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ビーチサイドの人魚姫
俊樹

2019年9月Nikon D700で一眼レフデビュー。カメラは独学。2020年4月、Nikon D810へアップグレード。いつか写真展を開く為、日々精進。勿論、詩、小説、エッセイ、作詞は継続中。2021年夏、Nikon Z7Ⅱへと更にアップグレード。2022年10月、3回目の心臓手術に耐え抜き現在に至る。2023年8月ペースメーカー植え込み。

病院食は父親の味(父の日に寄せて)。

2017年06月18日
エッセイ 34
病院食

 私が初めて入院を経験したのは小学6年の時だった。心臓病の発見は小学4年の時であったが、約2年間は医者の目に触れることはなかった。そこには劣悪な家庭環境が背景にあり、学校から専門医の診察を受けるよう注意を促されていたにも関わらず、父はみて見ぬ振りを決め込んでいたのである。
 労働意欲の全くない父は、明るい内から酒を飲み顔が夕日に染まる頃には、赤い顔を更に赤くして酔いどれていた。経済力も健康保険証もない状況下では、どんなに病状が進行しても医者に掛かる余裕などなかったのである。
 そんな環境ではまともな食生活が送れる筈もなく、一日三食の日は年に数えるほどしかなかった。栄養不足の私の身体は、病気も手伝って見る見るうちにやせ細って行った。
 「ウー、ウー、ウーッ…」
 けたたましいサイレンを響かせながら、夜の闇を走る救急車の中に、顔を止まらぬ鼻血で真っ赤にした私と酒臭い父の姿があった。藤枝では一番大きく、設備の整った「藤枝市立志太総合病院」に向かって白い車は走った。到着した救急車を待ち受けていたのは、数人の医療スタッフとストレッチャーだった。
 「何処へ連れて行くのだろう…」
 不安な表情を浮かべる私に父が上から語り掛けて来た。
 「とし坊、もう大丈夫だ…」
 酔いが少し覚めた父の口調は優しく温かだった。子どもにとって親の一言がどれだけ大切で救われることか。私は涙を溜めながら「うん」と頷いた。小児科病棟の個室に運び込まれると、その後から慌ただしく看護婦たちが出入りしていた。
 扉には面会謝絶の札が掛かり、病状の重さを物語っていた。点滴がその夜から始まり、3週間近く続いた。個室にいる間は父が時々様子を見に来たが、泊まって行ったのは入院初日の夜だけだった。完全看護とは言え、まだ11歳の子どもである。1人で個室にいるのは淋し過ぎた。ただ、その淋しさを紛らわしてくれたのが朝昼晩の病院食であった。
 1日3回、しかも毎回メニューが替わる食事は、子どもの世界を一変させるほど効果があったし、家にいたらこんな風に毎日ご馳走は食べられない。育ち盛りの子どもにとっては空腹ほど残酷で耐え難いものはなかった。
 その日の夕食は、刺身と肉じゃがにワカメの味噌汁だった。食事中に父が紅い顔をしてやって来た。病棟に酒の臭いが広がるのはとても恥ずかしかった。ガツガツと餌にありついた犬のように食べる私を見て父が言った。
 「みっともないから全部食べずに、少しは残せ…」
 何の苦労もなく子ども時代を過ごした父は人一倍プライドだけは高かった。父の馬鹿げた言葉だったが、そんな言葉に耳を貸すこともなく、私は綺麗に夕食を平らげた。そして味噌汁を一気に飲み干した。その後で父が言った。
 「どうだ、父ちゃんが作った味噌汁とどっちが美味い?」
 「そりゃあ父ちゃんの方が美味いよ」
 「父ちゃんの味噌汁は世界一だもん」
 「そうかー、退院したら毎日作ってやるからな」
 嘘でも嬉しい父の言葉が、病院食の器の中で優しくいつまでも木霊していた。


