傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

2015-01-01から1年間の記事一覧

さよなら幻の不惑

今年はおたがいいろいろあったねえと藤井が言う。いろいろあったと私も言う。「いろいろ」の内容をおおむね話しおえるとデザートにたどりついている。いつのころからか年末にふだんより張り込んで祝祭的な食事をとることが、私と私のいちばん古い友人の年末…

一時避難所として必要な技能

自分には子がないくせに小さい子のいる家に行くのがわりと好きで、呼ばれるとにこにこして行く。それだから私は数名の子に「ときどき来るおばさん」として認識されているんだけれど、今年は久々に新生児が誕生した。自分が産んだのでもないくせになんとなく…

やまとなでしこの声

お高く止まって相手を品定めしな、と私は言った。そして粗雑に、凶暴になる。あなたと同じくらい美しいけれど凶暴な友だちがいてね、ふたりで話してて知らない男から「お綺麗ですね」って言われたときなんか、一瞥だけくれて、「存じております」って返して…

口説く男を憎まないためのたったひとつの条件

そうだ今日は男の人から口説かれたのに不愉快じゃなくてね。不愉快じゃないのは珍しいからうれしかったよ。つきあうことはないだろうけど、なんだか感謝しちゃう、私の世界の殺伐度がすこし下がった気がするから。 彼女はそのように話す。殺伐度、と私は思う…

部分的自己開示と嘘の化合物

えー、独身なんですかあ。彼氏は当然いますよね。え?意外。ていうかもったいないです。見る目ない男多いですね?鶴見さんこんなにキレイで仕事もできるのに、なんなんでしょう。だめなやつ多いからなあ。あ、もしかして鶴見さんのほうから振っちゃうんです…

考えるのは寝てからになさい

彼女は疲れていた。どうしてと訊くと、わかんない、とこたえた。はじめてがんばってべんきょうしたからかなあ。わかんない。とにかく疲れた。私たちは高校一年生で、夏休みを控えていた。 みんな中学とか小さいころから、なんかこう、すごい塾とか行って勉強…

持ち上げられ中毒

私の連絡先リストには見えないタグがいくつかついていて、つまり私にだけ認識されているタグということなんだけれども、そのうちのひとつに「待てない人」というのがある。どんなに些末な用件でも二十四時間以内に回答しないと追撃が来るのだ。最初のメール…

悪いメビウス

その男の顔立ちは中学生の面影を強く残してはいなかった。けれども私にはすぐにわかった。私が知るかぎりもっとも卑しい声をその男は持っていた。大人になってもそれは変わっていなかった。よりくっきりと、臭気を強くしているように思われた。それは背後か…

死にまでいたる恋の完成

結婚は死にまでいたる恋の完成である、などというせりふがありますが、あんなのは嘘です。なぜ嘘かといいますと、多くの家庭では、恋をしたといって結婚して、そのあとはすっかり、稼ぐなり世話をするなり、家庭での役割になじんで、恋もへったくれもなくな…

大人は後追いいたしません

子どもが後を追ってくる。 ふだんは落ち着いた子だ。うんと小さいのに人見知りもあまりせず、何度か遊んだら私の名前も覚えてくれた。ただし発音はあやしい。それがまたかわいい。そうしてぐずったり泣いたりはあんまりしない。多少のかんしゃくはあっても、…

感情の解像度

一昨年の四月、私のチームに新人が入った。まっさらな新卒だ。経験はもちろんなかった。しかし、驚くほどよく勉強する。ひとつ知らないことが出てくれば十は調べてくる。作業スピードが異常なまでに速い。しかも長持ちする。長時間の残業や休日出勤のあとも…

その苦しみは誰のもの

彼女が離婚を告げると夫はいやだという。離婚する理由がないという。彼女は不審に思いながら説明する。だっておなかの子はいなくなっちゃって、私はもう産めなくなったのよ、私の不注意で。事故は不注意じゃないし、そういう問題じゃない、と夫はいう。子ど…

ロストデイズ・リハビリテーション

彼は友人夫妻を招く。彼は学生時代の仲間を招く。彼は親族を招く。彼は料理が得意だ。買って二年も経っていない、高性能のオーブンレンジを使う。なんか焼いて。彼女はよくそう言った。なんか焼いて、おいしいやつ。だから彼はそうした。彼女はかんたんな料…

ストレスなんかありません

マキノさんはのんきでいいねえ。ストレスなんか、ないんでしょ。 ありませんねえ、と私はこたえる。表情のバリエーションというのはこまやかな感情や感覚のやりとりに用いるためにあるので、この手の相手には三種類しか要らない。笑顔のようななにか、無表情…

編み込まれたパズル

やたらと交友関係の豊かな友だちが年に一度、山と海があるところに大勢の人を呼ぶので、都合がつけば私も行く。何度か見た人と初対面の人と、この場の外でもつきあいのある人がいる。みんなで炭に火をつけていろんなものをてきとうに焼いて食べ、小さなグル…

