永州路
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永州路(えいしゅうろ)は、中国にかつて存在した路。大元ウルスの時代に現在の湖南省永州市一帯に設置された。治所は零陵県で、大元ウルスの行政上は湖広等処行中書省に属した。
- ^ 植松1997, p. 101,110.
- ^ 『元史』巻62志14地理志5,「永州路、下。唐改零陵郡為永州、宋因之。元至元十三年、置安撫司。十四年、改永州路総管府。戸五万五千六百六十六、口一十万五千八百六十四。領司一・県三。本路屯田一百三頃」
- ^ 『元史』巻95志44食貨志3,「太祖長子朮赤大王位……江南戸鈔、至元十八年、分撥永州六万戸、計鈔二千四百錠」
- ^ 村岡1997, p. 18-19.
- ^ 『元史』巻117列伝4朮赤伝,「朮赤者、太祖長子也。……至元二年、月即別遣使来求分地歳賜、以賑給軍站、京師元無所領府治。三年、中書請置総管府。給正三品印。至正元年、月即別薨、子札尼別嗣。其位下旧賜平陽・晋州・永州分地、歳賦中統鈔二千四百錠、自至元五年己卯歳始給之」
- ^ 村岡2002,162-163頁
- ^ 『元史』巻62志14地理志5,「永州路……領司一・県三。本路屯田一百三頃。録事司。県三:零陵、上。倚郭。東安、上。祁陽。中」
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