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今どきの人は『わが青春のマリアンヌ』と聞いてもわからないだろう。これは日本で公開されたときのジュリアン・デュヴィヴィエ監督のフランス映画の題名(1955年)であり、同じ頃、同映画の原作(原文はドイツ語)を日本語で出版したときの題名でもある。 日本語版は訳者と出版社が異なるものが3種出回ったが、ドイツ語版原作からなのか、フランス語訳からの重訳なのかよくわからないものもある。それらは、大野俊一訳(雲井書店、1955年)、小松太郎訳(早川書房、1955年)、岡田真吉訳(三笠書房、1964年)である。そもそも、同時に翻訳権を得たことさえ、現在の出版常識では理解できない。実は、ドイツ語の原作の題名は『わが青春のマリアンヌ』とは訳せないのだが、そのことについては後述する。 原作者はピーター・ドゥ・メンデルスゾーン(Peter de Mendelssohn)というドイツ系英国人作家である。1908年6月
Twitterで出した質問だが答が長くなりそうなのでブログにした。そもそも、こんな質問は馬鹿げていて何の役に立つかはわからん。しかし、昔から言われている笑い話だが、一つだけ役に立つことがあるらしい。 もし、あなたが、あるいはあなたのお子さんか誰か関係者が、教会あるいは教会学校でおかしな先生から(おかしくないかもしれないが)来週までに聖書からどこでも好きな一節を暗記してきなさいと言われたら、一番簡単でお手軽な一節である。同時に、覚えてもほとんど意味のない節ではあるが、前後を理解しているなら無駄ではないだろう。 下の答はいささか長いが結論を先に言えば、ヨハネ伝11章35節ルカ伝20章30節である。 英訳の聖書で見ると斜線で消したヨハネ伝11章35節はKing Jamesなどほとんどの訳が "Jesus wept" であり、確かに短い。私の愛用するNRSVでは "Jesus began to w
ある原稿段階の本の一節より(著作権取得済み) マタイ伝には次のような記録がある。ただし「記録」といっても今日的な客観的な記録と考えてはいけない。何か伝えたいという思いがあって「何か」を伝えているのであって文字どおりではないかもしれないからだ。もっとも現代的な記録であっても記録する者の主観性を完全には消し去ることはできないのだから、そこに「解釈」の問題が横たわっているとはいっても、とりあえずは「文字どおり」に追わざるをえない。 また、復活に至るもろもろの状況まで本書で紹介するのは紙数が許さないので、基本的には復活したイエスの記事、すなわちイエスが復活して現れたくだりに限定する。もしも読者がその前にまで興味を抱かれるのであれば、前述の聖書を直接手に取られるかネットに上げられている聖書本文を参照いただきたい。 マタイ伝の出現記録はいずれも二八章にあるが、まず次のくだりを引用する。 マタイ伝の出現
まあね、ユダヤんの埋葬式に数日前に行ったわけだが、早速、墓標の上に石ころを載せて帰っていく人がいた。どうして? と思うだろ。( 思わなくてもよろしい。そりゃ、諸君の勝手だから。) ユダヤ人の墓、とくに縦型でなくて寝棺型の墓地は、どの国に行っても石ころが置かれているのを目にするだろう。エルサレムは特にの中の特にな。(写真は余の友人であるエルサレム在住アラブ人の住いの近くから余が撮ったもの。拡大しないと石ころが載ってるのは見えないか。) 人類は大昔から死者を埋葬した所に花を添える習慣があったことはわかっている。イヌでさえ亡くなった主人の墓に何かしらを捧げてくるという話はめずらしくないんだから、人間なら自然にするわな。 ところが、ユダヤ人は基本、墓に花束は置かない。(とは、言うが、実際は花を置いてくユダヤんもいることはいる。)花はしぼむからだ。(イザヤ40:8) それはわかった。では、どうして石