グラノヴェターによろしく

ありがとう、ありがとう、ほんとに助かったよ、今度なんかおごるし、それだけじゃ足りないから、ええと、こないだ旅行先で見た古代の祭壇みたいなのにあなたを乗っけて秋の収穫を捧げてははーって祈る、心の中で。私がそう告げると彼は笑ってマキノの空想は…

隠された対立

家にいるので暇だろうと言われる。暇ではない。ずっと、何かしている。二歳の子と遊んでいるのは文字どおり遊んでいるのだと思われている。夫が子と遊ぶのは自分が遊びたいときだから、そう思うのかもしれない。夫はそのような自身をイクメンと称する。凝っ…

幽霊を作る

そうそう、こないだたまたま、ハルナと連絡取ったんだ、元気そうだった。旦那さんとすごく仲いいんだね。 友人からのメッセージの最後の一文で私は一時停止する。すこし考える。それからその話題を思考の外に置いて三日間寝かせる。結論が出る。正解のない結…

愛なき世界

すれ違いねえ。そう、すれ違い。ほんとはおたがい好きなのに、ってやつ。それじゃ話は簡単じゃない、いや、そのふたりの話自体は、ぜんぜん、簡単じゃないけど、解決策は単純でしょ。どうすればいいっていうの。そりゃ、第三者が、お互い誤解してるよって言…

一身上の都合 二人目

あの、私、このチーム、辞めたいんです。 チームに不満があるわけじゃなくて、すみません、個人的なことで、たぶん社会人失格な感じの理由なんですけど、マキノさんが、話してもいいって言ってくれたから、話しちゃいますけど、いきなりクビになったりはしな…

一身上の都合 一人目

会社を辞めます。 辞表を作る前にまずは直属の上司に話をするって、検索したら出てきたので、お時間いただきました。辞める理由は「一身上の都合」でいいんですよね、すみません、ゆとりで。あ、マキノさん、世代で区切ってなんか言うのって嫌いでしたよね、…

のらりくらりと逃げている

今は毎日なにしてるのと訊くと掃除、と彼はこたえた。古いものって手をかけてやらないとあっというまに荒廃して人の気分を悪くさせるから。ボロ屋はボロ屋でも清潔であればそう悪くないものなんだ。僕は掃除に関してはけっこう有能で、一週間と一ヶ月と半年…

子どものあの質問に対する良き回答の例

ママはどうしてちんちんがないの? 来た、と彼女は思った。それから「ママには」が正しい、と思った。でも言わない。まだそこまでの言語能力を要求される年齢ではない。彼女の子は実によく質問をする。親を歩く辞書みたいに錯覚しているきらいがある。ある程…

鯨骨生物群集 他人

久しぶりに「恋愛」をしたという彼女の話を聞いて私はできるだけ薄汚く笑った。よく飽きないねえ。私の下卑た口調を期待していたにちがいない、冷ややかな目が私を見下ろした。私たちはL字型に席をとり、うつくしい庭に面した、たぶんこのお店ではいちばんい…

鯨骨生物群集 次女

十五のとき、作りたての高校の制服のスカートが短いのを父親に嘲笑され、めくられたいのかと言われて、実際にめくられた。下には常時短くしたジャージをつけていた。短いスカートを履いて帰宅したら晩酌を始めた父親に呼ばれてめくられることを、私はたぶん…

鯨骨生物群集 母親

ええ、はい、どうもその節は、主人もお会いできてよかったと申しておりました。あら、そんな、どうぞお気遣いなく、そうですか、ではそのように主人に伝えます。 子どもたちですか。今は長女の子の面倒を見るのがね、楽しいやら大変やらで、ええ、孫育てって…

鯨骨生物群集 長男

べつに何も考えてなかった。考えてなくても、暗黙の了解、みたいなものはよくわかってた。子どものころから空気は読めるほうで、間違ったら長姉がちゃんと教えてくれて、だから中学でも高校でも、それなりに過ごした。それなりにというのはつまり、目立つ連…

鯨骨生物群集 三女

ちぇりぃちゃん、卒業式はいつう?尋ねられて無愛想にこたえる。ここ三年ほど「チェリーちゃん」という、父親しか使わないあだ名が心底いやになり、ほぼ無表情で回答している。今日は土曜日、年に一度ばかりあることだけれど、部下を連れてきて私たち姉妹に…

鯨骨生物群集 長女

きょうだいのいちばん上というのは損なものだといつも思っていた。四人もいるからいちばん上の私の責任は重い。妹がふたりいて、上の子はぼおっとしているかと思えば急にわけのわからないことを言い出して親を怒らせる。見た目がひどいから余計に腹立たしい…

伝聞と嘘とほんとうの配合

サヤカあんたさあ、嘘つくじゃん、ブログで。うん、ついてる、というか、嘘つきますって宣言して書いてるから、一般的には、嘘をつくというよりフィクションを書いてるというんじゃないかな。純粋にフィクションでもないじゃん、たまに、ほとんどそのまんま…