※初掲載:2012年11月4日0時36分32秒


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俊樹
この記事を書いた人: 俊樹
本名/神戸俊樹
静岡県藤枝市出身。
19歳の時に受けた心臓手術を切っ掛けに20歳から詩を書き始める。
2005年3月詩集天国の地図を文芸社より出版、全国デビューを果たす。
うつ病回復をきっかけに詩の創作を再開。
長編小説「届かなかった僕の歌」三部作(幼少編・養護学校編・青春編)父を主人公にした(番外編)を現在執筆中。
詩、小説、エッセイ、作詞など幅広く創作。
2019年9月、一眼レフデビュー。Nikon D700を使用。
2020年4月、Nikon D810にアップグレード。
2021年夏、ミラーレス一眼 Z7Ⅱへと更にアップグレード。
2022年10月3度目となる心臓手術を受け、大成功を収める。
2023年8月徐脈性心房細動で心停止(失神)したため、ペースメーカーを植え込む。

コメント34件

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2012年11月04日 (日) 02:10

ドリンコリン

はじめまして

ドリンコリンと申します。
勝手な思い込みかもしれませんが、
重い病や障害を持った人の方が
命の大切さ、重みの理解をしていると思います。
生きてるだけで、幸せなんだと…。
お暇なときにはブログ見に来てください。
ご訪問ありがとうございました。

2012年11月04日 (日) 02:55

R.janvier

涙がこみ上げてきてうまく書けませんが、お父様の愛情、またお父様を思う気持ちに心打たれました。(初めてコメントします。)

2012年11月04日 (日) 08:33

ネリム

いつもコメント有り難うございます。

お父様の深い愛情が伝わってきました。

2012年11月04日 (日) 09:20

まり姫

こんにちは~♪
私も特定疾患で子どものころから病院の世話になっています。
お父さまとのあうんの呼吸、何とも言えませんね。
私は中学の時に父親も亡くなって、唯一の近親者は伯父だけですが、辛い思いはしたことがありません。
病院食に思い出があるというのは何とも言えませんね~

2012年11月04日 (日) 17:28

にーチェ♪

そんな酷い目にあっても父親がいいんでしょうか。。。

わたしは父を殺しましたから。。。

2012年11月04日 (日) 21:15

城山三郎

読んでて涙があふれてしまいました。

2012年11月04日 (日) 23:00

New jack

キュウイにこのさらは、でかいですねw

2012年11月05日 (月) 15:58

フウ

壮絶なお話です

筆舌に尽くしがたいエピソードでしたね。
でもお父さんを恨まず愛し続けられるブログ主
さんの寛容な心に涙するばかりです。

2012年11月05日 (月) 19:35

とうこ

思い出の味。

私が欝になって、一歩も家から出て行けなくなった時に感じた空腹は今でも忘れられません。
母が、運んでくれた食事に涙したのを覚えています。
食べのもを美味しいと感じた時に、色々なものに
自分が飢えていたのだと気づきました。
お父様も、何かの飢えをお酒で満たしていたのでしょうか?
今も、ずっと自分が何故生かされたのか?を
考えています。

2012年11月05日 (月) 22:14

たっつんF

父親はたった一人なんですよね

この世に代わりなんていない、

かけがえのない存在ですよね。。



2012年11月06日 (火) 14:47

ボヘミアンままん

つらいな...

お父様の命日でしたか...

そうですね....

残されたものは...

出来る事は限られている

さみいけど...

コメントありがとうね。

とっても、とってもうれしいです。

2012年11月06日 (火) 18:16

富風ハル

どうもです!
ブログにコメント、ありがとうございました!

私も入院経験があるんですが、食事はやっぱり楽しみでしたね(笑)
朝寝過ごして看護師の方に迷惑をかけたこともあったり…
ちなみに私には父親が居るようで居ないんですが、久しぶりにたずねて行ったらごちそうを食べさせてくれました、おいしかったです

私もいつか、父親のお味噌汁を飲んでみたいです

それでは!