I.L. Peretz(I.L. ペレツ)作 及部泉也 訳 @2013 Izumiya Oibe 禁無断転載 ヴォーリン[今のウクライナとポーランドの接する地域]のある町に魔術師がかつてやって来たことがある。 ユダヤ人は皆、自分の頭の髪の毛の数よりも頭を悩ますことの多い過ぎ越し祭の前の、大忙しの時期に到来したにもかかわらず、この新参者は町に大いなる衝撃を残していった。まったくのところ、彼は歩く不思議のような人物だった。ぼろを身にまとい、しわだらけだが、まだなんとか役に立つ山高帽をかぶり、神様がお与えになった、まぎれもないユダヤ人の鼻ながら、顔はキリスト教徒のようにつるつるにそっていた。旅行の身分証明書は持たないし、コーシャであろうがなかろうが食い物に手を出したのを見たことがなかった。誰も彼が何者かわからなかった。どこから来たのかと問えば「パリから」と言うし、これからどこへと問えば「ロ
誰だ? Joan Baez の歌か、などと間違いの場違いの罰当たりをほざいてるのは。そう、元々はイーディッシュの歌詞だ。なお、余は一貫してイディッシュではなくイーディッシュと片仮名で表記しているが、そのほうが適切だからである。余に従うものはイーディッシュと表記すべし。 それでね。表題の話だけど、元々のイーディッシュの歌詞には、英語の歌詞にあるような悲しい目(mournful eye)も市場(market)もないんだよ。もっとも、一部の歌詞が違うものもあるのだが、それでもこれらの言葉は含まれていない。 単に「荷車の上に子牛が綱でつながれている」というだけなんだ。もちろん、「風が笑う」という言葉はあって、その対比は凄い。だからといって英訳は(英訳も一つではないが)余計な想像が多すぎるんだよ。 だったら、お前が訳してくれって? 実は辞書をガッコに忘れてきちまってな、明日取りに行ってからにするよ。
ほらっ、左上に日本語で「セール」ってあるから日系マーケットなのがわかるだろ。ロサンジェルスのダウンタウン、小東京(Little Tokyo)だよ。書店その他いろいろあるこのモールで、余がエレベータを降りてふと上を見たら、たぶん銃器を持った警備員であろうか、下を見下ろしていた。 そこの日系マーケットに入ったら、日中なら前にはいなかった武装警備員がいた。どこかの女性が、やはりそのことに気づいたらしく話しかけていた。腰の拳銃は役に立つのかって。ただそれだけだから女性が銃規制反対派なのかどうかはわからなかったが、警備員がはっきりと、銃が安全を保障するとのたもうた。 確かになあ。余が隠し持つ銃は小口径だが、彼のはオープン・キャリーで大口径の軍用であることは明らかだから、誰も変な気は起こせないわな。銃が安全を保障する。なるへそ。 ほんで余は、いきなりカメラを構えて撃たれてもいけないから、その警備員に声
ユダヤ教であってもキリスト教であっても十戒の元は出エジプト記の20章(と並行記事の申命記5章)だ。それならば一緒でよさそうなものだが、そうはいかない。普通はそれをそのままではなく十の戒めとして箇条書きに短縮したものであるから違うのは当然であるとも言える。(念のため言っておくが、一般の信徒にここにあるから十箇条抜き出せと言ってもうまくできないのが普通だ。それは原文のどこに力点を置くのかわからないからである。) だから、ここで違うというのは単なる字句のことではない。字句の違いであれば日本語訳の聖書も各種あるので字句が違うのは、くどいが、当然なのである。日本語ウィキペディアの「モーセの十戒」という項目に、キリスト教内部でも異なるかのように書いている。この項目を書いた方が何を根拠にしたのかは知らないが、正教会とルーテル派以外のプロテスタント教会を一緒にし(仮にグループAとする)、ルーテル派プロテス
