ラヴェルのピアノ協奏曲の演奏あれこれ…
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ラヴェルの2曲あるピアノ協奏曲は、名曲中の名曲であるから、多くのピアニストが取り組み、多くの名演が生まれている。
両手のためのト長調の曲に限っても、アース、アルゲリッチ、ミケランジェリ(EMIへのスタジオ録音盤)と言ったところが私の学生時代の愛聴盤だった。いまもこれを越える演奏が出てきていないなどと言うつもりはない。私がこれらに抱く思いは、若かりし頃、何度も何度も聞き返した想い出とともにあるからだ。
だから優秀な演奏ならばまだまだ他にもたくさんあると思う。
マルティノンの全集に含まれていたチッコリーニとの演奏は、ちょっと個性的。第一楽章の第一主題を抑え気味に演奏するピアニストが多い中、冒頭からオケと対決するかのような元気なピアノでちょっと驚かされるけれど、聞き進む内にこれが第二主題との対比となり、それぞれの場面を細かくテンポを変えながら、性格の変化を克明に描いていく、頭脳的な名演であることに気付くという具合。
これは大変な名演で、最初にあげた三枚のLPから新しく一歩わ踏み出せたのはこの演奏に巡り会ってからだった。

アリシア・デ・ラローチャの2つの録音は絶対にあげておかなくてはならない名演だ。1972年にローレンス・フォスター指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団との演奏は、フォスターの指揮が冒頭、ちょっとだけテンポが安定しないという問題があるものの、ピアノは完璧だった。曲が進むうちに、フォスターの指揮も安定を見せ始め、第2楽章でラローチャのしみじみとした音色をたっぷり聞いた後に、オケが静かに寄り添ってくる辺りの美しさは、あのミケランジェリのスタジオ録音に迫るものだ。木管の高音を使いまくっているので、ちょっとでも油断すると甲高い音色でそれまで培ってきた雰囲気をぶちこわしかねないところで、オケの実力がモノを言う場面である。
対して新盤のレナード・スラトキン指揮セントルイス交響楽団と共演した盤では完成され尽くした演奏で、録音がデジタルになり、オケが良く、更に指揮が良いという三拍子揃った名演となっている。難を言えば、整いすぎていることぐらいで、これで文句をつけるとしたら、言いがかりに近い…と思う。
しかし、残念なことにこの演奏、今は廃盤なのか、手に入れるのはかなり難しそうである。

一つ、思い出したのは、ヴラド・ペルルミュテールの歴史的名盤とされたヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団との1955年頃の録音である。いつの録音なのかは、私にはよくわからないけれど、この演奏、オケが若干非力な点を除けば、かなりいける。ラヴェル直伝ということになっているが、それは1920年代中頃にラヴェルの前で彼のピアノ作品を演奏し、その解釈について細かな教えを受けたことによる。
それは、1997年にラヴェルの著作権が消滅し、楽譜が安く多くの出版社から出るという時、その楽譜のチェックに編集に関わった人達の皆々がペルルミュテールの演奏を参考にしたということだけでもわかる。
まさにラヴェル演奏の教科書がペルルミュテールだった。そのペルルミュテールの演奏する協奏曲はどこかしみじみとして味わい深いものである。協奏曲は正規盤としてはヴォックスに録音したこれだけではないたろうか?パリ管などと元気な内に良い録音をしておけばどれだけよかっただろう…。

でも、やはりこの曲の名盤としてサンソン・フランソワをあげておかなくてははならないだろう。
クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団とのこのフランソワの録音は多くの評論家が第1に推す名盤だ。
だけど、私はこの演奏のフランソワは気まぐれすぎてついて行けない。ここまで崩さなくても…。それでも私は、指揮がクリュイタンスと今は亡きバリ音楽院管弦楽団ということだけで捨てきれないでいる。
名盤ならば、コルトーやマルグリット・ロンといった録音もあげられるだろうが、鑑賞の対象としてはかなり厳しいものとなって。ここからラヴェルの細やかなオーケストレーションの技を楽しむなんて、至難の業であろう。後に人々に与えた影響という点でも大きな役割を果たしたことは間違いないけれど…。ただいにしえの濃い味わいなどを求めるのであればどうぞ。

