湖北省の徳安府の位置(1820年)
徳安府 (とくあんふ)は、中国 にかつて存在した府 。宋代 から民国 初年にかけて、現在の湖北省 孝感市 一帯に設置された。
概要
1119年 (宣和 元年)、北宋 により安州 が徳安府に昇格した。徳安府は荊湖北路に属し、安陸 ・孝感 ・雲夢 ・応城 ・応山 の5県を管轄した[1] 。
元 のとき、徳安府は河南江北等処行中書省 に属し、安陸・孝感・雲夢・応城の4県と随州 に属する随 ・応山の2県、合わせて1州6県を管轄した[2] 。
1376年 (洪武 9年)、明 により徳安府は徳安州に降格した。1380年 (洪武13年)、徳安州は徳安府にもどされた。徳安府は湖広省 に属し、直属の安陸・孝感・雲夢・応城の4県と随州に属する応山県、合わせて1州5県を管轄した[3] 。
清 のとき、徳安府は湖北省に属し、安陸・雲夢・応城・応山・随州の1州4県を管轄した[4] 。
1913年 、中華民国 により徳安府は廃止された。
脚注 ^ 『宋史 』地理志四 ^ 『元史 』地理志二 ^ 『明史 』地理志五 ^ 『清史稿 』地理志十四 宋朝の行政区分
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