最初の水素爆弾とは? わかりやすく解説

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最初の水素爆弾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 15:00 UTC 版)

核兵器の歴史」の記事における「最初の水素爆弾」の解説

詳細は「テラー・ウラム型」および「水素爆弾」を参照 核分裂兵器核融合過程点火に使うことができるかもしれないという考えは、1941年にまで遡る真偽のほど分からないが、日本京都大学理学部萩原太郎1941年5月講演のなかで、U235爆発的連鎖反応についてと、それを起爆剤とした水素熱核融合アイデア議論したと言われている。1942年には、バークレーカリフォルニア大学オッペンハイマー開催した最初核兵器開発に関する核物理学理論カンファレンスにおいて、参加者一人エドワード・テラーは、エンリコ・フェルミ提案した太陽の力そのものと同じ反応用いる超強力爆弾開発進めるべきだと強硬に主張したテラー共産革命下のハンガリー少年期過ごしそれ以来共産党をそしてソ連恐れ憎んでいた。ソビエト脅威対抗することのできる超強力兵器の開発を、自分天命だと考えていたのである。 しかし当時は、核分裂爆弾開発のほうが容易で、水素爆弾よりは第二次世界大戦終了まで完成できる可能性が高いと考えられていた。しかし、実際のところ"普通の"原子爆弾の開発すらその後数年間の莫大な研究要したので、実現可能性乏しい超強力爆弾にはあまり関心向けられなかった。テラーだけが、計画リーダーオッペンハイマーハンス・ベーテ指示逆らい水爆研究続けていた。 日本への原爆投下の後、ロスアラモス多く科学者たちは、最初原爆よりも強力な兵器作るという考え反対し、研究所去っていった。彼らの疑問は、一部技術的なもの、つまり、そのような兵器設計うまくできるかどうか分からなかったというものもあるし、そのほかに道徳的な疑問もあった。そのような超強力兵器は、科学者たち考えによると、戦場では使えずそれゆえ一般市民対す虐殺用の兵器としてしか使えないのであるからだ。 ベーテ、そしてフェルミのような多く科学者たちは、アメリカそのような兵器作るべきではなく、もしも開発すればソ連による水爆軍拡を招くと主張して反対した。一方で水爆推進者たち、テラーアーネスト・ローレンスルイ・アルヴァレらは、そのような兵器の開発避けられないことであって水爆否定アメリカ国民防衛否定するのである主張した。 このとき、マンハッタン計画継承したGeneral Advisory Committeeリーダであったオッペンハイマーは、アメリカ原子力委員会において水爆開発をしないよう提言した。その理由は、オッペンハイマー考えによると、水爆技術の開発によるソ連対すアドバンテージ一時的なものであり、また合衆国原子力開発リソース水爆開発に向けるよりは、強力で数多く原爆開発・生産向けたほうがより効率的であるとの考えたからであった。より多く原子爆弾所持したほうが、巨大扱いにくく、限られた標的しか破壊できない強力な水爆所持するよりは有効だ、というのである。 それに加えて、もしそのような強力な兵器米ソ両国によって開発されたのならば、それがアメリカに対して使われたときのほうがより破壊的な効果もたらす考えられた。それは、アメリカのほうが都市工業集積度人口密度が高い地域多く存在し巨大兵器による理想的な標的となるからである。 結局トルーマン大統領は、ソ連による1949年核実験を受け、最終決断下した1950年1月31日トルーマン水爆開発強硬計画表明したテラー提案した原子力第二研究所ローレンス・リバモア国立研究所建設され研究始まった。しかしこの時点では、水爆正確なメカニズム未だ知られていなかった。"伝統的な"水素爆弾核分裂の熱を核融合物質点火に使うもの—は動作しえないと思われていた。しかし、ロスアラモス数学者スタニスワフ・ウラム洞察によって、原子爆弾核融合物質爆弾の中の別の場所に配置し原子爆弾圧力核融合物質起爆する前段階圧縮使えば核融合兵器実現可能だということ示された。 テラーはこの考えを更に押し進め、"George"と名付けられ強化型の核分裂実験 (少量核融合燃料用いて核分裂反応強化した装置)行い重水核融合実現可能性確かめその後真の段階水爆テラー・ウラム型水爆実験実施したオッペンハイマーベーテといった多く科学者たち最初この兵器反対したが、その後この種の兵器の開発止められない分かる考え覆した最初核融合爆弾実験は、1952年11月1日アメリカでアイビー作戦としてエニウェトク環礁実行された。コードネームマイク (Mike) と名付けられた。マイク液体重水素核融合燃料として使い原子爆弾起爆装置として用いるものであった。この水爆プロトタイプであり、実戦兵器として使用できないのだった。