乃木希典(福田和也)

入院中は、「翔ぶが如く」を読んでいました。退院後に「坂の上の雲」、そして「殉死」を読みました。
明治の初めから日露戦争後までを描いた、司馬遼太郎の一連の小説を読んだので、バランスをとるために福田和也の「乃木希典」を再読してみました。

ご存知のように司馬遼太郎は乃木を無能者扱いしています。
それに対して福田和也は、有能なだけが人間の価値だろうか、という論を展開しています。福田和也によれば、乃木は軍人としての能力は低いかも知れないが、人格的に立派な人だったということです。

福田和也があげる事例を読むと、確かにそうかも知れません。
確かに、人間の価値は仕事に有能なことだけで測れるものではないでしょう。

しかしながら、福田の論には無理があります。
人格が立派な人だったから、軍人としての失敗がすべて許されるワケではないでしょう!
人間性と職業的なスキルは別々に評価されるべきです。

もしも人間性のよさが職業的スキルの稚拙さを補って余りあるものだとしたら。
福田氏は、良い人だけども不器用で失敗ばかりする外科医の手術を受けたいのでしょうか?
あるいは、優しい立派な人だけど、言いたいことも言えないし知識もあやふやな弁護士を頼りたいのでしょうか?
または、すごくいい人で誰にでも親切だけど、58%の確率で着陸に失敗するパイロットが操縦する飛行機に乗りたいか?

司馬遼太郎は自分の戦争体験を通じて、軍部というものの愚劣さや頑迷さを憎み呪っていたのでしょう。あるいは乃木を軍部の象徴として嫌っていたのでしょう。
対して福田和也戦後生まれ。当然、戦争体験はありません。いわゆる右よりの嗜好があって、その嗜好により乃木を弁護したかったのではないか。

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック