麻生太郎のセクハラ漫談。
忖度、改ざん、隠蔽、疑惑、辞任、撤回、失言、暴言、セクハラ…これらの単語は私が思い付いた政治家や官僚たちのキーワードであるが、他にもまだまだあるだろうし実に情けない話しである。政治家の失言や暴言は今に始まった事ではないが、失言ランキングなるものを付けるとすれば、おそらく麻生太郎氏が断然トップではないだろうか。
副総理・財務大臣と言う二つの重要ポストにあるお方が、その肩書に泥を塗るような発言をするなど、全く不名誉な事である。
女性記者へのセクハラ報道を受け辞任した福田淳一氏を擁護するような誤解を招く発言で、女性団体関係者らが抗議の声を上げ、麻生氏に反省と謝罪を求めたが、それも当然の話しである。
「セクハラ罪という罪はない、殺人とか強制わいせつとは違う」。確かにその通りではあるが、ならば犯罪でなければ何を言っても(やっても)よいのか?という事になる。これはモラルの問題でもあり、モラハラにも相当するのではないだろうか?
近年、このハラスメント(嫌がらせ)が社会の大きな問題となり、これに関する話題をニュースで聞かない日はないほどになっている。この背景には人間の美徳である『人を敬う心』が大きく欠如して来た事が要因となっている部分もある。自分を律する気構えと、他人を思い遣る優しい気持ちを忘れている人の何と多いことか…。
国会に眼を向ければ、イラク日報問題、森友・加計問題など、自殺者まで出しておきながら、真実の行方は未だに明らかにされず隠蔽体質の政治家や官僚たちの答弁が議事堂を空虚の渦に巻き込み、真実の欠片ひとつも見出す事が出来ない。
人の上に立ち、公職という思い重責を担っている者は、その襟を但し人の模範となるような行動を取るのも役目のひとつである。残念ながら現在の日本にはそのように志しの高い政治家が非常に少ないのも事実である。
『人のふり見て我が振り直せ』という諺がある。今の日本に足りないものはきっとそれなのかも知れない。私も十分気を付けたいと思う。