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ビーチサイドの人魚姫
俊樹

2019年9月Nikon D700で一眼レフデビュー。カメラは独学。2020年4月、Nikon D810へアップグレード。いつか写真展を開く為、日々精進。勿論、詩、小説、エッセイ、作詞は継続中。2021年夏、Nikon Z7Ⅱへと更にアップグレード。2022年10月、3回目の心臓手術に耐え抜き現在に至る。2023年8月ペースメーカー植え込み。

蝋燭の灯りに父の優しさが浮かぶ夜。

2018年10月05日
エッセイ 11
ロウソク


 沖縄から北海道まで、日本列島の広範囲に亘って多大な被害を齎した台風24号。その猛威は深まる秋と共に去ったが、人智の及ばぬ自然エネルギーの強大さと威力をまざまざと見せ付けられた。首都圏では15年ぶりとなる40mに迫る暴風が吹き荒れ、まるで空全体が獣のような唸り声を上げているようだった。
 私の住む老朽化が進んだ木造アパートなどは激しい風に吹き飛ばされてしまうのではないかと、心細くなった。30日の午後11時辺りからそれまでの静寂を切り裂くような雨と風が急に激しくなり、午前0時を過ぎるとニュースの予報通り、暴風と叩きつけるような雨がより一層激しさを増し、公園の木々をユサユサと根刮ぎ揺らし始めている。
 雨戸を閉めても隙間から風が吹き込み、部屋が地震のようにミシミシと鈍い音を立てて揺れ始めた。不測の事態に備えて、一ヶ月分の薬と飲料水の入ったペットボトルそしてSECOMから貰った小さめの懐中電灯をバッグに詰め込んだ。
 身の危険が迫った時に即座に避難出来るよう、避難場所をハザードマップで確認する。私の住む地区で最も近い避難場所は小高い山の上にある志村第五小学校だが、心臓病を抱える私の身体がそこまでの坂道を登り切れるだろうか、しかも暴風の中である。一抹の不安を抱いたが、いざとなったら最後の切り札であるSECOMの緊急ボタンを押すしかない。周りや近くに手助けしてくれる人がいない点が独居暮らしの弱点でもあった。
 午前3時頃になって幾分雨足が弱まり、風も少し収まって来たのを見計らって雨戸を開け、外の様子を伺うと、ベランダの仕切り板が粉々に砕け散って、跡形もなくなっていた…。結局朝方まで眠る事が出来ず、テレビの台風情報ばかりを見詰めていた。
 私の友人が多く住んでいる静岡県浜松市では市内の8割が停電したと言う。全域が復旧するのに24時間以上掛かったようだ。一部地域では未だに停電が続いており、全面復旧まではまだ時間が必要と中部電力の職員が語っていた。
 私は台風が接近、或いは上陸すると幼き頃の想い出が走馬灯のように蘇る。忘れもしないそれは1966年9月、静岡県御前崎市に上陸した台風26号の事である。この時の最大瞬間風速は50.5mを記録し、雨も非常に強く静岡と山梨の山間部では1時間辺り120ミリの記録的豪雨となった。御前崎に近い藤枝市は台風の直撃を受け、暴風により停電が発生し夜の市内は暗闇に包まれた。
 懐中電灯などという洒落た物がなかった我が家は父が仏壇の引き出しから蝋燭を1本取り出し、マッチで火を点けた。真っ暗な部屋に蝋燭の炎が揺らめき父と私の影が揺れながら部屋中に広がった。「とし坊、この家は大きくて頑丈だからどんな台風が来ても大丈夫」と私を安心させるため、優しく言った。母は居なくとも僕には父がいる、「父ちゃんが守ってくれるから怖くなんかない」と心の中で思った。
 激しい暴風雨の中、外では「退避~、退避~」と消防団の声が飛び交っていた。父と二人で1本の蝋燭を囲みながら嵐が去るのを待った。酒に酔っていない時の父は優しく大好きだった。この台風では山梨県で100人以上の犠牲者を出し、静岡梅ケ島では鉄砲水が発生し甚大な被害を齎した。11月になれば42歳で逝った父の命日がやって来る。台風が来る度に思い出す父と蝋燭1本で過ごした嵐の夜を私は一生忘れる事はないだろう。

