傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

愛の純粋さを希求する

 僕はしみじみとした気持ちで、「ぜったいに損をしたくないんだね」と言う。相変わらずだなあ、と思う。
 この後輩は、「結婚は民法上の契約で、愛とはまったく関係のないものだ」と思っている。そうして「民事契約のごときものに、自分の愛が影響を受けていいはずがない」と思っている。世間では愛と結婚が結びついていることになっているが、そのお話は自分には無関係だと。自分の愛と自分に向けられる愛だけは、愛として独立していなくてはならないと。
 この後輩は愛というものをやたらと純粋にとらえているのである。この場合の純粋というのは「他の要素に影響されない」という意味である。そんな良さげなもんでもないだろうとも思うので、なんか他の言い方があるといいんだけど。
 事情があって法律婚をするなら、絶対に損をしたくないし、相手に損もさせたくない。二人して得をするのはかまわないが、片方だけが得をするのはいけない。
 愛はお金なんかに左右されてはならない。愛は、個人の意思にのみよって継続されるものでなくてはいけない。少なくとも自分の愛は。
 後輩はそのように考えている。若いころに聞いた。

 この後輩は以前、僕の友人とつきあっていたのだけれど(僕が紹介した)、高価な贈り物を嫌い、「買われているようでいやだからやめてほしい」と言ったのだそうだ。友人は非常に裕福な家に生まれた人間で、どうも恋愛におけるお金の流れに対して何らかの屈託を抱いていたらしい。それで後輩の変な態度(変だよね、おれならもらえるものはもらっとくよ)に感激していた。そうして僕は後輩の「愛は意思によってのみ継続するものでなくてはならない」という信念を把握したのである。
 友人が結婚をしたがった段階でこの二人は離別した。まあしょうがないよなと思う。だって後輩は給与所得のほかに何の収入もなく将来の遺産のあてもない女性で、結構な資産のある家の、不労所得のある人間と結婚したら、たいそう得をしてしまう。後輩とつきあっていた僕の友人は子どもをほしがっていたから、なおさらである。女性である後輩が仕事をおさえて出産育児をし、キャリアが毀損されたところで相手を嫌いになったとしたら、カネのためにくっついている期間が発生しかねない。
 この後輩はそのような可能性のある関係は絶対に嫌なのである。
 そんなの九割九分「いざ」とはならないんだから、そっちに賭けりゃあいいのにねえ。
 僕はそのように思ったものである。まあお互い恋人としては潮時と感じていたのかもわからないけど。
 ところで、僕は犬を飼っていて、飼いはじめてすぐのころ、この後輩にも写真を見せた。どうだいかわいいだろうと言うと後輩は「かわいいですね」と言ってにっこり笑った。そうして言った。でも子犬ちゃんのお世話はたいへんでしょう。やんちゃな子ですか、それともおとなしい?
 感じのいい笑顔だ。確実に作り笑いである。ふだんはそんなさわやかな表情をしない。おおむね仏頂面をしている。
 まあまあ、と僕は言った。ぜったいに気を悪くしないと誓うからさ、犬を飼うことに関して、きみの本音を聞かせてほしいんだ。辛辣な意見でかまわない。きみの考えに興味があるからね、なるべく率直に頼むよ。極端なやつでかまわない。というか、それを期待している。
 後輩はしばらく逡巡してから、では言います、と言った。可愛がるためだけに動物を飼うなんて、グロテスクなことだと思います。生殺与奪の権をにぎられた動物が自分に従うことを愛情と呼ぶなんておかしいと思います。
 僕はげらげら笑って、後輩の肩をばんばんたたいた。いいぞいいぞ、徹底してんなあ、期待どおりだ。

 もちろん僕は後輩とは異なる考え方を持っている。かわいがるためだけに犬を飼うし、誰かが高価なプレゼントをくれるというなら断らない(もらったことないけど)。
 僕の配偶者には障害があって、フルタイムで働くことができない。子どもを育てる自信はないとのことで、僕も自分メインで育てる自信はなかったから、うちに子どもはいない。僕は料理が好きだから、夕食は九割がた僕が作っている。お金を使うことに遠慮してほしくないので(法律婚をする前から)贈与税が発生しない範囲で相手名義の通帳に自分の給与をうつしている。
 あの後輩は知らないのだと思う。好きな人を囲い込んで、自分なしでは途方にくれる環境を作り上げることの、目がかすむような幸福を。
 僕はおそらく、そのような自分を、どこかで少しだけ後ろめたく思っている。だからばかみたいに自分の信念にのっとって生きている後輩の話を、ときどき聞きたくなるのだと思う。