陝西省の鳳翔府の位置(1820年)
鳳翔府 (ほうしょうふ)は、中国 にかつて存在した府 。唐代 から民国 初年にかけて、現在の陝西省 宝鶏市 一帯に設置された。
概要
618年 (武徳 元年)、唐により隋 の扶風郡 が岐州 と改められた。742年 (天宝 元年)、岐州は扶風郡と改称された。757年 (至徳 2載)、扶風郡は鳳翔府と改称された。鳳翔府は関内道に属し、天興 ・扶風 ・岐山 ・郿 ・虢 ・宝鶏 ・麟遊 ・普潤 ・盩厔 の9県を管轄した[1] 。
北宋 のとき、鳳翔府は秦鳳路に属し、天興・扶風・岐山・盩厔・郿・宝鶏・虢・麟遊・普潤の9県と司竹監を管轄した[2] 。
1130年 (天会 8年)、金 が鳳翔府を降した[3] 。鳳翔府は鳳翔路に属し、鳳翔 ・宝鶏・虢・郿・盩厔・扶風・岐山・麟遊・普潤の9県と武城・陽平・岐陽・馬蹟の4鎮を管轄した[4] 。1231年 (正大 8年)、鳳翔府はモンゴル帝国 に占領された[5] 。
元 のとき、鳳翔府は陝西等処行中書省 に属し、鳳翔・扶風・岐山・宝鶏・麟遊の5県を管轄した[6] 。
明 のとき、鳳翔府は陝西省に属し、直属の鳳翔・岐山・宝鶏・扶風・郿・麟遊・汧陽 の7県と隴州 を管轄した[7] 。
清 のとき、鳳翔府は陝西省に属し、鳳翔・岐山・宝鶏・扶風・郿・麟遊・汧陽・隴州の1州7県を管轄した[8] 。
1913年 、中華民国 により鳳翔府は廃止された。
脚注 ^ 『旧唐書 』地理志一 ^ 『宋史 』地理志三 ^ 『金史 』太宗紀 ^ 『金史』地理志下 ^ 『金史』哀宗紀上 ^ 『元史 』地理志三 ^ 『明史 』地理志三 ^ 『清史稿 』地理志十 宋朝の行政区分
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荊湖北路
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