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日本人のコスト

[ 2015/03/23 ]
当たり前の話なんだけど、なんとなく確認用に。

成熟した近代国家の国民ってコストが高いです。
って書くと人件費の話かってなりそうですが。
こそさらコスト、というと人件費にばかり話題が集中しがちなんだけど、人間のコストって会社が支払う給与ばかりじゃないですよね。

うちのブログではよく少子化対策を書いていますが、少子化が進行している原因の一つとして子育て費用の増加、というのも大きいと思います。
近代以前だと子供は7歳8歳から奉公に出されたり、農作業の手伝いに駆り出されたりして、投資対象としては現代社会よりローリスクハイリターンだったと思うのだけれども、先進諸国ではどこも児童労働には厳しい制限がかかりますし、義務教育の期間は長いし、高校くらいはいっとかないといろいろ苦労しますね。
明治時代に義務教育を導入したら、義務教育反対一揆が全国各地で起こったくらいなんで、子供を労働から切り離す、というのはそれなりにリスクがあったということでしょう。
近代国家の構成員になるにはけっこうなコストがかかります。

それから福祉
医療インフラが拡充したことで長生きできるようになったんだけど、自然のままにまかせていたら死んでいるはずの人間を生かす、ということはそれだけ余計にコストがかかります。

インフラや防災や防犯
当たり前すぎて普段はあまり意識しないことですが、社会が便利で安全あるということは国民一人あたりに投じられているコストがそれだけ高いということで。

で、それだけコストがかけられている日本人を企業が雇おうと思ったら、それなりにコストもかかる、はずであると。一般論として。
途上国の人件費が安い、というのは途上国の人たちの人生にかけられているコストがそれだけ安いからですね。

人間の生涯にかかるコストというと
生活費、出産、教育、防災、防犯、福祉、娯楽あたりかな。
これらのコストを家庭と国と自治体と企業と社会で分担しているわけですが、少子化だの不況だの過疎だのというのはここらへんのコスト配分がうまくいってないからでしょう。
どの項目を誰がどの程度の配分で分担するか、というのをトータルで考える人はもう少し増えてくれてもいいような気がします。
それは金銭だけじゃなくて、時間や空間的な部分でも。


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[ 2015/03/23 ] 考察 | TB(0) | CM(-)

優秀な人間が優秀であるには

[ 2015/03/17 ]
お久しぶりです。
更新再開です。

教育改革って人間の生き死ににそれほど切実に関わってこない問題であるにも関わらず、頻繁に政治課題として取り上げられるケースが多いのですが、日本が抱えている諸問題の中では比較的優先順位は低いと思います。
社会のあらゆる制度は常にメンテナンスが必要で、教育制度も常にその成果や内実が問われてしかるべきではあるんですけどね。

教育ってもちろん大事で、個々人の人生がどのようなものになるのかは教育に負うところが大きいです。
だから、人の親として、自分の子供に対してよい教育を受けさせたいと思うのは当然でしょう。
「優秀さ」というのは相対的なもので、他の優秀でない人たちとの対比でもって優秀認定されるわけだから、その種の"抜け駆け"は極めて有効です。

ただ、個人レベルの教育ではなく、制度として教育内容をどれだけ充実させても、その投資に見合った収益はあがるとは思えない。
優秀な国民が量産されるとは思えない。

日本はどんどん衰退していってる最中なので、中流以下の大学を出てもよい職につけるとは限らない状況です。
奨学金の未払いも社会問題化してますしね。
教育という投資を回収しきれていない。
一方で、偏差値エリートの巣窟である中央省庁に勤務しても凄まじいサビ残を強要される。
そして偏差値エリートが凄まじいサビ残で国家を運営しても財政赤字が膨らんでいくだけで、国の未来はかなり不透明です。
教育によってどんなに能力を磨き上げても、その「優秀な人達」を受け入れる社会制度そのものが変わらない限り、現行の教育を云々してもはかばかしい成果はあがらないのではないか。
優秀な人間が優秀な人間であるためには、本人の能力の問題とは別にして、優秀な能力を発揮できる環境がなければいけない。

近代国家の構成員たる能力はあまねくすべての国民が備えてしかるべきではあるけれども、それだけだったら現行の教育内容をそれほど大きく変える必要はないはずです。
戦後の教育だって個人レベルではそれなりに有用な人材は輩出しているわけだから。
まあ、無償化は進めるべきだとは思うけどカリキュラム内容に関してしょっちゅう手を突っ込むのはどうなのかな、と