ルース・ダヤン93歳。ニューズウィークの今週号に載ったもの。しっかりしている。http://bit.ly/sS6gZJ 将軍で後の国防大臣は30年前に亡くなっているが、実はその10年前に離婚している。しかし、今なお彼女は将軍の未亡人と言われ、テルアヴィヴで現役の実業家であるばかりか、アラブ人との共存に私費を投じて今なお積極的である。 離婚の原因は、将軍の女癖の悪さと言われているが、彼女によれば、将軍ほどの色男には女が群がっただけ。それはたいしたことがない。むしろ彼女の積極的なアラブとの共存思想が原因であったようだ。 将軍は、祖父がソルボンヌ大学卒、父がロンドン・スクール・オヴ・エコノミックス卒というインテリ家庭に生まれたが17で学校をドロップアウト。キブツで働いていたときに、ハイファ生まれの彼女と知り合った。 彼女が言うように、コンピュータで知るのではなく、人を生身で知り合うなら平和な関係
ここ開いてみてください→ Watching globalrevolution http://t.co/joMr9BSG via @livestream Twitterでこいつらのトイレはどうなっているという疑問が起こった。当然だ。生きている限りトイレの問題から逃げることはできない。日本では有料のトイレはあまり聞かないが、世界的にはただじゃないんだよ。まあ、アメリカも昔はともかく今頃はほとんどが無料だが、無料だからといってどこに行くのだろうか、彼らは。 どうも直接的にはなかなか行っているやつらに連絡は取れないが、彼らがライヴをやっているので聞いてみるといい。私が聞いた限りでは、近くの地下鉄駅やマクドナルドがあがっているほか、近所にアパートを持っている参加者の家で風呂まで使わしてもらっているというのもあった。 彼らのいるところだが、昔はリバティープラザといわれた公園であるが現在は所有者の名前を
日本からでもいい。キップを予約してみたまえ。ドイツ国鉄なら駅の何番線から乗車するか初めから決まっている。日本の国鉄(JR)もそうだ。しかしフランス国鉄なら何番線から乗車するのか書いていない。 書いていないはずだ。その駅に行ってからでないと何番線かわからないのだ。しかも行っただけではわからない。発車20分前になって初めて電光掲示板に出てくるからだ。だから、みんなアホのように首を伸ばして掲示板に見入っている。 フランス国鉄の案内所あるいはキップ売り場。英語で話しかけると「英語を」拒否される。ドイツ国鉄なら、ドイツ語で話しかけても「英語で」返してきたりする。 写真は9.11の日のフランスの駅。ただし、銃を持った警備兵は9.11だからということではない。普段もそうだ。L.A.もそうだよ。もう一つの写真は、フランス国鉄が2時間遅れた乗客に配ったお詫びの弁当。美味いものではないが、ちょうど昼時だったの
余のブログでは、いわゆる意味段落と形式段落について二度ほど触れたので、そのキーワードで辿り着く人も少なくない。日本の学校だけの人は、段落に二つの形式があることに何の疑問も抱かないだろう。しかし、アメリカ人に日本語を教えて中級くらいになると、そのことに驚愕する。ええっ、なぜ!?!、って聞かれちまう。 日本語は長い段落に馴染まない。てか、日本民族は長い段落に耐えられないのかもな。だから、耐えられなくて、段落を適当に区切る。ところが英語でもドイツ語でも、一まとまりの論述は一つの段落で書くことを教えられる。逆にこれを日本の学生に説明すると面倒なのであるが、「欧米の段落は、段落の中に序論文、いくつかの本論文、さらに結論文が含まれる」とでも言っておこう。 この違いが小説にも現れる。欧米の小説を翻訳したとして、その小説に会話文のない段落が連続するとしよう。もし翻訳者が段落まで原文のままにすると、日本人は
