桜の辞世と火山噴火と国体の危機
●桜を題材にした辞世について書いた ら、複数の読者から早々にご意見が寄 せられた。まず「散りぬべき 時知り てこそ 世の中の 花も花なれ 人も 人なれ」の細川ガラシャの辞世の句に ついては、「潔さを感じる! 良寛 (の辞世)は未練たらたらさを感じ る」との感想があった。 細川珠子の辞世は、キリシタンとい う終末崘に敏感な宗門に帰依した、戦 国大名の妻の凜とした風格が滲み出て いるのはもとよりであるが、井尻千男 い じ り か ず お 先生の名著『明智光秀』 (海竜社、二 ○一○)を再び手にとって、日本の現 下の危機について沈思黙考する機会に なった。細川ガラシャは、明智光秀の 三女である。名著の冒頭部分を引用す る。 わが国における保守思想の清き流を、 戦国乱世という危機の時代の只中にあ って身を挺して守ろうとしたのが、明 智光秀ではなかったのか。戦後六十余 年間はほぼ一貫して 「 革命児信長」を 賞賛する時代であった。だから当然、 光秀は敵役として貶められてきた。 (中略)平成十八年の正月、小泉純一 郎総理が皇室典範の改正を決意したと 思われたころ、市川海老蔵演ずる『信 長』(新橋演舞場)を観劇していたく
感激したということがメディアで報じ られた。そのことを知った瞬間、私は 光秀のことを書くべき時がきたと心に 決めた。思うに人間類型としていえば、 戦後政治家のなかで最も信長的なる人 間類型が小泉純一郎なのではないか。 言う意味は、改革とニヒリズムがほと んど分かちがたく結びついていると言 うことである。そもそも市場原理主義 に基づく改革論がニヒリズムと背中合 わせになっていると言うことに気づく か、気づかないか、そこが保守たるか 否かの分岐点なのだが、今日のわが国 の政治家でそのことに気づいている者 は極めて少ない。その意味で、小泉氏 は時代の危機の象徴的存在なのである。 ならば、その危機に鋭敏に反応する明 智光秀的なる政治家は誰か、いるのか、 いないのか。 事情は昭和の御代よりもはるかに深 刻だったといわねばならない。朝廷を 守るべき幕府が崩壊したまま再建の気 配がなく、武の頂点に立ち、 「 天下布 武」と号令する信長に朝廷をお守りす る意志がないとなれば、否、正親町天 皇に退位を迫っているとなれば、信長 を討つ以外に国体を護持する道はない のである。 「 君側の奸」か 「 君側の逆 臣」かといえば信長はもうはっきりと
逆臣といわなければならない。だとす れば、誰が何時討つかだけのこととな る。 「侍精神の最後の光芒」明智光秀 は、その討つべき時を待っていただけ のことである。 ガラシャの辞世を光秀の有名な連歌 の発句「時は今天が下知る五月哉」と 読み併せると、室町幕府を打倒した信 長が朝廷との対立を深めるばかりにな るという国体の危機を現前にして遂に 決起する戦国武将 「 明智光秀 」 の姿が、 皇統の危機に際し正統を護った武将と して現代にも甦ってくる感を強くした。 ●郵政民営化で、豪州に投資した六二 ○○億円のうち何と四〇〇〇億の巨額 が損失となったことが、奇しくも逓信 記念日の四月二〇日に露呈したが、近 因は平成の信長と喧伝された前記政治 家の不始末である。 「稲村さん、良寛は堂島米市場にコメ を出した佐藤甚兵衛のネットワークで 最大手だった越後の甚兵衛ですよ」と は落合莞爾氏から頂戴したコメントだ。 筆者は浅学で佐藤甚兵衛のネットワー クの意味を検証する力がないが、良寛 が日本海の北前船の交通と物流の繁栄 の中で生まれた人物であることを初め て知った。北前船で栄えた富山の新湊 の夜祭り、当時の日本海の泊湊の賑わ いと今の港のさびれ具合を比べた。 経済学徒の若い友人からは、 「桜は やわくない」という主張に呼応して、
岩手県の盛岡地方裁判所の構内にある 石割桜の写真が送られてきた。花崗岩 の巨岩の割れ目に生えた桜の巨木の写 真だ。国の天然記念物に指定され、樹 種はエドヒガンザクラで、散るを急ぐ ソメイヨシノではない。 ●阿多の姫君である神阿多都比売の夫 たる瓊瓊杵尊の天孫降臨については、 「雪国越後にもある」との情報提供が あった。越後の刈羽黒姫山と呼ばれる 標高八九一メートルの山頂近くに、機 織りの神様を祀る鵜川神社があり、新 潟大学地質学部の調査から、黒姫山と 米山、弥彦山は太古には一つの山で、 世界的な伝承となっている大洪水の際 に、避難した太古日本人が舟で最初に 戻った場所として港の跡があり、そこ まで海であった形跡もある。大洪水前 の太古の時代から稲作がなされ、十日 町市笹山出土の縄文の火焔型土器群は 国宝に指定され、しかも東北系・関東 系・中部系・畿内系と日本各地の縄文 土器が出土している等のご指摘を頂戴 した。越後の刈羽三山は火山活動によ る山塊だから、火山噴火を鎮めた痕跡 として天孫降臨が越後の山に残ること に何の不思議もない。 最後に、天孫降臨と火山噴火につい ての拙論は、蒲池明弘著『火山で読み 解く古事記の謎』(文春新書、二○一 七)に大いに啓発されたことを謝して 記しておきたい。 (つづく)
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