「みなみけ」がもうすぐ500話に到達するらしい。
たまたまコンビニで手に取ったヤンマガを開いたら498話が載っていてかなりビックリした。
いや、ビックリしたのはただ積み重ねられた数字だけではなく、中身そのものの方にもなのだが。
筆者がみなみけをヤンマガで読んでいた頃は......もうかれこれ15年近く前になるのかな。ちょうどアニメ3期がやってたあたり、高校に入るか入らないかくらいのタイミング。
で、その時も衝撃を受けた。
「あのアニメはこの原作から作られてんの......?」という具合に。
念の為言っておくと、悪い意味でビックリしたのだ。あんまこの念を入れる前置きからマイナス方面に続くことってないとは思うけど、それでも。
当時マンガなんて全然読んでなかった自分からしたら衝撃的な画面の白さとコマの大半を埋め尽くす顔のドアップ、オチてるのかオチてないのか分からない話の流れ。
後にアニメで補完されたらしい部分は極限まで削ぎ落とされていて、とにかく軽い。軽すぎる。その驚きの軽さがかえって刺激を生んでいた。ナウシカやけいおんの漫画版を読んだ時ともまた違う感覚は、今でも思い出せ......るような気がする。さすがに鮮明には覚えてないけども。
話を2025年に戻す。この令和の世で味わった衝撃はまた別だった。
「まだなんも変わってないの......?」
これだった。
そう、何もかもが15年前と変わってないのだ。ああいや、厳密には少し絵柄は変わったと思う。当時の流行りだった細線のクッキリした絵から、ザクザク描いた感じの線の太さが安定しない(させてない、んだろう)絵に。けれど逆に言えばそれくらい。これだけの年月が経ったのに。
紙面の中ではあの時と同じ白さと顔の圧で、カナが訳分からんこと言ってチアキがナマ言ってハルカが翻弄されていた。あの頃──黒歴史だったアニメ2期と同じスタジオでやる3期が不安視されてた頃にタイムスリップしたのか?って一瞬錯覚してしまうくらいにはデジャブだったのだ。
たまたま読んだ回では三姉妹以外は目立った出番がなかったけど、きっと内田はバカなままだし、マコトはチアキに嫌われたままだし、藤岡はヘタレたままだし、保坂はハルカと話せてないままなんだろう。当然2つの南家においても、両親の影も形もないことは確信している。たまたま「498話」というただの1話をつまみ読みしただけでも、だ。
つまり「何も変わってない」んだろう。そして変わらないことでここまでの長寿作になれるだけの支持を得ているのだろう。
どうもいつの間にか、みなみけはサザエさんやあたしンちみたいなポジションに収まっていたらしい。
言っちゃなんだが、当時からあまりこの作品を「面白い」と感じたことはない。
別にギャグがキレキレなわけではないし、(日常の延長線というテーマもあるだろうが)突拍子もないシュール展開に誘われるわけでもないし。かといって萌え特化作品と言うには可愛げが全体的に足りてないし。
確かに会話のテンポやワードセンス、謎の間の取り方等で惹き込まれる要素は随所にあった記憶が残っているが、それくらいではメジャー誌でこれだけ生き残り続けるだけの武器にはなりえないと思う。メディアミックスも一段落したんだし尚更。
でも、そもそもみなみけの魅力はそんな小手先のところにはなかったんだろう。
いつ紙面を開いても同じことをやっていて、同じことをやっているからこその一定の支持。テコ入れや人気取りとは無縁の不動の姿勢で、久しぶりにふらっと「ヤングマガジン」に立ち寄った誰かの口角をわずかに上げるためのオアシス。
つまり「不動」でいること。それはなかなか難しいことなのではないか、とふと思った。
ああそう言えば、親父が筆者の読んでいたジャンプをつまみ読みした時は決まって「こち亀は変わらんなあ」って言ってたっけか。今になってその感覚を共有できたような気もする。たまたま開いたヤンマガが齎してくれた気づきだ。
みなみけは今になってアニメ5期が決まったらしい。4期から見ても干支一周分は離れた今になって、だ。
筆者はもうあまりアニメを見なくなったので、みなみけに関してもきちんと見るかどうかは分からない。なんなら放送が始まった頃にはもうそのことを忘れてるかもしれない。
けれど、あの頃に同じ感覚を味わった何処かの誰かはきっと、たまたま深夜につけたテレビの向こう側を覗き見た時、今回の筆者と一緒の心持ちになるんだろうということは確信している。
15年以上?週刊誌で連載して500話っていつ紙面を開いてもやってるからは結構遠いんじゃないか