興和路
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興和路(こうわろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の河北省張家口市の北西一帯に設置された。
- ^ 『元史』巻5世祖本紀2,「[中統三年十一月]戊申、升撫州為隆興府、以昔剌斡脱為総管,割宣徳之懐安、天成及威寧、高原隷焉」
- ^ 箭内1930,636頁
- ^ 『元史』巻5世祖本紀2,「[中統三年十二月]戊寅……建行宮於隆興路」
- ^ 『元史』巻6世祖本紀3,「[至元四年春正月]戊午……析上都隆興府自為一路、行総管府事」
- ^ 『元史』巻22武宗本紀1,「[至大元年秋七月]壬戌……旺兀察都行宮成。立中都留守司兼開寧路都総管府」
- ^ 『元史』巻24仁宗本紀1,「[至大四年夏四月]癸亥……罷中都留守司、復置隆興路総管府、凡創置司存悉罷之」
- ^ 『元史』巻24仁宗本紀1,「[皇慶元年]冬十月甲子……改隆興路為興和路、賜銀印」
- ^ 『元史』巻58志10地理志1,「[興和路]興和路、上。唐属新州。金置柔遠鎮、後升為県、又升撫州、西属京。元中統三年、以郡為内輔、升隆興路総管府、建行宮。戸八千九百七十三、口三万九千四百九十五。領県四、州一」
- ^ 『元史』巻58志10地理志1,「[興和路]県四:高原、下。倚郭。中統二年隷宣徳府、三年来属。懐安、下。元初隷宣徳府、中統三年来属。天成、下。元初隷宣徳府、中統三年来属。威寧、下。元初隷宣徳府、中統三年来属」
- ^ 『元史』巻58志10地理志1,「[興和路]州一:宝昌州、下。金置昌州。元初隷宣徳府、中統三年隷本路、置塩使司。延祐六年、改宝昌州」
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