僕らの世代で日本人のカリスマと言ったら間違いなく氷室 京介氏が挙げられると思う。
僕の住んでいるところの近くに、売れる前のBOOWYのオフィスだった高円寺のマンションがある。氷室氏はBOOWYのボーカリストだった人だ。決して華原朋美の元恋人で詐欺事件で有名になったキーボードの人ではない。お間違いのないようにご注意願いたい。
僕は最近テレビを全く見ていない。
氷室氏はあまりテレビに出ない人なので、今も出ていないのかどうだか不明だ。多分、そんなに出ていないと思う。しかし、太陽にほえろには出演歴がある。
中学生当時、気の合う友人がパンクロック好きで僕は相当影響を受けた。
レコードや楽器を見によく渋谷や原宿に行った。
ガーゼシャツにラバーソウル、それからダイエースプレーの匂いを嗅ぐと、きっとその頃にタイムトリップできる気がする。僕が読む活字と言えば雑誌の宝島だけだった。
インディーズ系から入ったので、マイナー路線がかっこいいと信じていた。
※インディーズとはインディペンデントレーベルの略で自主制作のこと。
原宿竹下通りの電柱にはギタリストの布袋 寅泰氏のサインが書かれていたり、
新宿ロフトの近くにあった氷室氏のマンションなんかもその友人から色々と教わった。
BOOWYも世間ではまだまだ山下久美子の旦那のバンドといった程度の知名度だったように思う。要するにまだまだマイナーで、オート・モッドというポジティブパンク、今で言うビジュアル系バンドのはしりのような存在のギタリストとしての方が有名だった。
その後、伝説のバンドBOOWYは大ブレイクをするわけで、僕のいた高校の軽音楽部では既にBOOWYバンドがいくつもあった。
僕はといえば、BUCK-TICKのギタリストである今井寿氏と星野英彦氏と渋谷でたまたま会って、中学生だった僕に優しく対応してくれて、サインまでしてもらったのに気を良くしてファンとなり、BOOWYバンドに対抗してBUCK-TICKのコピーをやっていた。
しかもBUCK-TICKはインディーズ出身バンドだ。僕はやっぱりインディーズはかっこいいと信じていた。
しかし、実はBUCK-TICKのメンバーは群馬県高崎市の出身で、BOOWYの氷室京介氏の高校の後輩なので、初期の音は影響をモロに受けていて、ルックスは勿論、エフェクターの使い方やステージングは非常に良く似ていた。
だから、そのコピーバンドといったら、演奏を始めるまでBOOWYのコピーバンドなのか、BUCK-TICKのコピーバンドなのか良く分からないイデタチだった。
それから、
今振り返るとコピー曲のような感じだったけれど、流石にオリジナル曲で僕たちが出場したバンドのコンテスト。
一緒に出ていた対バンドの中に、隣の高校にいたパフィーの人がいたのを立ち読みした雑誌でずいぶん後に知った。
ハノイロックスをもじったバンド名だったので覚えている。
そしてそのパフィーの人と結婚したのがGLAYのボーカリストTERU氏で、後に氷室氏と“ANSWER”という曲で競演を果たした。GLAYはポストBOOWYとも称されるバンドである。
やっぱり氷室氏は同世代のカリスマなわけで、
先日、久しぶりに昔の曲を聴いてみた。
ハノイロックスのマイケルモンローとバンドを組んでいたギタリスト、スティーブン・スティーブンス(商業登記の記載にならい中点を使用しました)の技巧的なギターが冴え渡る。
ベースラインも複雑にウネル。ハードロックな感じである。
そして僕は、
ふらりと電車に乗って群馬県のK駅にある氷室京介氏のご実家に行ってみた。
知り合いでも何でもないので、ちょっと通りがかってという感じで帰ってきた。