というのは、6mもの高さと64tもの重量があり、それに加えて重水素液体に保つための、10t超える重量冷却装置であったので、その当時いかなる飛行機によっても運搬できなかったからである。 マイク爆発は10.4メガトンエネルギー放出した。これは長崎落とされ原爆450倍を超えるのである水爆設置されエルゲラブ島跡形もなく消滅し直径1.9km、深さ50mにもなるクレーター水中形成された。トルーマン最初次の大統領選挙への影響考え実験について秘密にようとしたが、1953年1月7日トルーマンメディア通じて水爆開発成功示唆したソ連はそれに負けことなく1953年8月12日アンドレイ・サハロフによって設計され最初熱核兵器爆発させた。これは西側では"Joe-4"(RDS-6)として知られている。ソ連水爆開発アメリカ政府軍部両方に、ソ連が既に運搬可能な水爆所有しているのではないかとの懸念を抱かせた。しかし、ソ連最初の"水爆"は真の水爆ではなく数百キロトンエネルギー放出しただけだとされている。しかし、この兵器完成ソ連にとって強力なプロパガンダ道具となり、技術的な違いアメリカの一般市民政治家に無視された。 ソ連水爆実験マイクのすぐ後に行われたので、結局のところアメリカ水爆開発避けられなかったのだ、水爆開発推進正しかったのだ、とテラー水素爆弾推進者たちは自らを正当化した当時は、マッカーシーによる赤狩り真っ最中だったので、オッペンハイマー水爆反対者ロスアラモス研究所追われてしまった。 1954年3月1日アメリカリチウムの同位体用いた最初航空機搭載可能な小型熱核兵器爆裂させた。この水爆キャッスル・ブラボー実験の"シュリンプ (Shrimp) " (小エビの意) という名前の爆弾知られている。実験マーシャル諸島にあるビキニ環礁実施された。水爆15メガトン出力があり、想定より倍以上も大きいものだったため、アメリカ歴史において最悪放射性物質による被害もたらした想定より大きな爆発と、悪い天候状況、そしてアメリカ危険区域設定狭さから、1万平方キロメートル以上に渡って死の灰降りそそぎ、周囲の人間健康被害及ぼしたこの中には日本漁船第五福竜丸マーシャル諸島住人含まれている。これらの地域は現在でも人が住んでいないが、かつての住人今でも放射能による癌や障碍苦しめられている。第五福竜丸事件日本でも大きな反響呼び反核運動が起こるきっかけとなった水爆時代到来は、一般の人々軍人両方にとって、核戦争についての考え方深刻な影響及ぼしたそれまでは、原子爆弾による核戦争影響ある程度限定されうると考えられていた。原爆航空機から投下され一つ大きな都市破壊できるのみであるとするなら、原爆先の大戦での空爆 (例え日本ドイツに対して行われた激し空襲) の技術的な拡大に過ぎない考えられるからである。そして、そのような兵器世界規模での死傷者を生みだす、というのは単なる深刻ぶった誇張だと考えられていた。 当時のたった10年ほど前に一部の人は、原子爆弾の力によって、事故意図してによらず人類地上全ての生命終わらせる力を持ってしまうかもしれないと心配していた。しかし、当時テクノロジー人類がそんな力を持つところまでは至っていなかった。それでも、水爆のとてつもない力によって人類世界破滅させる力にまた一歩近づいたように思われた。 キャッスル・ブラボー事件は、核戦争生存可能性についての多く疑問生じさせた。米ソ両国政府科学者は、核融合兵器核分裂兵器違って危険な放射性の副産物生成しないため、より"綺麗"だと主張した技術的に真実だが、これは重大な問題隠してしまっている。多段階水爆最終ステージでは、核融合によって生成される中性子使って水爆周囲を包む天然ウラン分裂させる水爆は、この核分裂によって核出力半分以上エネルギー得ているのである水爆における核分裂段階単独使用されたときより"汚い"、つまりより多く放射性降下物を生みだすと考えられている。この事実は、ブラボー実験の後にできた高くそびえ立つような死の灰ができたことによって確かめられた。1955年ソ連が初のメガトン爆発実験行なったとき、一般人政治家たちも"限定"核戦争はもはや不可能だ考えた都市や国が直接核攻撃対象とならなくても、普段からの大気流れによって放射性降下物危険な核分裂副産物四散し世界中目標外の都市土壌水の中入り込んでしまうからである。 世界規模での核兵器打ち合いによる放射性降下物影響いかほどかという考察が、世界中で始められた。この中には、核兵器保有しておらずそれゆえ直接核兵器脅威のない国も含まれていた。世界運命今や核兵器生産しうる大国運命結び付くこととなったからである。 核の冬参照

※この「最初の水素爆弾」の解説は、「核兵器の歴史」の解説の一部です。
「最初の水素爆弾」を含む「核兵器の歴史」の記事については、「核兵器の歴史」の概要を参照ください。

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