一時的なもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/25 14:51 UTC 版)
「ロバート・スミッソン」の記事における「一時的なもの」の解説
スミッソンの「一時的」なものごとに対する関心は、「ピクチュアレスク」という理念を振り返る評論を通して深められた。1973年に執筆された『フレデリック・ロー・オルムステッドと弁証法的風景』(Frederick Law Olmsted and the Dialectical Landscape)は、ホイットニー美術館で開催されたセントラル・パークの設計者フレデリック・ロー・オルムステッドについての展覧会『フレデリック・ロー・オルムステッドのニューヨーク』(Frederick Law Olmsted's New York)を見て書かれた評論で、この展覧会を19世紀後半のセントラル・パーク設計に関する文化的・一時的コンテクストと見た。スミッソンはセントラル・パーク予定地の古写真を検討し、1970年代のニューヨーカーにとっては本能的に明白な、複雑で「自然な」セントラルパークのランドスケープをオルムステッドが造る前に存在した、人々にとっては価値がないと見られていた荒れた風景を再発見した。スミッソンは、広く普及しているセントラル・パークの理念に対し、これをニューヨーク市街の常に変貌している風景のなかで、変化に乏しく静的な関係しかもたない、ランドスケープ・アーキテクチャーにおける19世紀の時代遅れなピクチャレスクの美学と述べてこれに挑んだ。 スミッソンは18世紀から19世紀のピクチャレスクに関する書物を読み、サイト・スペシフィシティ(場所固有であること)の問題、弁証法的風景の層としての人間による介入、経験に基づく多様性、ピクチャレスクな風景に明白にみられるデフォルメの価値観などを論じた。さらにスミッソンはこの論考の中で、ピクチャレスクなものを区別するのは、それが実際の土地に基づくものであると述べた。スミッソンは、公園は「物理的な地域に存在する、進行中の関わりの過程」として存在することを述べ、セントラル・パークにが1970年代までの間に、オルムステッドの設計よりも風化し、植物が大きくなり、人間の活動による新しい介入(ゴミ、落書きなど)の層が重なる風景になったことに興味を示している。スミッソンは放置され荒らされた風景に「美」は見出さないが、これを人間と風景の間で絶えず変化する関係を示すものとして見た。彼は、セントラルパークの池を浚うというプロセス・アートの提案により、公園の動的な変化の中に自分自身を挿入することを目指した。 彼は、ピクチュアレスクな風景の中にある、反美学的で動的な関係の範囲の中の、奇形で醜悪なものに特に魅せられた。彼は「『アース・アート』にとって最適の場所(サイト)は、産業や、配慮のない都市化や、自然自らによる破壊によって混乱している場所である」と述べている。18世紀における「田園的」や「崇高」の特徴づけでは、地面の傷のようなものは均されてしまい、より美学的に心地良い地形に変えられてしまうだろうが、スミッソンの場合は、こうしたデフォルメのようなものが風景の視覚的な側面になる必要はないことになる。彼にとっては、自然にできたかまたは人間が作った一時的な傷のほうがより重要ということになり、オルムステッドの公園設計もこの地に介入した人間活動の一部ということになる。 オルムステッドが自作に取り入れた18世紀・19世紀のピクチュアレスクの議論を再び読むことで、スミッソンは反美学的・反形式主義的な理論の流れを露呈させ、ピクチュアレスクの理論的枠組みが物理的な風景とその一時的な文脈との間の弁証法であることを示し、これらの再解読と再評価でセントラルパークに近代美術およびランドスケープ・アーキテクチャーとしての重要性を意味付けられるとしている。スミッソンや他のアースワークの芸術家に対する「工兵のごとく土地を切ったり掘ったりしている」という批判に対し、彼はそうした意見は「土地に対する直接の有機的操作の可能性を無視している」と攻撃し、「われわれの風景の中にある矛盾に背を向ける」と述べている。
※この「一時的なもの」の解説は、「ロバート・スミッソン」の解説の一部です。
「一時的なもの」を含む「ロバート・スミッソン」の記事については、「ロバート・スミッソン」の概要を参照ください。
「一時的なもの」に関係したコラム
-
FXやCFDで相場のトレンドが継続するかどうかを調べるにはいくつかの方法があります。ここでは、テクニカル指標のボリンジャーバンドとボラティリティを使って相場のトレンドが継続するかどうかを調べてみます。
- 一時的なもののページへのリンク