本来は引き篭もりのベテランを一級在宅士と言うらしいが、近頃はTwitterなどの自己紹介でもよく見かけるようになった。まあ、一日中Twitterなどしていると「あんた一級在宅士?」なんて聞かれそうだが、これは日本に限らないことだから英語でもありそうである。ところが、余の調べた限りはない。 仕方がないので英語で作るしかない。こういうのは説明的な英語(つまり長ったらしい英語)では駄目であるから、ピリッとした英語にしなければならない。それと日本語の習慣と英語の習慣にも気を配らなければならない。 例えば、日本語の建築士に付くような一級とか二級というのは英語には馴染まない。日本語では、兵隊の位でも酒の等級でも武道の段位でも一級二級が好きだが、英語ではほとんどない。それぞれ全く別の呼び名を使うし、一級(上級)を付けるとしてもシニアとかチーフにすることのほうが多く、ファースト・クラスは飛行機や列車くらい
世界で職業としての賞金稼ぎが許されているのはアメリカとフィリピンだけと聞いている。アメリカでは “bounty hunter” と呼ばれるもので、現在でも合法的な州が確かに稀ではない。 職業とはいっても、純然たる私人としての仕事であって、警察のような公的な権威はない。だから、dead or alive となると、さすがに現在は一般的ではないらしい。Dead or alive とは、賞金のかかった重罪人の身柄を「死んでいようが生きていようが」持って来た者に賞金を払うというシステムだ。 更に、死んでいたとしても、どのような状況で殺すことになったかなど、いっさい問われることなく賞金は支払われるというのが原則だ。逮捕して、裁判で死刑判決で、今なお生かされている麻原などの扱いとは雲泥の差である。 もっとも、私人による、そんなことが許されない州や外国でそれをやって、自分が逮捕されてしまう間抜けもいたよ
以下は、今日の夕食後にネットで見つけた記事で、讀賣新聞が伝えたもの。義捐金というものは貰う立場が文句を付ける筋合いのものではない。嫌なら貰わなければいい。これは貰うか貰わないかの個人の話。 東日本大震災で被災した宮城県石巻市の避難所に「西日本有志の会」「西日本小売業協会」などと名乗る男性2人組が現れ、避難住民に直接現金を配ったことが23日、わかった。 市が同日、災害対策本部会議で明らかにした。 市によると、2人組は21、22の両日、市内の避難所計6か所で3万円ずつ茶封筒に入れた現金を避難住民に配ったほか、市牡鹿総合支所で、職員に3万円の茶封筒約170通、計約500万円を渡していった。総額は5000万円以上とみられる。避難所の職員が「やめてください」と言って断っても配り続け、その後立ち去ったという。 話を聞きつけたほかの被災者からは「不公平だ」と訴える電話が市に寄せられており、市は「志はあり
コロンビア大学のDonald L. Keene 先生が今学期の終わりに最終講義をしたら日本に移住するらしい。NHK World News で流れたので、総合テレビでも流れたのかどうかわからないが、今朝のその英語ニューズの動画を載せておく。へへへ、英語ニューズといっても先生は日本語で話してるよ。 ねっ、アメリカの私立の大学は88歳になっても講義してるんだよ。だから余は八十すぎたら暖かい季節だけハーヴァードで講義すると常々言っているんだよ。鈴木大拙と同じで八十過ぎてからハーヴァード大学教授だ。それまで業績積んでおかなきゃな。もっとも、八十も過ぎれば若い人のような給料はもらえない。必要経費だけだな。だから大学にも都合がいい。 それはともかく、この日本文学者にして有名な日本文学の紹介者にして英訳者は、何をいまさらと思ったら、地震のせいで(というより原発のせいなのだが)外国人が大挙して日本を引き上げ
今日は実はこの記事をもって「はてな」からプラチナ勲章(銅、銀、金の上の最高勲章)を貰うことになる。そのための記事として、イスラエルの気違い原理主義ユダヤ教徒について書く予定であったが(Twitterで予告)、突然ながら、今日の米国連邦最高裁の憲法判断を書くことにする。まあ、これは言ってみれば、気違い原理主義キリスト教徒の話なので、予定とまったく違うこともないかもしれない。 私はかつて、日本で出版した日本語の本の中で「宗教学者の役割が、・・・、宗教を適切に批判する仕事を忘れて、世話人の役割だけに徹するなら、世話をしているつもりの宗教にもよくない結果となる」と書いたことがある。しかし、それは宗教学者の仕事であって、憲法学者の仕事ではない。宗教の中味よりは、宗教を支える社会の枠組を確固たるものにする役割を担うべきなのだろう。その意味では、今回の判断を是とせざるをえない。 今までのこのブログの読者