2012年11月06日 (火) 18:52

ミタ 子

昔、今は亡き父の勤めていた会社が倒産して、無職になった時、父もしばらく働きませんでした。
雇用保険に入っていなかったから、失業保険ももらえないし、母と私がいくら言ってもダメでした。

やはり、昼間っからずっと酒を飲んでいました。
私は学生でしたのでバイトをして、専業主婦だった母もパートに出て、女二人の稼ぎで暮らしてましたね。

でも、私は十分大人でしたから、
ひもじい思いはしたことはないんです。

お父さまには、お父さまなりの
きっと事情があったのかもしれませんね。

2012年11月07日 (水) 18:23

kuro

僕にも食えない少年時代がありました
昼休みになると水道の水で空腹を満たし図書館通い
そんな記憶が蘇りました。
今となってはよき思い出、おかげでランボーの詩に出逢うことが出来ました。

2012年11月10日 (土) 19:31

にこひつじ

こんにちは。

温かい言葉・・親の言葉ってなにか心に残る
ものってありますよね。
いっぱいしゃべらなくても
やさしい表情でみてくれるだけでも安心することあります。
家族って不思議であったかいなあと思いました。

2017年06月18日 (日) 10:40

まんねんず

幼稚園時に(暗闇と感じた途端…)意識を失い💦
目覚めたのは病室でした。立位から床へ顔面からダイブ
酷い鼻出血だったそうです。病名は心臓病だと聞かされー。
しかし困ったことに大きな錠剤が飲み込んでも喉から
口腔へ舞い戻り…数回試みるも飲み込めない
(幼いが故)⇔親の付き添いが無いことがラッキーとー
半年後の退院時まで敷布団の下に埋蔵…✨
てんこ盛りの 宝の山に親は唖然としていました。ヒヤァー
注射とか痛いことされるので💦…看護師さんは怖い人の筆頭でしたね
なのに今は自分がする方になり:(;゙゚''ω゚''):💦皮肉なものです
現在…お陰様で検診でも心臓は異常なしとの事。

 →ܫ←)ゥンゥン親の付き添いが無いのもチョイ寂しいですよね💦

2017年06月18日 (日) 14:42

tugumi365

とても重たい内容で言葉が出ません。小学生の子供には辛い経験だと思いましたが・・・。親としてお父さんは許せない気持ちです。この欄で”にーチェ”さんが親を殺したと書いていましたが、私も心の中で今でも父を許せない気持ちです。俊樹様の子供さんは とても優しく育ちましたね。貴方の育て方が良かったのですね。

2017年06月18日 (日) 19:13

ichan

こんばんは

色々なことがあったようですね。
入院して知る父親の温もり。
今にでも浮かぶ想い出。

2017年06月18日 (日) 20:25

ゴルのママ

読むのも辛い内容ですが
失礼ながらこんな父親でもやはり愛していらっしゃるのですね
子供ながらにお父さんの味噌汁の味が一番だと言わせているお父様の問いかけは
どうかこんな父でも好きだと言って欲しい
その表れですね

私の父が理想の人間にさせようと今も口出しを止めないですが
お酒を飲まない人であったことに感謝です

2017年06月18日 (日) 21:33

koyuri

例え嘘だと判っていても

親から掛けられる優しい言葉は、子供にとって最大の嬉しいコトですね。

それが真実だったら、もっと良いのだけれど‥‥

2017年06月18日 (日) 22:26

双子パンダ

こんばんは♪

お酒は人格変えることもありますしね。
いい飲み方をしてほしいですが
無理な人もいますね。
それでも神戸さんはお父様のことを愛してらして
天国でお父様も喜んでいるでしょうね(*´▽`*)

