■「今年のまとめ、今年のうちに」ということで、1週間経ってしまったけれど、12月15日にミューザ川崎で行われたジョナサン・ノット指揮東京交響楽団による「ばらの騎士」(演奏会形式)公演について。既に各所で絶賛の声が上がっておりますが、誠に充実した公演であったと、私もそう思います。堪能しました。行って良かった。
■元帥夫人:ミア・パーション、オクタヴィアン:カトリオーナ・モリソン、ゾフィー:エルザ・ブノワ、オックス男爵:アルベルト・ペーゼンドルファー、ファーニナル:マルクス・アイヒェと、主要な役どころは外国人歌手が占め、脇役は日本人勢という混成部隊(混声舞台?>上手いこと言った>爆)。"その他大勢"役に二期会合唱団が入ったり、小姓モハメッド役は子役の男の子が務めたりと(さすがに黒塗りはせず)、演奏会形式とは言いながら、登場人物に関しては極力「見える」ようにする配慮が感じられた。もっとも、3幕で「パパー!パパー!」を連呼する"子供たち"まで手当てすることはしなかった(できなかった?)ようで、ここは(大人の)女声4人が務めておりましたが。といった演出監修は、往年の名歌手トーマス・アレンによるもの。オケの前面に椅子やソファーが配置され、また、上手側奥には衝立が。舞台装置としてはこれだけながら、歌手陣が演技しながら歌うので、雰囲気はしっかり伝わっていたように思う。照明も、ごく一部のシーンで少し落とされた以外はほぼ一定。もっとも、それだけに、相応の"脳内補正"は必要なわけで、リピーター勢と初見勢では、受ける印象および理解度には差があったものと思うけども。
■いつもは舞台横のLAとかRAとかの席を買うのだけれど、せっかくの機会ということもあったので、今回はS席を奢ってみた。"本当のオペラ"だったら、とてもこんな値段じゃS席を買えないし。ただ、2階正面の前方を狙ったのに、私が買おうとした時には既に埋まっていたため、2階LB1列という"斜め横"の席になってしまった。で、結論を申せば、失敗...。歌手陣は「すぐそこ」にいるのに、もどかしいほどに声が聞こえてこない。オケの音もやや"団子状態"だったし。サントリーホールだとね、同等の位置(LB/RBブロックかな)が音のバランスと解像度が良いという印象があるのだが、ミューザにおいてはそうではないようで。実は、夏に昭和音大のオケを聴いた時もほぼ同じ席で、あの時も同様の印象だったのね。だから、つまりは「そういうこと」なのでしょう。勉強になりました...
■歌手陣は皆さん素晴らしかったけど、やっぱりMVPはオックスのペーゼンドルファー(Albert Pesendorfer)かなぁ。"巨漢"の赤ら顔は、従来からの"田舎貴族オックス"のイメージそのもの。アレンの演出もその方向性だったから、こりゃまぁドンピシャだったというわけで>しかもウィーン国立音大で学んだオーストリア人! 新国立劇場でも歌うなど、来日経験も豊富な歌手だそうなのだが、私は名前すら存じ上げなかった。プロフィールにはウィーン国立歌劇場にも出ているとあって、それっていつの話?と思って調べたら、なんと、2021年6月の「ばらの騎士」でオックスを歌っておりましたわ。そうか、ウィーンでもオックスを歌っているのか。こりゃ「本物」だ>ウィーン至上主義!?(^^;
■女声3人も素晴らしかったが、中でもゾフィーのブノア(Elsa Benoit)が印象深かったなぁ。世間知らずの可憐な少女が、身に降りかかった"人生の危機"を経て、意思の強い大人の女性へと変わって行く(行こうとする)様を、見事に歌い演じておりました。元帥夫人のパーション(Miah Persson)は、2004年のザルツブルク音楽祭における「ばらの騎士」ではゾフィーを歌っておりましたが、20年の時を経て元帥夫人へ。この"役の移行"は、ソプラノ歌手にとっての正統な流れでありましょうから、これもまた素晴らしいこと。オクタヴィアンのモリソンは、歌はともかく、見た目がいささか肉感的だったかなぁ。ルッキズムのようなことを申しておりますが、とは言え、17歳のマセガキ少年という役どころであることを考えると、ちょっとイメージが...
