第4世代 (OQS-XX)
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「海上自衛隊のソナー」の記事における「第4世代 (OQS-XX)」の解説
1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)度に部内研究、1989年(平成元年)から1990年(平成2年)度に研究試作を行い、1990年(平成2年)および1992年(平成4年)度の所内試験を踏まえて1992年(平成4年)から1994年(平成6年)度にかけて試作を行い、試作機であるOQS-XXは試験艦「あすか」(04ASE)に搭載された。1995年(平成7年)から1996年(平成8年)度に技術試験、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)度の実用試験を行い、所期の性能を満足していることが確認され、2001年(平成13年)に01式水上艦用ソーナーとして制式化された。
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第4世代(2008年-2019年)
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「ダッジ・ラム」の記事における「第4世代(2008年-2019年)」の解説
デトロイトモーターショーで発表された第四世代のラムは 5.7 L HEMI V8 は 35hp のアップで 380hp になり(283kW)そのトルクは 404 ft·lbf (548 N·m)である。燃費も若干向上する模様。4.7 L PowerTech V8 は310hp (231kW)、 330 ft·lbf (447 N·m)、 3.7L PowerTech V6 は 215 hp (160 kW)、 235 ft·lbf (319 N·m)を発揮する。このモデルにおいて最大の変更点はリアサスペンションのコイル化である。耐久性のために長年トラックのお決まりになっていたリーフ式サスペンションから、ハンドリング性能の追求のために5リンク式サスペンションに変更された。 デザインは先代よりもさらに直線的で角張ったものとなっている。またリアエンブレムは、「DODGE」の文字だけのものから、「DODGE」の文字が入ったダッジのロゴに変わった。 2008年9月25日にテキサス州ダラスで開かれたイベントで、テキサス州限定で発売する「ローンスター・エディション」が発表された。フォグライトや2本出しマフラー、テキサス州の形をモチーフにした専用エンブレムなどが搭載されている。 2009年モデルとして、2008年秋から発売されている。長年のライバルであるフォード・F-150も2009年モデルは全面改良されており、競争が激化するものと思われる。 2011年からはクライスラーがメキシコ サルティヨ工場で日産向けにタイタンの後継車としてダッジ・ラムをOEM供給する予定だったが、2009年4月にクライスラーが破産法適用を申請したのに加え、フィアットと提携する事が決定したため、同年8月に契約解消が発表された。
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第4世代 (GEN-IV)
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「原子炉」の記事における「第4世代 (GEN-IV)」の解説
2007年現在研究が進んでいる原子炉で、天然ガス火力発電とも競合できる高い熱効率、高度な安全性、放射性廃棄物の負担の最小化及び高度な核拡散抵抗性などの特徴をもつ革新的原子炉群。高温ガス炉は、中国で商用炉が建設中である。
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第4世代(携帯機)
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1990年代中盤 - 後半に当たる。 第4世代の携帯機 ノーマッド ゲームボーイポケット ゲームボーイライト ゲームボーイカラー ネオジオポケット ネオジオポケットカラー ワンダースワン ワンダースワンカラー スワンクリスタル ポケットステーション スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、携帯ハードの第3世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現した。液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。ビジュアルメモリとポケットステーションは、据置機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されなかった。メガドライブと互換性のあるセガ・ノーマッドや、この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの、この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった。 ノーマッド(セガ、1995年) ゲームボーイポケット、ゲームボーイライト(任天堂、1996年・1998年) game.com(タイガー・エレクトロニクス、1997年) ネオジオポケット(SNK、1998年) ゲームボーイカラー(任天堂、1998年) ワンダースワン(バンダイ、1999年) ネオジオポケットカラー、NEWネオジオポケットカラー(SNK、1999年) ワンダースワンカラー、スワンクリスタル(バンダイ、2000年・2002年) ポケモンミニ(ポケモン、2001年) 据置機の外部記憶媒体 ビジュアルメモリ(セガ、1998年) PocketStation(SCE、1999年) 電子ゲーム たまごっち(バンダイ、1997年) デジタルモンスター(バンダイ、1997年) ポケットピカチュウ、ポケットハローキティ、ポケットピカチュウカラー(任天堂、1998年、1999年) ヨーカイザー(バンダイ、1998年) ポケットサクラ(メディアファクトリー、2000年)
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第4世代(1932年)
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「オンド・マルトノ」の記事における「第4世代(1932年)」の解説
第4世代は鍵盤が演奏可能に改良されたが、リボンは相変わらず離れた位置から引っ張って操作するので、鍵盤とリボンを同時に切り替えて演奏することはいまだに全く実用的ではなかった。 伊福部昭の著書「管絃楽法」のオンド・マルトノの項目では、楽器構造の説明に dummy keyboard と書かれているが、この記述はこの第4世代楽器によるものと思われる。また同じ本ではリボン奏法に関して 実際の演奏にあつては、このRingの左右移動は右手の担当する処であるが、Martenotにあつては、此の奏法の他に、単にWW1に連る紐を前後に引くもの、叉、鍵盤に手を触れることに依つても発音し得る様に作られたもの等がある。此の様に右手には三種の操作法がある。 と書かれているが(下線部編集者加筆)、この前後に引く紐は第2世代から第4世代まで用いられた。なお下記の第5世代からはこの紐(リボン)を前後に引く奏法は採用されず、現在の操作法はリボンを平行に操る奏法と鍵盤奏法の2種類である。
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第4世代 (1974-1976)
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「ビュイック・リヴィエラ」の記事における「第4世代 (1974-1976)」の解説
同じプラットフォーム、機械構造と「第3世代」リヴィエラと同一のボディパネルの幾つかを引き継いでいたが、ビュイックは特徴的な「ボート・テール」のルーフラインをより普通の外観を持つ「柱廊」形式に変更した。この変更によりリヴィエラはハードトップ・クーペから幅広いBピラーと固定式のオペラウィンドウ(Opera window)を持つピラー付きハードトップになった。ランドーレット風の半ビニールルーフがオプションで設定され、多少形状を変えられたが前方に突き出したグリルは引き継いでいた。このスタイル変更によりリヴィエラは前のモデルのみならずプラットフォームを共有するオールズモビル・トロネードやキャデラック・エルドラドよりも凡庸な外観となっていた。大人しい外観のリヴィエラは軽量とは言えず、その上標準の455 V8エンジンは更に低出力となり230 hp (172 kW)とステージ・ワン パッケージでも245 hp (183 kW)でしかなかった。購入者が興味を示さなかったために1974年モデル以降ではマックス・トラックがオプションから落とされた。刷新されたスタイリングは販売には何ら貢献せず、1974年モデルの販売台数は20,129台に急落した。 1975年モデルのリヴィエラは顔付きを変更され、車体先端のグラスファイバー製覆いのデザインが変更されたことにより前方突き出しのテーマが失われた。角型4灯ヘッドライトが横並びに配され、新しい縦棒で構成されたグリルは当時の多くのGM車が採用していた「("stand-up")」のテーマを反映していた。パーキングライトはフェンダー側面に回りこんでいた。ステージ・ワン パッケージは1975年モデルで落とされたが、グランスポート ハンドリング・パッケージは提供され続けた。標準エンジンの出力は205 hp (153 kW)に落ちた。1975年モデルの販売台数は17,306台であった。 1976年モデルはマイナーチェンジが施され、最も注目すべきは新しい斜め格子グリルであった。グランスポート ハンドリング・パッケージは、類似のスポーティな外観の「S/R」パッケージに代替された。1976年モデルの販売台数は多少回復して20,082台であった。
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