ここまで来れば、最初にあげた名演を聞き返さないで置くのはどうかと思う。私をこの曲に夢中にさせた最初の演奏はミケランジェリだった。グラチス指揮フィルハーモニア管弦楽団と共演した1958年のスタジオ録音は未だに他の追随を許さない孤高の名演だと思う。先にも述べたが、第2楽章の長いピアノ・ソロの後にフワリとオケがピアノに沿っていく辺りの艶やかさはこの演奏が最高だ。第一楽章から即興的な弾き崩しはなく、精密なタッチと精密なペダリングの技術に基づいた正攻法の演奏であり、気分次第でどうにでも転ぶような代物とは次元の違う出来映えだ。
今聞き返しながら、輝かしいタッチに再び驚いている。何度も何度も聞いた演奏なのに…。
さすがにテープ・ノイズが増えたなぁと思うけれど、そんなことなど気にならなくなってしまう。まさに世紀の名演である。グラチスという職人を指揮に迎えた腕利き集団のフィルハーモニア管弦楽団もまた完璧!
なお、ミケランジェリにはチェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルという豪華な共演によるステレオ・ライブがある。ただこの時のミケランジェリは余程調子が悪かったのか、このスタジオ録音からは想像もつかないほど崩れていて、彼の名誉のためにも残すべきものとは思えない。大体、ミケランジェリのライブ録音は亡くなってから堰を切ったように出て来るけれど、酷いものが多く気の毒な思いでいる。
大阪フェスティバル・ホールで聞いた彼は、並ぶ者のいない孤高のピアニストだった。ただひたすら感動し、その時の音楽を未だに思い出す私としては、こんなミケランジェリではなかったと言うしかない。

指揮者という点ではポール・パレーがフランス国立放送管弦楽団と二人のピアニストとの録音を残していて、どちらも味わい深い名演として長く記憶されるべきもの。
まず、イヴォンヌ・ルフェブールとの1970年の録音は、柔らかな表現に特徴があるが、立体的でないというか奥行きが足りないというか、演奏が若干平板に聞こえる点が惜しいところである。ミケランジェリのような粒建ちの良い音というより、もっと流麗で少しぼやけたような…。ポール・パレー指揮のオケもちょっと危ないところ(笑)もあり、完成度という点では"?"がつく。
ポール・パレーと共演して録音を残しているもう一人のピアニスト、モニク・アースの方がより音楽が立体的で、聴き応えがある。これは録音のせいでもあるのかも知れない。こちらの方は1965年の録音。ポール・パレーの指揮には若々しさが感じられるし、アースのピアノはとても力強い。これはアースの方を第1にあげるべきだろう。
アンサンブルもこちらの方がずっと安定している。

パスカル・ロジェとジャン=イヴ・テイボーデという二人にイケメン?ピアニストと録音しているシャルル・デュトワもこの作品が得意だったのか、それともレコード会社の意向に沿っただけなのかはわからないけれど、優れた演奏であることには変わらない。解釈がとてもよく似ているのは指揮者のせいなのだろうか?

もう一枚、最初にあげたのがアルゲリッチとアバドのものである。これは2種類あるが、新しい1984年録音の方をとりあげよう。古い方が見つからなかっただけ…なのだけれど、実は古い方により私としては思い入れがある。(いっぱい聞いたから…ただそれだけなのだけれど…)
しかし、このアルゲリッチのピンと張り詰めた始まり方は若かりし日に聞いたアルゲリッチそのものである。まさにじゃじゃ馬!元気いっぱいの演奏からラヴェルのダンディズムが浮かんできそうである。
終楽章を聞いて興奮しない者はいないだろう。

他には、ツィメルマンとブーレーズによるグラモフォン盤。ブーレーズの指揮にもう少し色気があれば…と思うけれど、ツィメルマンのペダリングの見事さ、そしてそれを支えるタッチ…。音色の変化の多彩さを作り出すそれは見事だ。
更にナクソスにあるティオリエのピアノ、アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送管弦楽団による演奏も平均して完成度の高い録音だと思う。若干清潔すぎる気がしないでもないけれど、オケとピアノ共々とてもよくやっている。(一度ご賞味あれ!)

日本人の演奏では、伊藤恵さんのピアノ、ジャン・フルネ指揮東京都交響楽団も忘れてはならないだろう。ほのかなフランスの香りがフワリと部屋中に広がっていくような品の良さ…艶やかさ…。
さて、まだまだあと20種類ほどの演奏を持っているけれど、いい加減にしておこう…。

上の写真はスイスの中央部のレッチェンタールの朝の風景。黄色い標識はハイカーの大切な情報源。見るとスイスの風が頬をなでていくような気がする…。
by Schweizer_Musik | 2008-06-29 20:59 | CD試聴記
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