リビアに関しては「革命=revolution」ではなく、「騒乱あるいは暴動=uprising or riots or rebellion」というのは、ある程度この国の事情を考慮してのことだろう。1942年生まれの通称カダフィ大佐(ムアンマー・カダフィーは濁ってガダフィーとも発音される)が実質的に権力を掌握していたのは確かだが、他のアラブ諸国とは別で、国民への富の配分はある程度徹底していたようだ。従って、近隣諸国からの出稼ぎも多かった。 リビアの東西は、そもそもは別の国だ。現在も西部をトリポリタニア、東部をキレナイカと呼ぶが、カダフィの革命前の王国時代は、首都はトリポリタニアのトリポリとキレナイカのベンガジの二つであった。西部のトリポリタニアは紀元前5世紀頃からフェニキア人(カルタゴ人、ポエニ人)の国として開け、東部のキレナイカは紀元前7世紀頃からギリシア人の植民地として栄えた。 トリポリス
ヨウツベは専門家(Gilbert Achcar)によるエジプト軍事独裁の歴史。聞き手 Paul Jay。 余はエジプトの専門家ではない。お墓の研究で博士(Ph.D.)になったが(これは本当 cf. Dissertation Abstracts)、ファラオのお墓じゃないから関係はない。法律は仕事で多少の付き合いはあるが、エジプトの法律や政治制度はよくわからない。そんなよくわからない者が書くショート・ノートだからだまされるなよ。 エジプトというのは昔からの大国で西欧とも形の上では対等の関係を保ってきた。1923年には最初の憲法が発布され、政教分離もそのとき明文化された。しかし、現在のエジプト共和国の憲法は、サダト大統領時代の1971年憲法が土台であり、かつ1980年に同大統領が改正したものが主要な内容である。1980年の改正では、私法の一部(結婚など)がイスラム法を尊重するものとなった。最近の
大学院の授業で聖書(特に新約聖書)写本学を取るとすぐにコプト語というのが目に付く。しかも、二つの方言がある。いや、実際はさまざまな方言や時代による違いがあるのだが、聖書学ではサヒド方言(Sahidic)とボハイラ方言(Bohairic)が特に有名なのだ。 新約聖書本文は確かにギリシア語ではあるが、ほぼ完全なギリシア語聖書で現存する最も古いものでも4世紀を更に遡ることはない。それより古いものは断片にすぎない。とすると、4世紀以前の他の言語に訳されたものも研究には大事な資料になってくる。そのような他の言語は、シリア語、アルメニア語、グルジア語などであるが、コプト語も非常に重要である。 コプト語の文字は基本的にはギリシア語が土台になっている。それはコプト語がエジプトの民衆の言葉であったが、アレクサンドリアを中心とした都会では支配者層のギリシア語が公用語であったため、民衆の言葉を書き写すのにギリシ
ムバラク大統領は長くとも今年秋口までしか政権に留まることはない。その後の政権がどうなるかは未定である。その中でムスリム兄弟団の役割は、識者の懸念するところである。(ムスリム同胞団とも日本語では言うがどうもしっくりこない。) ムスリム兄弟団はエジプトに発祥しながらも現在ではイスラム諸国に広がっている(敢えて言えば)イスラム原理主義系の政治組織である。かつて発祥の地エジプトでは公的に政党とは認められていなかったが、現在では実質野党第一党で、全議席の5分の1弱を占めている。その意味ではれっきとした合法政党であり、武力革命等を目指すものではない。英語版の同党のサイトはこちら→http://www.ikhwanweb.com/。 イスラム教では多数派で穏健派であるスンニー派に大きな母体があるので、イスラム過激派との関係は薄いとの見方もあるが、実態は必ずしもそうではない。この組織の組員(←ヤクザみたい
