はてなキーワード: 採点競技とは
注: ネタバレあり。また、ネタの下敷きになっているアーティストのパフォーマンスの方を知らずに見た感想(知っていたらまた違う印象を持ったと思う)。
いまさらだが。
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「観客に向けたライブパフォーマンス」というコントをやっている。歌と、それに同調する「お話」がディスプレイで展開される。で、そのパフォーマンスは「普通」ではなく、誰にでも分かる明確な「おかしみ」がある。そのギャップが面白い、というのを軸としてネタが展開される。
で、ラスト。
らいぱちがスクリーンを見ていない状況で、背後の映像ではそれまでの「ライブパフォーマンス」で伝えてきたことをぶっ壊すストーリーが展開される。
そこまでの展開を全部ひっくり返す内容で、視聴者は「最後に支離滅裂な話にするんかい!」という意外性を突きつけられる。でそれが笑いになる。
つまり観客は一瞬、コントの設定が「壊れた」と感じる。コントから「降りた」ように見えた、といってもいい。
で、さらにそこから。ディスプレイの方に最後のもう一展開があり、一瞬「支離滅裂」に転じたと思われたそれは、実はちゃんとパフォーマンスの趣旨に則っており、観客はまだコントが「続いていた」ことが分かる。
それが判明した瞬間、観客から「おー」という声が漏れる。笑いじゃなくて、感心するかのような反応。少なくともこの日のR-1ではこのような反応はここでしかなかったと思う。
で、それを受けて(であるかのように見える応答として)、らいぱちは観客に応えて見せる。
彼はコントから降りていなかった。いや、コント内のキャラとして観客の反応に応えたようにも見えるし、「な、実はまだ降りていなかったのよ」と提示してみせることで、最後の最後にようやくコントから「降りた」ようにも見える。
この目まぐるしい反転が数秒で起きる。ここまで構造的にパフォーマンスを見ていなかった視聴者にも、「今何が起きているんだ?」という驚きが生まれる(んじゃないかなあ
たとえば「コント」の大会だったら、こういう「降り」の気配は厳しく評価されるだろうし、一人ネタでも「安易なメタ」扱いされるリスクはある。
ただ、これは「安易」ではなかった。「何でもありの一人ネタ」をコンセプトにしたR-1だからこそ成立したと言えるんじゃないかと思う。「採点基準の公開されていない採点競技」の中で加点要素と判断されるのかは分からんが
あと、観客の「おー」という反応も、視聴者もとい私には印象を与える効果があった。観客を「一人ネタ」というTVショーに巻き込んでいる。本人がどこまで設計したのか分からんが、だいぶアウラ感があって良かった。
また後日談として、最後の展開は本番直前に芸人仲間のアドバイスで入れられたものだと明かされた。あまりに完成されていて、にわかには信じられない。決勝で初出しの展開だったというのは事実らしいから嘘ではないのだろうけど。
テレビでやってた予選見てた。日付変わる前に寝たけど
細やかなステップ?が上手い人がいたりアクロバティックな動きが印象的な人もいたりで選手の人たちもそれぞれ個性的だった
でもこれスポーツなの??
採点競技、たとえば夏なら体操とか冬ならフィギュアスケートとかって実施した技に名前とスコアがあって、出来の良し悪しにもスコアがあったり加点減点されたりするじゃん
でもブレイキン見てると審判の投票しか出てこないし、一応基準はあるみたいだけど解説もレッツゴーレッツゴーで何がどう評価されたのかよく分からないし
ストリートカルチャーとしては面白いかもしれないけどスポーツとしては勝敗を決める部分が曖昧(に見える)なのはなんだかなあ…と思った
気に入らないことをキモいの一言で拒絶するのは良くないんじゃないかな。
あと語尾がですよねというのも自分の意見の癖に同意を求める辺りがもうちょっと自分の意見に自信を持てよと思った。あなたの嫌いに同意を求めるな。
好きも嫌いも個人個人の持ち物なんだから、羽生結弦の自信家だったりナルシストなところが気に入らないとかぬいぐるみ好きでマスチモじゃないところが変わってるとかわからないが不快に思う所をはっきり言ってみてはいかがだろう。
逆に自分はフィギュアスケートがあいまいな採点競技と言う意味でスポーツとしては好きじゃないけど、羽生結弦の自信を持っていて尚且つ努力しているところは好感を持っているし還暦過ぎてもこのスタイル(体型的にもスキル的にも)を貫いてほしいと思っている。変わっているなとも思うが。
はてななんて公衆便所の落書きみたいなもんだから条件反射的にできる手軽なコメントでも土壌的には問題ないしむしろそれがいいんだろうけど、