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俊樹
この記事を書いた人: 俊樹
本名/神戸俊樹
静岡県藤枝市出身。
19歳の時に受けた心臓手術を切っ掛けに20歳から詩を書き始める。
2005年3月詩集天国の地図を文芸社より出版、全国デビューを果たす。
うつ病回復をきっかけに詩の創作を再開。
長編小説「届かなかった僕の歌」三部作(幼少編・養護学校編・青春編)父を主人公にした(番外編)を現在執筆中。
詩、小説、エッセイ、作詞など幅広く創作。
2019年9月、一眼レフデビュー。Nikon D700を使用。
2020年4月、Nikon D810にアップグレード。
2021年夏、ミラーレス一眼 Z7Ⅱへと更にアップグレード。
2022年10月3度目となる心臓手術を受け、大成功を収める。
2023年8月徐脈性心房細動で心停止(失神)したため、ペースメーカーを植え込む。

コメント11件

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sado jo

静岡や千葉では台風による停電が立て続けに発生しましたね。
街の中に電線が露出している国はとでも珍しく、先進国では日本だけだそうです。
しかし、この露出構造は災害多発国にあっては案外有効で、ダウンするのも早いが復旧も早くなります。
災害時において地下に埋まっているガス・水道のライフラインより、露出している電気の方が圧倒的に復旧は早いです。
災害の多い国土を見据えた先人の知恵でしょうか?

2018年10月05日 (金) 13:53

みけ

今週は 台風25号が…
関西も 21号では怖い思いと停電を経験しました。

ほんと 今年は台風が多くて
もう勘弁i-201みたいな気持ちになります(´・ω・`)

お父様と過ごした台風の夜。
そういえば 私もこんなに台風が不安になったのは
子供の頃以来かも…

2018年10月05日 (金) 15:06

ももPAPA

こんばんわ

夏から秋のこの時期まで 台風の襲来でこんなに心細い思いをするのは何年ぶりでしょう。

台風24号 大変でしたね。

俊樹さんも、お父様との思い出とともに台風26号の襲来に遭遇されたことがあるんですね。

私も 忘れもしない 91年の台風19号のとき

住んでいた浜田市の沖合を台風の中心が通過する頃 夜中の11時頃でしたが、測候所の風速計が55メートルを記録し、勤めていた 近くの丘の上の小学校のプレハブ校舎の屋根がすべて吹き飛ばされたのを今でも鮮烈に覚えています。
住んでいたアパートも烈風でミシ っと音を立てて揺れる夜 恐怖で朝方まで眠れませんでした。

また台風25号が北上しています。 もう勘弁してほしいって思います。
大きな被害が出ないことを願うばかりです。

2018年10月05日 (金) 17:47

koyuri

台風24号はとても怖かったと

息子も言ってました。

親の有難味は、死んでからの方がしみじみと思い出しますね。

ともあれ、御無事で良かったです。

お父さんの分まで、長生きして下さいね。

2018年10月05日 (金) 23:03

ネリム

こんばんわ
台風大変でしたね
ご無事で何よりです

2018年10月06日 (土) 22:21

よしお

こんばんは

ろうそくですか。
普通に電気とは違って雰囲気がありますからねぇ~。

2018年10月08日 (月) 18:25

♪デコ♪

親がなくなってからわかる有難味
そうコメントされた方の言葉が胸に沁みます

まだ両親健在なので
当たり前の事。。そうじゃなくなる日が
いずれくるんだなぁ

そう思いながら
年老いてきた親を少し近くに思います

台風に地震に日本中の方々が
みな危険にさらされていますから今年は災害の1年になりますよね

安心して暮らせる年
穏やかでいられる年に・・と願います

2018年10月09日 (火) 19:54

雪野繭

台風って、やっぱり怖いですね。
それに今年は発生数が多すぎました。
この前の台風のときも、あまり眠れませんでした。
何が起こるかわかりませんから、
その晩だけは睡眠薬を飲みませんでした。
動けなくなってしまうと怖いから。
まあ、東京は特に被害もなく、無事に済みましたが、
怖い一晩でした。

2018年10月11日 (木) 17:22

よしお

こんにちは

そうだねぇ。
火事とかにならないように気をつけないとねぇ。

2018年10月12日 (金) 13:29

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2018年10月13日 (土) 16:22

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2018年10月13日 (土) 23:28