歴史と進出企業とは? わかりやすく解説

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歴史と進出企業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 00:31 UTC 版)

末広町 (横浜市鶴見区)」の記事における「歴史と進出企業」の解説

1914年1915年大正3~4年頃)より、鶴見埋立組合現在の東亜建設工業)により埋立始められ土地で、1916年に1丁目の一部1922年2丁目相当する部分竣工した1916年10月15日神奈川県橘樹郡町田村末広地名付けられた。末広の名は、鶴見埋立組合創業者浅野総一郎家紋から採られた。町田村1923年4月1日潮田町改称し1925年4月1日鶴見町編入1927年昭和2年4月1日には横浜市編入同年10月1日には区制施行により、横浜市鶴見区末広町となる。 1916年浅野造船所現在のジャパン マリンユナイテッド横浜事業所鶴見工場)と旭硝子現在のAGC)、1917年浅野合資会社製鉄部(日本鋼管京浜製鉄所経て現在のJFEスチール東日本製鉄所)が操業始めた1923年9月1日関東大震災では工場2棟火災起こし社宅多く倒壊した1925年には芝浦製作所現在の東芝京浜事業所)が開設1926年3月浜川崎駅弁天橋駅の間に鶴見臨港鉄道開通1930年10月には弁天橋駅から鶴見仮停車場まで延伸鶴見駅乗り入れ1934年12月)、1932年6月には浅野駅新芝浦駅の間の支線開通1940年11月には海芝浦駅まで延伸した。鶴見臨港鉄道1943年国有化され国鉄鶴見線となり、1987年には民営化により東日本旅客鉄道路線となっている。 第一次世界大戦後不況対策として、神奈川県事業1929年から1932年にかけて1丁目の南部埋立拡大した。この土地には芝浦工作機械法人として現在の芝浦機械工場は、東芝京浜事業所タービン工場)や鶴見曹達現在の東亞合成)などが進出した2丁目には、昭和入り協同国産自動車現在のいすゞ自動車)が工場開設した第二次世界大戦での空襲の被害はわずかであったが、一部工場米軍接収された。 1995年4月には1丁目の南端に、横浜市環境事業鶴見工場清掃工場)が稼働開始。翌1996年7月には、余熱利用した温水プール温室備えた高齢者保養研修施設「ふれーゆ」がオープンした2000年理化学研究所横浜研究所発足環境資源科学研究センター統合生命医科学研究センター・ライフサイエンス技術基盤研究センター開設された。翌2001年には横浜市立大学鶴見キャンパス生命医科学研究科開設され理研連携した研究を行う。2017年6月には、1丁目の旭硝子敷地内ユーグレナによるバイオジェット燃料実証プラント着工予定されている。

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歴史と進出企業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 07:27 UTC 版)

大黒町 (横浜市)」の記事における「歴史と進出企業」の解説

横浜港発展工業地帯拡大目的として、神奈川県により1928年昭和3年)から生麦地先205m2の埋立事業着手1936年完成をみた。1937年3月12日このうち122m2に大黒町新設され、他は神奈川区宝町恵比須町町域となる。町名は、縁起をかつぎ七福神一つ大黒天から採られた。1926年大黒町地先大阪セメント現在の住友大阪セメント)が横浜工場建設1934年東京硫酸株式会社創立1939年より、保土谷化学工業鶴見工場)。同年に、貨物専用高島線新興駅開業している。1935年、宝製油1944年味の素製油改称現在のJ-オイルミルズ横浜工場開設1936年昭和産業鶴見工場開設1937年には辰巳倉庫営業所開設した1939年には日東化学工業現在の三菱ケミカル横浜工場日産自動車鶴見工場現在の横浜工場第3地区)、ニチアス鶴見工場進出したが、第二次世界大戦中1945年には各工場空襲甚大な被害受けた戦後工場用地需要旺盛で、1947年には大黒倉庫1950年には丸善石油現在のコスモ石油横浜油槽所1952年には亜細亜石油新亜細亜石油経て現在のコスモ石油横浜工場進出横浜市1955年より大黒町地先埋立着手1958年からは大洋漁業現在のマルハニチロ)の母船基地用地埋め立て追加され、すべて完成したのは1961年である。埋立には浚渫土残土のほか、京浜工業地帯発生したスラグ使われた。新亜細亜石油日東化学工業東京電力横浜火力発電所大洋漁業進出した同年には、大黒町北部横浜市中央卸売市場食肉市場開場した大洋漁業跡地には、1965年5月大東通商横浜油槽所2003年大東タンクターミナルに事業譲渡)、1966年3月には塩水港精糖横浜工場1996年7月には横浜液化ガスターミナルが竣工塩水港精糖横浜工場には1997年から2004年まで見学施設横浜・さとうのふるさと館」が開設されていた。1966年11月から2004年までは、同社本社置かれていた。1967年5月1日には住居表示実施1971年から1990年にかけて、大黒町南方沖合大黒埠頭造成され、1974年には大黒町大黒埠頭を結ぶ大黒大橋1989年には首都高速神奈川5号大黒線開通した。町の北部アルコール類輸送設備有する内外輸送は、2000年東京・大手町から当地本社移転した2004年には、コスモ石油跡地中古車オークション会場ユー・エス・エス開設された。

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