『阿呆のギンペル(Gimpel the Fool)』1 ノーベル賞作家アイザック・シンガーのイーディッシュの原作を、同じくノーベル賞作家ソール・ベローが英訳した作品の和訳(重訳)だ。今のところ重訳だが、そのうちイーディッシュの原文と照らし合わせる。多少はイーディッシュが想像できるのだが、ソール・ベローの訳し方に興味がある。なお、近くにイーディッシュが母語で長くUCLAのイーディッシュ語教授だった人が住んでいる。彼女にはシンガーに関する伝記もあるから原文を持ってるかもしれない。英訳はネットに数種類ありますから、英語で読む方は本を買う必要はありません。私はFawset Crest版が手許にあります。ネットよりは本当の本のほうがいい気持ち。 小説は終りまで訳すとは限らない。ただイーディッシュの文法だけでは面白くなかろうと、紹介してみただけだ。シンガーはショーレム・アレイヘムの影響があることは、こ
昨夜は、たまたま入手したハーヴァード大学燕京研究所の出版物の著者の一人である日系人について調べていたが、恐ろしいことにネットだけで遺族の住所や電話番号までわかってしまった。本人は一応ハーヴァードやエールで教育を受けておりワシントンDCの American University の教授ではあったが(1912年生−1978年没)、著書は、その共著であるものと、単著は学位論文しかない。研究者というよりは、単なる大学教授であるから、普通にはヒットしないのだが、アメリカの国勢調査は70年経つと公開されるので誰でもアクセスできたのだ。(そこから情報を繋いだ。) そのとき思い出したことを書く。東欧から来た人たちは、19世紀から第二次世界大戦後も、多くが自分の名前のローマ字表記で悩み、面倒なので、西欧の該当する名前とか、西欧風の名前に変えてしまった者も多い。前者はヴァッセルマンがウォーターマンなどで、後者
今日のKcal 9 ニューズをみていたら、余が名誉市長をしているヴェンチューラ(Ventura、ヴェントォーラとも発音)市のお乞食さんが話題になっていた。この場合、お乞食さんは panhandler というが、お鍋や缶カラを手に持って物乞いするからだ。アメリカの都市のどこにでもお乞食さんはいるし、誰も邪魔だとは思っていない。 確か二年前も問題にしたが、法律で取り締まるようなことはしないことになったはずだ。どうやらまた蒸し返しているらしい。ヴェンチューラの町はしばしばブログでも書いたが、海辺の門前町だ。聖人が守る町なのだからお乞食さんくらい大目に見て欲しいのだが、町のレストランなどが嫌がるらしい。しかし、テキサス訛りの兄ちゃんが言うように「かまへんやないか」。 最後に訪れたのは先月だったが、お乞食といっても芸人もいる。お乞食さんがギターを弾くと、連れの犬が後ろ足を蹴ってギターのストロークに合
母子寮前 作者: 小谷野敦出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2010/12/16メディア: ハードカバー クリック: 121回この商品を含むブログ (25件) を見るhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110117 この本(小説)は読み出したら途中で止められない。途中で邪魔が入ると「くそー」と憤るような小説である。つまり、面白くて中断せずに終りまで一気に読まなければ気のすまない本である。小説は文学であり藝術であるから面白くなくてもいいというのは欺瞞である。もっとも面白いというのは人さまざまである。人が面白い面白いというから読んでみると、実に荒唐無稽な馬鹿話で、具眼の士からすれば呆れ果てるような「面白さ」もある。しかし、本書は、少なくとも人生の実相を感得せんとする者にとっては興味が尽きることなく楽しませる小説であった。 のぶれば、余が小谷野敦の著作につ
