吾輩だって猫である。
小泉今日子主演の映画「グーグーだって猫である」を観た。人気漫画家の主人公と猫の心の交流を描いた作品である。
飼っていたメス猫が亡くなり、その後その猫が人間の姿を借りて飼い主に感謝の言葉を伝えるという物語。ペットは人間の言葉を話せないが、人間以上に人間を知っているものでもある。
その逆に人間はペットのことを半分も知っていないだろう。ペットと何処まで分かち合えるか、ペットのサインを見逃してしまうことも多い。
猫との二人暮らしを始めて4年が過ぎたが、この期間に猫から多くのことを学ぶことが出来た。夜行性なので当然昼間は起きて来ない。
日が沈む頃、押入れの奥深くから音もなく姿を現す。そして食事が始まる。満腹になれば毛繕いや爪研ぎなど、不穏な音には敏感で、風の音さえ見逃さない。虫を見つければ早速ハンターモード全開。パソコンやベッド、ステレオの上など場所を構わず追いかけ回す。
それを見ているのは非常に楽しく、部屋が滅茶苦茶になるのも忘れてしまうほどだ。こちらが就寝中でもお構いなく何度も起こされるが、今ではタラが鳴けば本能的に身体が動いてしまう。
これは赤ん坊の泣き声に母親が反応するのに似ている。そしてまたペットは雑菌の巣でもある。その雑菌を排除すれば猫はたちどころに病気になる。つまり雑菌は身を守るバリアの役目を果たしているからだ。
地球がオゾン層で保護されているように、人間も生物も自然の中から保護されているのである。わたしは「むつごろうさん」のように動物を見るとキスをしたくなるし、実際にする。噛み付かれたら当然噛み付き返す。それが最高の愛情の表現だから。