また、一般レベルはともかくとして、エリート教育の重要性を説く人たちもけっこういるんだけど、そのエリートたちがどれだけ個人的な資質を高めても、制度の前ではほとんど無力です。
エリートであることによってその人個人の人生は豊かになる確率は高まるでしょうが、世の中がそれでよくなるかはまったくの別問題。
教育内容をいじることによって世の中を変えたい、と考えるのは自分たちの責任を後の世代に先送りしたい、と言ってるのと等しいです。
若い人たちをどうこうしようとするんじゃなくて、まずは自分たちから変わらないとどうしようもないでしょう。


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[ 2015/03/17 ] 考察 | TB(0) | CM(-)

集団的自衛権に対する立場を7分類&観念的平和論と個別的平和論

[ 2014/06/28 ]
安全保障、集団的自衛権の問題は議論百出でしょうが、いろんな人の立場を整理すると

1 現行憲法と現行解釈絶対厳守。安全保障は既存の枠組で十分。集団的自衛権はとんでもない。

2 現行憲法は守るべきだが、安全保障の選択肢も確保したいので集団的自衛権行使も容認してかまわない。

3 法治国家としての整合性と自衛隊の追認という意味で改憲には賛成だが、法治国家としての整合性をさらに歪めることになるので、集団的自衛権行使の解釈変更には反対。

4 法治国家の整合性を厳密には問わない。現状でも整合性は曖昧であるし(もちろん建前として、制度として、整合していることにしているが)、安全保障の選択肢を拡大する重要性は優先順位が高いから、解釈変更断行。そしていずれは憲法そのものも改憲。

5 (改憲にしろ護憲にしろ)安全保障の選択肢自体が拡大するのはいいかもしれないが、それを運用する政治家がまったく信用出来ないし、予想される運用自体も米軍の使いっ走りしかないだろうから、集団的自衛権の解釈変更には反対。

6 よくわからないが政府がやるなら問題ないだろ

7 なんとなくまずいと思うけど、しょうがない



この7つくらいに分かれるんでしょうか。ややこしいですね。
私の立場は安全保障の選択肢を性急に拡大するよりも、法治の論理とシステム、実態を整合的なものにすることに重きを置いているので3です。ただ、まあ頭ではそうなんだけど、実際には7ですね。それより少子化対策と長時間労働の規制と安楽死の実現を……という立場なので。優先順位の問題。


ところで、世論調査見ると世間の人たちの半分以上はなんだかんだで護憲派ではあるみたいです。
安全保障の話になると常々思うんですが、護憲派の人たちの多くは自衛隊を追認していますが、そこに欺瞞と不誠実さは感じていないんでしょうか。
ちょっと9条を引用してみましょうか。

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


解釈で整合性を保っていることになっているけれども、これ、現状はまともに考えたらどう考えたって違憲状態です。

憲法変わったからといって「戦争をしなければならない」わけではありませんし、交戦可能な憲法を保持している国家(日本以外のほぼ全て)でも長期にわたって現行憲法下の日本以上に軍事力を行使していない国はいくつかあります。

だから、私は普通に考えて憲法は改正したほうがいいと思っています。
それで自衛隊の位置づけをきっちり実態に則したものにする。
戦争も必要ならすればいい。
必要じゃなければやらなければいい。
そして、おそらく戦争の殆どはやらないほうが良い戦争です。
やらなくていい戦争を国家がやろうとしたら、その都度、反戦運動をするべきです。もちろん、徴兵制の復活に関しても断固反対運動をやればいい。
それが法治国家としてもっとも筋の通った話じゃないでしょうか。
観念的平和論よりも個別的反戦論。
まあ、これも夢想でファンタジーですね。他に言っている人あまり見かけないし。

でも、そういう法治の整合性をすり合わせる、というのがファンタジーでしかないってのも何だか嫌ですね。
今回のところは、現実的には1の人たちと4の人たちの攻防戦になっていて、一番多いのは7の立場の人たち、というところでしょうか。

関連記事:9条堅持のリアリズムとリアルとファンタジー


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[ 2014/06/28 ] 考察 | TB(0) | CM(-)
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