紅い涙に染まる花。
昨年の秋に初めて彼岸花を撮ったが、その切っ掛けは若くして自ら死を選んだ母の想いについて記したかったから。母親の思い出は幼い頃の記憶を探っても何一つ見当たらなかったが母の後ろ姿だけは今も心の中に刻み込まれている。今回は父について…。11月5日は42歳で亡くなった父の命日だった。父(信夫)については過去の記事で何度も書いて来たが、パトカーをタクシー代わりに使って静岡から藤枝に帰った時の事が最も印象深く残っている。
それは私が15歳の時だった。養護学校を卒業し清水市駒越にあった療養型職業訓練施設に入所していた頃、――静岡県警藤枝署は15日、同県藤枝市本118、住吉会系組織暴力団極東会桜組み幹部・神戸信夫(39)を恐喝容疑で逮捕した。取り調べによると、調理師である山崎忠雄さん(29)に調理の仕事を依頼したが断わられた為、再三に渡り因縁を付け仕事を手伝わなければ金を出せと脅したと言う――。
上記の内容が静岡新聞朝刊の三面記事に掲載され父の顔写真まで乗っていたため、紛れもない事実だと受け止めるしかなかった。酒に溺れて身を持ち崩してしまった父ではあったが、人様を傷つけるような乱暴を働いた事は暴力団同士の争いは別としても普段は優しく借りてきた猫の様に大人しく優しい父の人柄を考えるとこの記事には疑念が残った。馬鹿が付くほどお人好しで利用され易い人格で、人から依頼ごとを受けると断れない質のため、この時も過去の事件同様に他人の罪を被ったのだろうと思った。刑期を終えて出所日が決まり静岡刑務所を出た後まっすぐ藤枝に帰らず静岡市内の酒場に立ち寄り久しぶりの酒で飲み過ぎてしまい酔った勢いでパトカーを呼び出しそのまま乗り込み藤枝の実家まで送り届けてもらったらしい。酒のせいで気が大きくなりそんな大胆な行動が出来たのだろう。人前では絶対に泣き顔を見せない父だったが、私の前では酔いつぶれながらも顔を涙でグシャグシャにしながら「雪、雪…」と必ず母の名を呼んでいた。それほど母の事を愛していたのかも知れないけれど、母が父の元を去ったのは全て父の自業自得であった。
葬儀場で最後のお別れで父の顔を見た時、それまでグッと堪えていた悲しみが堰を切った様に溢れ出し涙が止め処なく流れた。待合室で約2時間私は号泣。そんな私を囲む多くの人達は掛ける言葉も見当たらず私の鳴き声だけが葬儀場に響き渡っていた。
※『小説・傷だらけの鎮魂歌』より一部内容を抜粋した。ヒガンバナについて彼岸花・曼珠沙華の呼び名がなぜ二つ存在するのか分からなかったため調べてみると正式名は彼岸花であるが、曼珠沙華はサンスクリット語で『赤い花』と言う意味だった。これで少し花音痴から一歩前進した気がする。