■あと、忘れてならないのはファーニナルのアイヒェ(Markus Eiche)の存在感。決して出番が多いとは言えないこの役だけど、見事な美声と、何より細やかな演技で、場をしっかりと締めておりました。これぞ名脇役。2幕で、ワインを口に含んでクチュクチュするような演技をしていたけど、ああいうのって、成金の新興貴族という役柄をさりげなく表現しているわけで、ほんと、上手いわぁ。アイヒェはウィーン国立歌劇場の常連だし... と思って最近の動向を調べてみたら、あれあれ、2019年5月の「ばらの騎士」におけるファーニナルを最後に登場していないようだわ。運営チームが変わったところでお呼びがかからなくなったということ? 勿体ないねぇ...
■ノットの指揮は、このオペラへの思い入れが尋常ならざるものであることを感じさせる熱量。全体の色合いとしては「甘美」だったかな。速めのテンポ設定で物語をグイグイ進めて行くのだけども、3幕のクライマックスである「三重唱」では、テンポを落としてじっくりと聴かせる設計。そうか、ここにすべてを帰結・集約させたのか...。その三重唱は、まさに甘美の極みであって、女声3人の見事な歌唱も相まって、それはまぁ美しい音楽が展開されておりました。結果、客席の熱狂も凄まじいものとなり、いやほんと、素晴らしかったですわ。
■オケも大健闘でありました。とは言え"無傷"だったわけではなく、「あれ?」とか「おや?」とかってところも何箇所かありましたけども。3幕の終盤で、1番ホルンが思い入れたっぷりに歌い込むという箇所があるのだけど、まったくその音が聞こえてこず、どうしたんだろうとホルンの方を見てみたら、音符を完全に見失っているようで"全落ち"してた、なんてシーンも。2番ホルン奏者が小さく指揮をして拍のアタマを教えていたんだけど、結局戻れず仕舞い。でも、そういうのは"事故"ですからね、それを以て「東響はダメだった」なんてことにはなりません。
■とは言え、やっぱり「劇場の匂い」が感じられなかったのは確かでありまして、そこはまぁ、言っても詮無い話だけども、物足りなく感じる部分ではあったかなと。どういうことかと言えば、オケも物語に積極的に関与する、ということ。上記したホルンの歌い込み箇所もそうだけど、他にも、いろんな楽器がいろんな箇所で「役を演じる」ように書かれているわけで、それをどこまでわかって演奏しているかと言えば、そこはやっぱり弱かったでしょうと。だって、東響はコンサートオケですからね。ほとんどのメンバーにとって「ばらの騎士」全曲を演奏するのは初めての経験だったろうし。そう思うとね、オペラの常設オケの存在ってのは、やっぱり尊いものだよなと。それがあった上での積み上げ・積み重ねがオペラ文化を育てて行くのでもありましょうから、なんかちょっと気が遠くなるような、そんな思いにも至るわけでありました。
■もうそろそろ終わりますね(苦笑)。今年は、年明け早々に静岡で演劇版を観て、その後にびわ湖ホールでオール日本人キャストによる公演、そして年末に今回の演奏会形式による公演と、3回「ばらの騎士」を観たことになる。演劇版は別として、オペラの方を2つ観てつくづく思ったのは、びわ湖ホールのやつはやっぱり田舎芝居だったよなと。いや、良い意味でよ>「良い意味で」と言えば許されるってもんじゃねーぞ(^^;。どう言えばいいんだろ、「スケール感」なのか「洗練さ」なのか、とにかく、ありとあらゆる点・事象が垢抜けなかった感じで。でも、それだからダメということじゃありませんよ。上にも書いたように、大切なのは積み重ねなのでありまして、びわ湖ホールの公演も、これからまた再演されることがあれば(あるのかなぁ...)、それはそれとして「文化」として育って行くでしょうし。ま、なんにしても、タイプの違う「ばらの騎士」を観ることができて、個人的には得難い経験をさせてもらった1年でありました。で、問題は「来年のばらの騎士」なわけで、ねぇ、どうしましょう...