略伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 09:18 UTC 版)
贛州贛県の出身で、のちに洛陽に移住する。特命によって吏部考試を受けて太学上舎を賜り、校書郎となる。のちに河南府少尹となる。高宗の時代に江西提刑・浙西提刑を歴任。兄の曾開が抗戦を主張し宰相の秦檜と対立したため、連座して免職となり、転運使判官の職があったが固辞する。江西の茶山寺に閉居していたが、秦檜の死後、浙西提刑に復帰し、台州知州となる。のち秘書少監となり、『神州宝訓』編纂の旨を受け、書を完成させて礼部侍郎となる。たびたび隠退を申し出て許され、玉隆観の提挙となり、隆興2年(1164年)に官を辞する。乾道2年(1166年)5月、平江府にて83歳で死去。
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「略伝」の例文・使い方・用例・文例
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- 伊藤公略伝
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