四川省の潼川府の位置(1820年)
潼川府 (とうせんふ)は、中国 にかつて存在した府 。宋代 から民国 初年にかけて、現在の四川省 中部に設置された。
概要
1118年 (重和 元年)、北宋 により梓州 が潼川府に昇格した。南宋 のとき、潼川府は潼川府路に属し、郪 ・中江 ・涪城 ・射洪 ・塩亭 ・通泉 ・飛烏 ・銅山 ・東関 ・永泰 の10県を管轄した[1] 。
元 のとき、潼川府は四川等処行中書省 に属し、郪・中江・射洪・塩亭の4県と遂寧州 に属する小渓 ・蓬渓 の2県と綿州 に属する彰明 ・羅江 の2県、合わせて4県2州州領4県を管轄した[2] 。
1376年 (洪武 9年)、明 により潼川府は潼川州 に降格した。潼川州は四川省に属し、射洪・中江・塩亭・遂寧 ・蓬渓・安岳 ・楽至 の7県を管轄した[3] 。
1734年 (雍正 12年)、清 により潼川州は潼川府に昇格した。潼川府は四川省に属し、三台 ・射洪・中江・塩亭・遂寧・蓬渓・安岳・楽至の8県を管轄した[4] 。
1913年 、中華民国 により潼川府は廃止された。
脚注 ^ 『宋史 』地理志五 ^ 『元史 』地理志三 ^ 『明史 』地理志四 ^ 『清史稿 』地理志十六 宋朝の行政区分
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淮南西路
荊湖南路
荊湖北路
京西南路
福建路
成都府路
潼川府路
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広南東路
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