蝋燭の灯りに父の優しさが浮かぶ夜。
沖縄から北海道まで、日本列島の広範囲に亘って多大な被害を齎した台風24号。その猛威は深まる秋と共に去ったが、人智の及ばぬ自然エネルギーの強大さと威力をまざまざと見せ付けられた。首都圏では15年ぶりとなる40mに迫る暴風が吹き荒れ、まるで空全体が獣のような唸り声を上げているようだった。
私の住む老朽化が進んだ木造アパートなどは激しい風に吹き飛ばされてしまうのではないかと、心細くなった。30日の午後11時辺りからそれまでの静寂を切り裂くような雨と風が急に激しくなり、午前0時を過ぎるとニュースの予報通り、暴風と叩きつけるような雨がより一層激しさを増し、公園の木々をユサユサと根刮ぎ揺らし始めている。
雨戸を閉めても隙間から風が吹き込み、部屋が地震のようにミシミシと鈍い音を立てて揺れ始めた。不測の事態に備えて、一ヶ月分の薬と飲料水の入ったペットボトルそしてSECOMから貰った小さめの懐中電灯をバッグに詰め込んだ。
身の危険が迫った時に即座に避難出来るよう、避難場所をハザードマップで確認する。私の住む地区で最も近い避難場所は小高い山の上にある志村第五小学校だが、心臓病を抱える私の身体がそこまでの坂道を登り切れるだろうか、しかも暴風の中である。一抹の不安を抱いたが、いざとなったら最後の切り札であるSECOMの緊急ボタンを押すしかない。周りや近くに手助けしてくれる人がいない点が独居暮らしの弱点でもあった。
午前3時頃になって幾分雨足が弱まり、風も少し収まって来たのを見計らって雨戸を開け、外の様子を伺うと、ベランダの仕切り板が粉々に砕け散って、跡形もなくなっていた…。結局朝方まで眠る事が出来ず、テレビの台風情報ばかりを見詰めていた。
私の友人が多く住んでいる静岡県浜松市では市内の8割が停電したと言う。全域が復旧するのに24時間以上掛かったようだ。一部地域では未だに停電が続いており、全面復旧まではまだ時間が必要と中部電力の職員が語っていた。
私は台風が接近、或いは上陸すると幼き頃の想い出が走馬灯のように蘇る。忘れもしないそれは1966年9月、静岡県御前崎市に上陸した台風26号の事である。この時の最大瞬間風速は50.5mを記録し、雨も非常に強く静岡と山梨の山間部では1時間辺り120ミリの記録的豪雨となった。御前崎に近い藤枝市は台風の直撃を受け、暴風により停電が発生し夜の市内は暗闇に包まれた。
懐中電灯などという洒落た物がなかった我が家は父が仏壇の引き出しから蝋燭を1本取り出し、マッチで火を点けた。真っ暗な部屋に蝋燭の炎が揺らめき父と私の影が揺れながら部屋中に広がった。「とし坊、この家は大きくて頑丈だからどんな台風が来ても大丈夫」と私を安心させるため、優しく言った。母は居なくとも僕には父がいる、「父ちゃんが守ってくれるから怖くなんかない」と心の中で思った。
激しい暴風雨の中、外では「退避~、退避~」と消防団の声が飛び交っていた。父と二人で1本の蝋燭を囲みながら嵐が去るのを待った。酒に酔っていない時の父は優しく大好きだった。この台風では山梨県で100人以上の犠牲者を出し、静岡梅ケ島では鉄砲水が発生し甚大な被害を齎した。11月になれば42歳で逝った父の命日がやって来る。台風が来る度に思い出す父と蝋燭1本で過ごした嵐の夜を私は一生忘れる事はないだろう。
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