ひと月遅れのジングルベル。
クリスマスイベントが日本に広まり定着する切っ掛けを作ったのは銀座の明治座と言われている。クリスマス商戦を何処よりもいち早く展開し、庶民向けの豊富な商品の販売は人気も上々で大成功を収め、日本に於けるクリスマスの礎となった。
クリスマスと言えば欠かせない物がプレゼントである。サンタクロースに願い事をし、贈り物を心待ちしていた幼い記憶を誰もが皆持っていた。そんな無垢な心からやがて月日が経ちその正体を知る事となる。そして今度は自分が親になりサンタを演じている。
サンタクロースの真実を知るのは平均で7歳だと言われているが、私は今でもその存在を信じている。人類がこの地上に生まれ進化し栄光と繁栄を繰り返して来たが、その影には醜い権力の争いが常に付きまとって来た。それでもサンタクロースは年に一度訪れるのである。サンタは神の化身、諍いの絶えない人間に心を痛めた神は、サンタクロースに姿を変えて子どもや大人に一つのプレゼントを置いて行く。
それは愛である。愛情の篭ったプレゼントほど嬉しいものはない。愛とは受け取るものではなく、与えるものだと教えてくれている。頂いた愛は人から人へと受け継がれていくもの。貴方は生まれながらにしてこの世に生を受けた時、既に母胎の中で愛を感じとっているのだ。
そして私にはどうしても忘れる事の出来ないクリスマスに纏わる思い出がある。それは私が小学生だった頃の事。貧困は、時に子どもの心を傷つける。わたしはそれを子ども時代にうんざりするほど味わって来た。空腹に耐えきれず石ころの下の蟻の巣を見つけると大量の蟻を両手で救い口に頬張ったりもした。赤蟻は蜜を持っているのでそれが飴の様に甘かった事を覚えている。
その日はクリスマス・イヴだったと思う。時計が午後�10時を回った頃、泥酔しきった父が真っ赤な顔をして帰宅し「とし坊、土産だ」と言って私の前に差し出した小さな白い箱の中身は、酒臭いイチゴのショートケーキだった。しかも何処かで箱を落としたのか、半分グチャグチャに潰れかけていた。それでも私はそれが嬉しくてたまらず、涙をポロポロ零しながらそのケーキの甘さを味わった。42年の短い人生の中で父からの贈り物はその小さな崩れかけのケーキのみだったが、酒と自分が流した涙のしょっぱさが入り混じったケーキの味を今でも忘れていない。
酒を一杯引っ掛けて酔わないと自分の息子の為にさえまともな贈り物も出来ないほど、恥ずかしがり屋だったのだろう。酔えば必ず暴言と暴力で私を傷つけて来たが、私自身は一度も父を嫌った事はなかった。父よりもむしろ父を狂わす『酒』に恨みを抱いていた。この世から酒が無くなって欲しいと何度も神様に手を合わせていた。
クリスマスは平和の象徴でもあり皆が楽しめるイベントでもある。が、しかしその隣では
明日の糧を求めて餓え続け、サンタクロースの来ない子どもたちが大勢いる事も忘れないでいて欲しい。今、あなたがもし幸せだと思ったら、それは「当たり前」ではないことなのだと認識して欲しい。
※写真は東京ソラマチのイルミネーション。