは実際にレズビアンであり、学生主人公に対して「私は女の子が好き、君は?」と問い、主人公は答えられず「僕はテレビが好き」と答える。「女の子が好き」ではなく。またその後、高校時代にマディは一緒にPOを見る際に主人公ピンクドレスを着せていた描写が登場したりするので、主人公はおそらく本質的にはトランスジェンダー、もしくはアセクであると考えられる。

2人が見ているピンクオペーク白人黒人女の子シスターフッド的な絆で結び付き合っているという話で、2人はそれぞれの登場人物感情移入してみていることが示唆される。そしてマディが街を出る日、マディは主人公の首元にPO登場人物共通マークである淫紋をペンで書き入れ、一緒に街を出ようと語る。

同じ性的マイノリティ同士、同じ強権的な父親を持ち、保守的田舎町で暮らすことに耐えられない者同士、一緒に外に出ようと提案するが、カットが切り替わると主人公その淫紋をゴシゴシと洗い落とし、マディの家を飛び出し、泊まりに行っていると嘘をついていた友人宅を訪れ「嘘をついていたことを父親に報告して外出禁止にさせてほしい」と訴える。

彼は理由のわからない恐怖からマディとともに住み慣れた家――一般的常識とされる枠から出ることを恐れ、強権的で保守的である父の力で自分一般的常識的なセクシュアリティの枠に押し込められることを望む。

そしてその後、成長してから職場女性スタッフチンコしゃぶらせてる同僚を見つけたり、「同僚のあの子お前のこと絶対好きだからイケるって!」とか言われたりしてうんざりしながら暮らしているとまたマディが現れ、主人公を再び町の外に連れ出そうとするも、主人公はやはり拒否

その中で主人公テレビに頭を突っ込んでバリバリ感電しながら「ここは僕の居場所じゃない。ここにいたら殺される!」と叫ぶシーンは非常に切実で心に来るものがある。そしてその場から彼を救い出し「正気になれ!」と強く叱責するのはやはり強権的な父親である

こうして主人公は何度も何度も「本当の自分」というものを受け入れるチャンスを得るが、そのたびに恐怖からそれを拒否する。しかし見ている側としては主人公がそれを抑圧することで非常に生きづらく苦しそうなのがわかるのでとてもしんどい

しかし受容を拒否するたび、画面上に「まだ時間はある」とメッセージが表示される。そう、いつだって人生は始められるのだ。高校生ならなおさらアラサーだって

と思っていたら話は14年後に飛ぶ。

すっかりヨボヨボになった主人公映画館が潰れた後のゲームセンターで今も働いている。これまで以上にオドオドとしながら日々の業務をこなしていると、ある日、スタッフの子供の誕生パーティーに参加することになる。そこで主人公は(実際にか心の中でかは不明だが)大発狂しこれは本当の自分じゃない、ここは自分のいるべき場所じゃない、俺は殺されると叫ぶ。

そして控室で休憩しがてらカッターナイフで胸を切り裂くと中にはテレビの光――POであり、押し込めていた自分が溢れ出すも主人公はやはりそれを押し殺し、控室を出て周囲の人たちやお客さんに「すいません」「すいません」と詫びながら店を歩くシーンで話は終わる。こうして性的マイノリティであることに隠しながら、そうであることに対する負い目を抱えてアラフィフになった主人公には果たしてまだ時間はあるんだろうか。

この作品は「殻を破れなかったまま死んだ雛」を描くことで逆説的に殻を破ることの大切さを訴え、一方で殻を破る恐怖にもある意味で寄り添っている、非常に人間的で複雑で繊細なことを訴えたい映画なんだろうなぁと思った。そこでタイトルの「テレビの中に入りたい」という、もう一つの現実、"本当の"現実を「生きたい」――生きるではなくが回収されるのも非常に良い。

 

んだけどそうも見られる!みたいな感じであらゆるものがなんか観念的でPOもわかりやすいようでわかりにくいし何も解決しないし見ててずーっとモヤモヤする映画だった。特に「何も決断しないこと」を一つの作品にするのはやっぱ見てて楽しいもんじゃないし、しないことで何も変わらないか物語としての盛り上がりにも書ける。

一方で決断しないことで強烈に「あの時決断していればどうなっただろう」ということを考えさせる効果もあるし、いろんな観念的なシーンもただポイでしょと置いてあるというよりはちゃん意図をもって設置されていることはわかるのでちゃんとした映画なんだとは思う。

まぁなんかスッキリしないほうのA24の映画好きな人にはオススメかな。A24の映画ってなんかモヤモヤしててつまんないんだよな!って人には絶対オススメしないです。

 
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