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『永遠の夫』(フョードル・ドストエフスキー)

[ 2007/12/31 ]

夫の座にしがみつくしか能のない田舎官吏と、彼の死んだ妻のかつての不倫相手との交流を描いた作品。

主人公の女性に対する不器用さはわりとドストエフスキーのどの作品にも共通して描かれているのだが、本作品の主人公はその中でも群を抜いているように思われた。
というよりもあまりにも自分というものを知らなさ過ぎるトルソースキーの性格描写が非常に印象的。
リアリティ云々というよりも、語り手である、うがった性格のヴァリチャーニノフの目を通して描かれるそのありように心を惹かれた。
『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』などの大作に見られる思想性はここでは微塵も感じられず、心理小説としてストーリーが進行する。

死んだ妻を巡って、現在進行形の恋愛を巡って、「夫」と「愛人」の間で交わされる言葉の応酬は、そのかみ合わなさと温度の落差によって絶妙な効果を生み出している。


しかしまあ、『白痴』にしろ『地下室の手記』にしろ、あるいは『罪と罰』にしろ『白夜』にしろ、『賭博者』にしろ『貧しき人々』にしろ、彼の作品にはかっこわるい人間が実に多く登場する。
けれどもそういった人間達をどんなに偏執狂的に細かく描いても、ドストエフスキーが彼ら「かっこ悪い人間」達を見つめる目には優しさが感じられる。
凡百の私小説作家達の描く「かっこ悪さ」がその「かっこ悪さ」の中に美学のようなものを見つけようと情けない努力をしているだけなのと異なり、ドストエフスキーの描く「かっこ悪さ」には、そういったものを引き受けつつも、決して卑屈さに陥らない普遍的な強さが感じられる。
この強さと優しさが彼の真骨頂なのだろう。


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[ 2007/12/31 ] 古典・純文学 | TB(0) | CM(-)

『後白河院』(井上靖)

[ 2007/12/20 ]


井上靖の文章はおそらく中学か高校の頃に国語の教科書で読んで以来なのだが、後年出版された『孔子』の出来があまりにもひどいと評判で、読むことはないのだろうな、と思っていたのだが、何の因果か読まなきゃならない羽目になってしまった。
読んでみたら意外に面白かった。

この作品は古代の貴族社会、天皇中心社会から武士の時代への転換期に最高権力者だった後白河法皇を、彼の周囲にいた人々の目を通して描いたもので、時代を集約した一個人の記録としては大変興味深いものだった。
保元、平治の乱から源平の戦い、鎌倉幕府成立までの激動期を宮廷中心に描いている。

天皇制というものを考えるとき、2600年(自称)の歴史の中でその時々の性格は異なるものだが、彼の権威が失墜してから明治維新まで七百年ものあいだ、日本史において天皇が中心になることはなかった。
すぐあとの後鳥羽上皇や南北朝の後醍醐天皇などの例外はあるものの、基本的には天皇は忘れられた存在だった。
しかし、700年も後になって復活することができるだけの力の淵源はどこにあったのだろうか。
そういう問題意識を喚起する作品だった。

井上靖の硬質で格調の整った文章や、後白河法皇の人間的魅力にも魅了されたが、全体としては天皇制という制度に常につきまとう不鮮明さがこの作品にも投影されていて、それがこの作品の魅力を高めているように思う。


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[ 2007/12/20 ] 古典・純文学 | TB(0) | CM(-)
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