いじめシンドローム。
携帯電話(スマートフォン)やパソコンが必須アイテムになっている昨今。人と直接話しをするのが苦手な人には便利な道具であるが、そればかりに頼っていると大事な会話のコミュニケーションがとれなくなるので注意したい。
これ等のアイテムは使い方によっては人を傷つけ破壊するマシンになる。以前、いじめメールの送信が問題となったが、新聞で報道され表面化したのはごく一部で、おそらく似たような行為は日常的に行われているのかも知れない。
日本語の乱れ方は今に始まった事ではないが、人を平気で侮辱する言葉「死ね」「学校に来るな」「キモイ、ウザイ」など、軽々しく平然と言ってのける子どもたちの態度は、そのまま現代の大人たちを映す鏡でもある。
大人社会になればいじめは嫌がらせと置き換えられるが、何処にでもある日常会話の中に溶け込んで、うっかり口から出てしまった言葉が人の心を切り裂くのである。言った本人はそれほど悪意は持っていないにしろ、受け取り方は個々で変わってくる。
例えば私は心臓病と心の問題を抱えているが、私と同じ病に侵されている人が私と同じ考えを持っているとは限らない。私は心臓病についてそれほど深く悩んだり落ち込んだりはしない。だが、ある人にとってはそれが人生の一大事で明日が来ないのではと思い悩むこともあるだろう。
いじめに合う子どもは、やり場のない耐え難い苦しみを背負い込み、人に相談すら出来ず悩み、結果的に最悪な自殺へと手を伸ばしてしまうのである。
奇麗事で済まされない、いじめの悲惨な実態は今や誰もが知るところとなった訳で、 教育委員会や自治体もそれなりの動きを見せてはいるが、いじめた者を登校禁止などと言った処罰は教育の立場から見れば相当歯車がかみ合わない処置である。
子どもを差別してはいけない、いじめる子もいじめられる子も同じ心の教育をしなくてはならない。いじめる子ほど淋しがり屋で孤独な思いをしストレスを感じている。それをグループで共有し、いじめと言う共通のテーマでゲームの如く遊ぶのである。
劣等感の塊でもあり、間違った優越感に浸り笑顔で自分の本心をごまかすのである。劣等感は人成長させるために欠かせない要素なのだが、間違った表現方法に傾いてしまう傾向が今の子どもたちに巣食っている心の闇。
子どもの世界は大人が考えているより複雑に絡みあっている。昔はもっと単純で真っ直ぐな気持ちを持っていたが、現代社会の抱える問題が子どもたちをも犠牲にしているように思えてならない。
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