2017年06月19日 (月) 20:23

雪野繭

私も親では相当う苦労した方ですが、食事で困ったことはありませんでした。
食べたいだけ食べさせてもらいました。
ただ、お酒に飲まれた親の醜態を見るのだけは願い下げでした。
でも、そんな親でも、味噌汁の一杯でも作ってくれるのは、幸せでしたね。
うちの荒んだ家庭では考えられないことです。
今更、後悔しても始まらないことですから、それはそれ、これはこれ、
大事な思い出として、胸の奥に「宝物」としてしまっておくのも良いかもしれません。

2017年06月19日 (月) 21:24

デコ

みなさんそれぞれに
抱えて居られた子供時代
親に対する気持ちありますよね

朝からウルウルして読ませて頂きました

どんな状況下におかれても
親は親
子供は子供なんだろうなぁ・・

デコも思う所はありますが
俊樹さんのように思えるまでには
時間がかかるかも( ;∀;)
まだまだ未熟な証拠ですね

2017年06月20日 (火) 03:09

みゆきん

ジッちゃんの作れる料理・・・・無し
何だかんだ言っても父親だね
今ある命を大切に
私はジッちゃんの為に今日も料理作ってます^^

2017年06月20日 (火) 14:54

かみかわ

父は父 こんな父でありたれど こんな父には ならぬと誓い  面影に 父の姿を 思い出し 我が子に浮かぶ 我の姿は

2017年06月20日 (火) 16:04

星空

今晩は

小学生と言ったらまだまだ親に甘えたい年頃ですよね
救急車に乗せられ病院に向かう間、子供にとってどれ程怖かった事か
また一日三食を食べられるのが年に数える程だったとは本当に
悲しいかぎりです・・・!
学校側も生徒の家庭環境を分かっているのだから何とか児童相談所なり他にも手があった筈?
それにしてもガツガツと餌にありついた犬のように食べる息子を見て
本当に申し訳なかった・・・と思うどころか
「どうだ、父ちゃんが作った味噌汁とどっちが美味い?」とは
唯々驚きました。
俊樹さんは以前からお酒を飲まないでいる時の父は優しいと言っておられますが
本当の優しさって?  
それでもヤッパリ俊樹さんに取ってはたった一人の父親なんですね。
私達には計れないお父様の優しさが俊樹さんの心の中にあるのでしょうネ。  m(__)m

2017年06月20日 (火) 22:25

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2017年06月21日 (水) 00:04

ぬこさん

子供の頃は、大人(親)ってどうして子供の気持ちを理解してくれないんだろうといつも思っていました。
自分が大人になって、親も未熟な人間なんだと知りました。
それでも育ててくれた事にやっと感謝できるようにもなって・・・
親の言葉ってずっと心に残っているものですね。

2017年06月21日 (水) 00:42

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2017年06月21日 (水) 11:57

みけ

病院食に お父様とのそんな思い出があったとは…

一見 味気ない病院食ですが
お父様の優しい気持ちが蘇ってきて
心細い入院の中でも
なんだか 元気もらえるような気がしました(*^-^*)e-415

2017年06月21日 (水) 14:52

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2017年06月21日 (水) 17:37

よしお

おはよう

まぁ、病院食は好きなものとか出てこなさそうだね。
健康のバランスを気にした料理だから仕方がないですけどねぇ(・。・)
たまには自分の好きそうなおかずが入ってたら嬉しいでしょうねぇ~。

2017年06月23日 (金) 10:57

風子

いい話です

いい話ですねぇ!
『おしんの時代』を知っている人は少なくなってきたので、
こんなエピソードは、どんどん書いて下さいね。

私もですが、俊樹さんの体験は『宝物』です。
苦労は買ってでも……とはよく言ったもので、
体験者は、些細なことでも幸せを感じられるし、
他者に対する思いやりや、人を見る目、洞察力など、
人としての成熟していきますよね。

NHKの連ドラ『ひょっこ』って、時代考証がいいですね。
贅沢ができない時代の懸命さ、忍耐力の強さ、家族愛、絆、
現代にない『大切なもの』が散りばめられていて……(*^▽^*)

2017年06月27日 (火) 12:37