国の超借金の忘れられた淵源

60年前に日米が戦争していたことを知らない若い世代もいるらしいが、呆れている場合ではない。高々15年前、アメリカが日本に公共投資を増やし続けることを強要していたことも知らない、あるいは忘れている大の大人もいるのだから。
日本財界のアメリカへの従属と過度の依存という論文の中に、

87年6月には6兆円の公共投資を追加する「緊急経済対策」を示す。この瞬間から93年の50兆円突破まで,日本の公共事業費は一直線に拡大していく。いわゆる「逆立ち財政」(公共事業が高く、社会保障が低い)は、このように「内需主導型」へのアメリカの強力な転換圧力を背景につくられた。その後,89年から90年にかけての「日米構造障壁協議」は日本の公共事業の拡大を中心に行われ,「非自民」を売り物にした細川内閣も,94年2月には7兆3000億円の公共事業をふくむ「総合経済対策」を行っていく。93年12月の「平岩レポート」(経済改革研究会報告)もまた「内需型経済構造」への転換をテーマとしていた。(略)90年代には特にアメリカ資本の対日進出に必要な条件整備の色彩が強まる。「日米構造障壁協議」での6分野240項目に及ぶアメリカの要求は、日本政府関係者をして「アメリカの第二の占領政策」と言わしめるほどの内容だった14)。日経連「新時代の『日本的経営』」に象徴される労働法制改悪も、93〜95年の東京、ナポリ、ハリファックスという3度のサミットでアメリカが主張した「総額人件費削減」「労働力流動化」合意にもとづくものである15)。それは日本に進出するアメリカ資本の利益拡大策であり,同時にこれを「外圧」として活用する日本財界の利益拡大策でもあった。

日米構造協議を受けて公共事業十カ年計画が策定された。公共事業投資増加はアメリカとの約束だったのだ。
このことは田中角栄の日本列島改造論の時代の公共投資とはワケが違う。あの頃は曲がりなりにも実需があったのだ。
しかし、90年代の押し付け公共投資は、する方(国)も、される方(国民)も、自ら望んだものでもなんでもない、仮需を捏造したに近い。故に「ハコモノ行政」、「無駄な公共投資」という言葉が生まれた。
日本側に問題があったのは、押し付けを利用して選挙区に金をばらまいた竹下以降の経世会である。唯一、異議を唱えて失脚したのが橋本龍太郎である。
実需に伴った公共投資は経済の活性化で富を生むが、仮需の公共投資は富を生むどころか借金が借金を生むだけだ。負債スパイラルという恐ろしい負の遺産を相続したのが小泉政権である。
平成12年度公共事業関係費9兆4324億円から17年度には7兆5310億円へとバブル期前レベル近くに減らしても、財政投融資という蛇口はまだこれから大手術というのに、今回の衆院選挙では、その経世会を亡き者にしようとした小泉戦略に対し、「彼(小泉)ほど田中角栄の手法に忠実な為政者も近年まれなのである」などとout of the historical contextなシトもいるのだから驚く。
数字を示せば真実が明示されるなどというのは、それがout of contextでない場合だけだ。
正直言って、日米戦争を知らない若者を笑えないのだ。
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