かつてあった日本の、特に戦前のナショナリズムは諸外国のナショナリズムに比べ、やや特殊な様相を呈しており、「ある可能性」を持っていた。
どの国でも、政治思想の目的としているところが「国民を幸せにする」ことである以上、基本的に近代国家における政治のあり方というのは、乱暴な言い方になってしまうけれどもその目的に対して急進的か、漸進的か、という違いでしかない。
急進的な考え方の人々はわりあいに「左翼(革新)」へと振れていき、漸進的な考え方の人々は「右翼(保守)」へと流れていく。
なので、イズム、主義、といった場合、イデオロギーとして一貫したものを提示しうるのは、「左翼」側だけであり、「右翼」というのは現実の枠組みをいかに守りながら幸福を追求していくか、という「姿勢」を求められる。
「左翼」は現実を無視して思想を純化し、やがて内ゲバを生むか、開放と称して東欧を蹂躙したりチベットを併合したりし、「右翼」は現実に妥協して「保守退嬰」へと堕すか、理念なき帝国主義に化けて植民地の収奪へと突き進む。
多くの欧米国家の「右翼」の場合、拠り所としているのはキリスト教や民族主義であり、その枠組みの中で幸福を追求しようとする。
欧米先進諸国での共有が見られる以上、言ってみればグローバル・スタンダードなのだろうけど、非キリスト教圏でありながら唯一先進国、列強の仲間入りをしてしまった日本の場合、「右翼」の拠り所となったのは天皇制だった。
天皇制自体は、確実に分かっているだけで1600年くらいの歴史があり、その間にも天皇制を支えるイデオロギーは変化したわけだが、ここで問題としているのは戦前の天皇制を支えたイデオロギーである。
その内実は神道、武士道、儒教をミックスして作り上げた、世界的に類例のないものだった。
神道は天皇と八百万の神との関係性の根拠であり、武士道は生き方の美学、指針であり、儒教は統治のノウハウだった。
この三つの思想がミックスされたことによって、ナショナリズムでありながら、極めて思想的な装置として、日本の右翼はこれを機能せしめた。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教といった宗教は近代国家のイデオロギーの「母体」になることはあっても、近代国家のイデオロギーそのものとして機能することは難しかった。
人権思想へと収斂していかないヨーロッパの思想といえば、マキャベリの『君主論』あたりが想起されるけれども、これは国家のための思想というよりは、君主のための思想だった。
現代の近代国家群成立の過程で起きた、ナポレオンの登極やブルボン朝復活、天安門事件、東欧諸国の「民主化」、ソビエト崩壊などの現象は、いずれも革命や思想運動の結果ではなく、「反動」でしかなかった。
革命を急進的に推し進めたが故に生じた無理を是正する動きでしかなかった。
そこに固有のイデオロギーがあったわけではなかった。
ヒトラーのナチズムにしても、民族主義の枠組みから一歩も出ることはできなかった。
「右翼のイデオロギー」として、「五族協和」「八紘一宇」などのスローガンを生み出し、民族を超えて人々の共感を呼ぶ可能性があったのは日本のナショナリズムだけなのだ。
これをもって日本の帝国主義とする考え方もあるが、しかし、欧米の帝国主義には理念がなかったのに比べ、日本の帝国主義には実情と必ずしも一致しなかったかもしれないが、理念が確かに存在した。
天皇制と地理的、民族的に密接に結びついた神道は、一見、世界的な広がりを見せるのは難しいように見えるかもしれないけれども、キリスト教にしても当初は民族宗教だったのにも関わらず、パウロという稀代の伝道師がキリスト教の「幼児」の部分をそぎ落とすことによって世界宗教へと発展させた。
世界の諸国民を天皇の赤子へ、というストーリーを描くことだってできるのだ。
今でも日本刀やサムライ、ニンジャなどによって象徴される日本の「武」の様式美を、多大な興味を持って学んでいる外国人は多いし、アニメやゲームなどのサブカルフィクションにおいて、武士は多く登場する。
儒教の可能性については呉智英が著書で説いているのでここでは詳述しないけれども、その「分限思想」「徳治思想」は人権思想、法治思想と拮抗しうるイデオロギーであり、また人権思想、法治思想と両立、拮抗させることでさらなる正義を実現させることができる可能性を秘めている。
その右翼のイデオロギーが顕現したのが二・二六事件だった。
二・二六事件で掲げられた「昭和維新」は稚拙な構想によって引き起こされたものであったにも関わらず、のちの日本の思想史に与えた衝撃は大きく、三島由紀夫は事件の青年将校らを高く評価した。
それは、「右翼のイデオロギー」が革命を指向した世界で最初の例であり、「ヨーロッパ近代」の枠外で「近代」を成立させえたかもしれない唯一の可能性だった。
結局、失敗に終わったわけだが、そういった思想潮流とは別に、「左翼」側は自由民権を掲げた運動を全国各地で繰り広げ、大正デモクラシーのような成果を残すことができた。
それは確実に戦後民主主義へとバトンされた。
しかし、「右翼のイデオロギー」は二・二六事件の失敗と大東亜戦争の敗北によって、ほぼ断絶されたとみていいだろう。
昨今のネットを中心とした右翼的思想潮流が戦前のような形で成熟できるかどうかわからないし、それ以前にそんなものが必要かどうかもわからない。
ただ、「人権思想を核とするヨーロッパ近代」以外の方法論で人間を幸せにするかもしれない方法論があった。
それが神道、武士道、儒教を混合させた「日本のナショナリズム」だった。
欧米諸国のナショナリズム、右翼運動が退嬰的な変化、もしくは帝国主義的肥大しかできないことに比べて、日本のナショナリズム、右翼運動には別の可能性もある、ということは確認しておくべきだろう。
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