日本の英語学者が英語しか知らないわけではない。しかし、日本の英語屋さんは、ドイツ語やフランス語まで英語風に発音するところをみると、英語しか外国語と思っていない人が多いのかもしれない。だから、辞書を作るに当たって、transliteration と transcription の違いになど目が届かない。しかし、ギリシア語とかアラビア語とか、もちろんイーディッシュでは、その違いが重要になってくる。 余は一貫して transliteration という英語は日本語に訳して「翻字」と言ってきたが、どうやら英和辞典のいくつか、あるいは多くが「翻字」という訳語を使わず「音訳」などとしているらしい。困ったものだ。しかし、日本語ウィキペディアを見たら、transliteration と transcription の違いを明確にし、前者に「翻字」という訳語を当てていたので嬉しくなった。後者については有力な
これは極めてアメリカ的な戦略方針であり、政治問題であり、世間的な話題である。しかし、実は、このことがどういう意味なのかアメリカ人でもよくわからない人が多い。その最大の理由は、この政策・方針は妥協の産物であるからだ。従って、「よくわからない」という素朴な段階から、賛否両論の最高裁の判事等に至るまで曖昧さは残ることになる。 この記事を書くに当たって英語版 Wikipedia を見てみたが、非常に詳しく記述されているので、こんなしょうもないブログ読むくらいならという方は初めからこちらをどうぞ(→http://en.wikipedia.org/wiki/Don't_ask,_don't_tell)。ただ、多少のバイアスはありますんでご注意を。 何を「聞くな、答えるな」と言っているのか? 個人の性行為の性向あるいは好みとして、「あなたは同性愛者ですか」という質問をしてはいけないし答えてもいけない。(
ニューズ・ソース(ABC:http://bit.ly/adMpUV; Bloomberg:http://bit.ly/9I48eh) 残念ながら合法的なんだそうだ。この三年間でグーグルは本拠地のあるカリフォルニアで払うはずの31億ドルもの税金を払っていない。その「合法的な」手口はこうだ。まず彼らの言う「ダブル・アイリッシュ」という二つのアイルランドの会社で税率を米国の35%の所得税からアイルランドの2.4%の税率に下げる。次にその剰余金をバミューダに送るのだが、そのためにいったんオランダを経由させる。彼らはこれを「ダッチ・サンドイッチ」と呼ぶ。さて、最終地バミューダでは税率はゼロなので所得税は消える。 ブルーンバーグ・ニューズのこの記事は今あちこちで引用されており、たった今も ABC のワールド・ニューズで聞いた。ブルーンバーグのジェシー・ドラッカー記者が実際にバミューダのグーグル社を尋ね
誕生:紀元22年、エルサレムにてユダヤ人の母と同じくユダヤ人の父の子として生まれる。両親の商売は、ローマ人(ローマ兵)を相手とする宿屋または飲食店。ほどなく父親は死亡。母が商売を切り盛りする。(父親がローマ兵であった可能性もある。) 生まれたときから現地語であるアラム語、共通語(リンガ・フランカ)であるギリシア語に、生家の商売言語であるラテン語に親しむ。ユダヤ教徒の母親の希望でヘブル語の読み書きの素養もある。 8歳:紀元30年の春、ナザレのイエスの処刑を母親とともに遠方より傍観する。 13歳:紀元35年、エルサレムでのステパノの殉教を目撃。 16歳:紀元38年、ペテロらに会いに来たパウロを見て驚く。ステパノ殉教の際にユダヤ教徒側に立っていたサウルだった。 18歳:紀元40年、父とも慕うペテロが伝道の旅に出るのを見送る。母の仕事を手伝うとともに、エルサレム教会の仕事にも従事する。 24歳:紀
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